激しい銃声と、ビリビリと鼓膜に鳴り響く爆発音・・・。

 そして、身体に感じるズシリとした地響き・・・。
 やがて、それに重なるように大勢の人間の怒号が漆黒の闇夜に突き刺さるように響き渡った。


 そびえ立つずっしりと重い鉄の門と、重厚かつ豪奢な造りの玄関扉が瞬く間に破壊される。
 その異様な物音と重なる叫び声に、眠りについていた下男や侍女達・・・使用人は飛び起きた。

 夜番で起きている者以外、寝間着姿のまま、血相を変えて使用人部屋から飛び出した。


 まるで戦争でも起きたかのような凄まじい状態の玄関。

 いや、実際に戦争は起きている・・・。

 それは、遥か遠い銀河の果てで・・・であったが。

 だが、この帝都オーディンの中心部、特に名門貴族の屋敷が立ち並ぶ地区では、今まで戦争の気配など感じた事がないほど静かなのだ。

 それが一体全体・・・。

 何が起ころうとしているのか・・・使用人達は、ただただ震え慄いていた。



 「一体・・・こんな時間にここを何だと・・・!名門カルシュン男爵邸ですぞ!!誰の断りでこのような無体な・・・!」


 銀ぶちのモノクルを付けた、威厳が服を着たような老執事が乱入者である軍人達に、喉を掘るような鋭い声でな叫んだ。

 彼は何事が起ったのか理解出来ずにいた。

 恐ろしさを押し隠す為に、何とか気持ちを奮い立たせて彼は必死に叫んでいたのだ・・・。


 老執事は、代々、この家に仕えている。

 彼がこの屋敷で働き始めたのは15歳の時で・・・。

 それからも、もう既に半世紀が過ぎ、この家の事を、ご主人様以上に知っていると言ってもいいほどだ。

 実際に、男爵自身、家の事で何か分からない事があると、老執事に訪ねる事が良くある。

 そして訪ねられた方は、すぐさま対処出来るので、この屋敷内では重宝されていたのである。


 真夜中の乱入者・・・。

 老執事には、こんなに時間にこのような訪ね方をする者は軍人でもならず者だと思った・・・。

 名門の男爵家に対して不当であり、あり得ない仕打ちである。

 ここは・・・貴族の屋敷であり、カルシュン男爵家の本邸なのだ。


 「な・・・あなた方は何という事をなさるのか!」


 名門に仕える自分としては、このような乱暴な事に耐えられず、大憤慨し、軍人達を猛然と非難した。


 カルシュン男爵はとても優しい人で、夫人も穏やかな人だから、この屋敷中の使用人達は夫妻を慕っていた。

 夫妻は、大貴族にしては珍しく細やかな心遣いをしてくれる。

 使用人達が病に罹ればすぐに医者を呼んでくれたり、彼等の子供達の誕生日にプレゼントを包んでくれたり。

 そして、俸給も他の家に仕える者達よりもはずんで下さるので、本当に仕え甲斐のあるお屋敷なのだった。



 そんな、男爵家に、強面の軍人が大挙して乗り込んでくるなどあり得なかった。

 全く最悪な事態であった。

 ましてや・・・このような真夜中に!

 玄関ロビーの、年代物の巨大な柱時計の針は午前2時を少し過ぎた時間を指していた。

 老執事は、キイキイした声で、銃を片手にドカドカと歩き回る軍人達に、「お・・・おやめ下さいっ!!」と叫んでいた。



 集団の先頭にいた軍人・・・少佐の階級少を付けた、小柄で、でっぷりとした体格の男は、叫び続ける執事の顔を一瞥し、口の端に笑みを浮かべた。


 「執事殿、どうかお静かに願います」

 「あなた方は・・・ここが何処だかお分かりなのですか!?」

 「そう・・・興奮なさらず。血圧が上がりますよ?我々は、ここがカルシュン男爵家だという事は重々承知しております」
 「な・・・!分かっていてこんな無体な事をなさるのか!?こんな夜更けに何と非常識な・・・!」
 「申し訳ないが、たった今から、ここは銀河帝国軍によって拘束されます!何人も、無駄な抵抗はされませんように願います!」


 彼は手にしていた書類を高々と掲げた。


 「これがお分かりですかな?」
 「それは・・・」
 「カルシュン男爵一家の逮捕状です。勿論、正式な・・・ね」

 「逮捕状・・・?」

 「ええ、お疑いなら、軍務省でも、統帥本部でも尋ねてみれば良い。れっきとした事実ですからね」


 少佐は、自分よりも背の低い老執事を小馬鹿にしたように見下ろした。

 “逮捕状”と聞いて、老執事は一瞬言葉に詰まり、大きく目を見開いた。



 「まさか・・・そんな・・・」



 全くもって信じられなかった。

 カルシュン男爵が逮捕・・・あの、ご主人様が何か重大な罪を犯されたのだろうか・・・??

 老執事は、頭の中が混乱していた・・・本当に信じられなかった。


 「早く家人を探し出せ!」


 少佐が声を発した瞬間、彼の後方に控えていた兵士がどっと邸内に踏み込む。


 「隅々まで捜すのだ!」

 「我々を恐れて隠れている可能性もある。クローゼットや収納庫も全て開けて確かめろ!」


 軍人達は口々に叫び声を上げる。
 幾人もの軍靴の音。
 それが、深夜の邸内に異様に響き渡った。
 あまりの出来事に老執事は驚いて動けなくなり、その場で震えるばかりだった。


 他の使用人達も真夜中の乱入者達に怯えてその場に立ち尽くす。

 茫然自失の体でその場に立ち尽くしていたり、ブツブツと何かを呟いたり。

 皆・・・ひどく動揺していた。

 侍女達は腰が抜けたのかその場にへたり込み、数人で肩を抱き合いつつ、泣き出してしまっていた。
 そして、一体、何が起こったのかと、その目に恐怖の色を浮かべる。
 

 老執事は震えていても始まらぬと、腹にグっと力を入れて背筋を伸ばした。

 彼は意を決して、やっとの思いでリーダーらしき少佐に声をかけた・・・。


 「ご主人様を逮捕されると言われるが、これは一体何事なのですか?」

 「・・・実は、先ほどリヒテンラーデ公が拘禁されましてね」

 「え・・・公爵閣下か・・・」

 「それで、一族であるこちらの男爵にも逮捕状が出たのですよ。あなた方は・・・1時間以内に荷物をまとめてここを出られた方が得策だと思いますよ。男爵に忠誠心を誓って残っても構いませんが、それはあまり利口とは言えないでしょうな。助かりたいのならすぐにここを出て行きなさい。尤も、忠誠心を出して、男爵と一緒に捕まりたいなら別ですがね」


 その言葉を聞いた瞬間に、使用人達は我先にと走り出した、この場から逃げ出す為に。
 老執事は一瞬は迷いを見せた。

 だが、我が身の可愛さの方が勝ったのか、彼もまた他の使用人達に続いて走り去った・・・。


 「ふん。あれほど叫んでいたが、最後まで仕える忠誠心は無し・・・か」


 使用人達の滑稽な姿に少佐は苦笑した。


 「ダンゲルマイヤー少佐!男爵一家を発見致しました!全員寝室にいました!」


 1人の士官が走り寄る。

 任官し立てのゲート少尉だった。


 「よし、すぐに彼らを居間に集めるのだ!すぐに連れて来い!」

 「許諾<ヤー>!」


 少尉と数人の兵士達がバタバタと、ロープやスタンガン等を手にして寝室に向かった。


 やがて、大きなマントルピースのある豪奢な居間に、ここの主であるカルシュン男爵とその妻、2人の子供・・・娘と息子が集められた。

 4人とも、豪華な絹の天蓋付きの寝台から引きずり出されたのだ。


 事態を飲み込んでいないのか、それとも恐怖感からか、茫然自失の一家。
 自殺や大騒ぎを恐れて猿轡をかまされ、後ろ手に縛られた一家であったが、部下が使用人が屋敷から全員出て行った事をダンゲルマイヤー少佐に報告すると、伯爵と子息の猿轡
のみが外された。
 妻と娘は寝台から引きずり出された時に恐怖から気を失っていた。

 軍人達に乱暴に担がれて部屋に放り出されてぐったりと床に横たわり、だらしなく伸びていた。

 2人とも蒼白であった。
 猿轡が外され、まだ子供である子息は、怯えた目で、軍人達を見つめていた。


 「一体何が・・・」


 怒りを含んだ男爵の瞳・・・だが、軍人達は動じなかった。


 「リヒテンラーデ公が逮捕されたのですよ。それによって、一族全員の逮捕状も出たのです。まことにお気の毒ですが」
 「・・・大伯父上が、まさか!?それに一族全員逮捕!?分からぬ・・・一体、どういう事なのだ!」


 リップシュタット戦役で、自分達は貴族連合軍には与しなかった。
 カルシュン男爵家ではどちらに付くか迷ったものの、宰相の地位にある総本家筋であるリヒテンラーデ公の口利きで帝室側に付いた。
 自分達は正当なる皇孫を皇帝に戴く大義名分を要しているので、ローエングラム候の陣営に就く事は正しい判断だと思ったからだ。
 リヒテンラーデ公の血縁者は皆、ローエングラム候の陣営に与し、幼い皇帝陛下の御為にと私財を投げ出す者もいたほどだ。

 カルシュン男爵家でも、地方の領地の一部を帝室に返納し、リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸に与していた。


 それに、リヒテンラーデ一族の中には幾人か軍人もいて、全員、ローエングラム候の側についていた。

 男爵の腹違いの弟のニクラウス・フォン・アーレンスもその1人で、確か・・・ロイエンタール艦隊にいるはずだった。


 一族の全てが帝室側に付いた。

 資産をも拠出した。

 だからこそ大規模な粛清を免れて、戦役後には、帝室によって領地も資産も護られて安泰になるという話だったはずだ。
 それなのに帝室側に付いたリヒテンラーデ公が逮捕拘禁など、何かの間違いではないのか?
 しかも一族の全てが逮捕などとは・・・あり得ない!!

 全くもって、何かの間違いではないのか!?


 離縁された後に再婚していた、カルシュン男爵の母親も、この戦争の為に私財の一部を軍に拠出していた。

 そして、その母の息子、即ち男爵の腹違いの弟はロイエンタール艦隊に属し、確か高速艦の「スクルド」で、通信士官として勤務をしている。 


 「何故・・・どうしてこうなるのだ!?私は軍の為に金を出した。後ろ暗い事は何もしておらぬ。私の弟だってロイエンタール艦隊にいる。それに、大伯父上とて、逮捕される謂れなど無いはずだ。・・・何かの間違いではないか?」
 「賢明なるあなたであれば説明などせずともお分かりでしょうが、現法においては、重い罪を犯した者の一族は、皆、悉く罪の償いをせねばなりません。・・・で
すから、あなた方も、すぐにここから出て頂きます」
 「こんな夜中に押しかけて・・・私達を脅すつもりか!そもそも・・・大伯父上の罪とはなんなのだ!?大伯父上は清廉潔白な方だぞ!そして私もだ!!」


 カルシュン男爵は叫んでいた・・・。
 いや、叫ばずにはいられなかったのだ。

 あまりにも理不尽ではないか・・・。


 「・・・清廉潔白ですか。まぁ、罪状については何れ・・・お分かりになると思います。さて・・・と。あなたを含めたご家族の名前と年齢とをおっしゃって下さい」
 「・・・夜中に夜襲をかけるぐらいだ。そんな物はとっくに調べ上げてあるのだろう!いちいち・・・」
 「夜襲ですか。まぁ、確かにそうですな。我々としても手荒な真似はしたくなかったのですが、急を要するので仕方ない事だったのですよ。とにかく、あなた方が、本物であるかを確かめるのもまた我々の仕事でして・・・さぁ、お名前を・・・」


 男爵は唇を噛んだ。

 ダンゲルマイヤー少佐の声には有無を言わさぬ強さがある。
 ここは従った方が得策だと思い直し、男爵は、うなだれたまま掠れた声を出した。


 「セバスティアン・フォン・カルシュン・・・39歳。妻のマグダレーナは37歳。娘のユリアナは12歳、息子のヨーゼフは9歳だ」
 「違うよ、お父様。僕・・・一昨日10歳になったんだよ。ほら、誕生パーティーを開いて下さったのに忘れてしまったの?僕、10歳になったのだから、前から行きたかった幼年学校に行
くんだ。・・・ねえ、幼年学校に入ってもいいでしょう?」


 それまで怯えて黙り込んでいた少年は、年齢を間違えられたのを知ると、慌てて、父親の寝間着の袖を引っ張って抗議した。


 「あぁ、そうだったな。・・・ヨーゼフ・・・」


 男爵は息子の柔らかな金の髪を撫でてやった。

 ヨーゼフは、父親の大きな手で頭を撫でられて嬉しそうに微笑んだ。

 その微笑みを見て、ダンゲルマイヤー少佐はニヤリと笑った。
 

 「ほう10歳ね・・・」


 微笑みながら書類に目を落とすダンゲルマイヤー少佐に対して、少年は誇らしげに言った。


 「10歳は大人なんだぞ!子供扱いしないでよ。・・・10歳になったら幼年学校にも入れるんだから!」

 「大人・・・確かにそうですな。そう・・・本当に10歳は大人ですなぁ・・・」


 ダンゲルマイヤー少佐は少々薄くなりかけた髪を掻き上げて、人の悪い笑顔を浮かべると、何度も含み笑いを漏らす。
 そして、書類に何やら書き込んだ。
 彼は書類を見て満足そうに頷くと、部下に命じて、倒れたままの妻と娘を連れ出すように命じた。
 気を失った2人は、少佐の部下達が無言で担ぎ上げても目を開ける気配がなかった。


 「・・・おい!2人をどこへ連れて行く気だ!」


 ただならぬ気配。
 軍人達に不審感を持った男爵が叫んだ。


 「そう、興奮なさらぬよう。奥方とお嬢様は・・・辺境惑星の流刑地に行く事になります」
 「辺境の流刑地だと・・・」


 男爵の声が震えた。

 貴族である、しかも、門閥系の我々を辺境惑星にだと・・・。

 男爵は胃の辺りにきりきりした痛みを感じた・・・。

 馬鹿げている・・・あり得ない・・・全くどうかしている!


 「ねぇ、お父様、僕達はどうなるの?お母様達やお姉様とは一緒に行けないの?そうだ・・・ねぇ、僕・・・幼年学校に入れなくなってしまうのかな・・・。それがちょっと心配なんだけどな・・・」
 父親とともに取り残された少年は怯えた表情を向ける。
 「・・・まことに残念ですが、幼年学校には永遠に入れますまい。あなた方の時間はこれより先・・・止まるのです、永遠にね」
 「何だと!?それはどういう・・・」


 男爵の鋭い叫び。

 もう、何が何だか分からない・・・。

 一体、何が起ころうとしているのだ? 

 この男は何を言おうと・・・まさか、まさか・・・そんな馬鹿な事が・・・。

 “命をもって罪を償う”・・・そんな嫌な予感が頭を過り、男爵は気が遠くなりそうだった。


 「そもそも、私達は・・・一体どこに・・・連れて行かれるのだ?」
 「・・・第13号獄舎です」


 それを聞いた瞬間に男爵の顔からは色が消えた。

 予感が・・・現実になった瞬間であった。


 第13号獄舎・・・。


 そこは、悪名名高い治安維持局が使っている特殊な獄舎だった。
 今まで行った事も見た事もないが、いわゆる拷問などを行う目的の処刑場で・・・残酷な処刑道具が揃っている“地獄”だと聞いた事がある。
 そこに遅れたら最後、生きて帰れない・・・と。


 そこへ自分達が送られる??
 何も悪い事をしていないのに・・・何故だ?
 大人だけならまだしも、10歳になったばかりの・・・まだまだ子供の息子まで獄舎に入れるとは何と理不尽な!

 まさか、処刑される事はあるまい・・・子供を処刑などあり得ない。
 茫然自失の体で俯いたまま黙り込む男爵とは対照的に、息子は未だ事態を理解していないようだった。


 「そこ・・・ここから遠いの?ねぇ、教えてよ。それから時間が止まるってどういう意味なの?」


 貴族の子供にしては珍しく素直そうな少年は、顔面蒼白の父親や無表情な軍人達に屈託ない笑顔を向けた。


 カルシュン男爵は肩を落とし、無邪気な息子を抱きしめた。

 

 (あぁ、この子に何と説明すればいいのだろう?私はどうなってもかまわないが・・・この子だけは助けてやりたい。まだたった10歳だというのに・・・)


 震える息子を抱きしめ、背中をさする男爵。

 そんな傷心の男爵に、ダンゲルマイヤー少佐は更なる非道な事を告げたのだった。


 「あぁ、忘れていました。あなた方が逮捕されたように、あなたの弟・・・確か、ニクラウス・フォン・アーレンス大尉でしたな。彼もまた逮捕されました」

 「え・・・ニクラウス・・・!!何故だ・・・?ニクラウスは真面目な軍人で・・・」

 「ええ、分かっております。実は小官は高速艦『スクルド』の副長ですから、アーレンス大尉の事は良く知っております。・・・ですが、アーレンス大尉の逮捕も、あなたと同じ罪状によるものです。オーディンまで私が護送しましたからね。観念したのか、実に大人しくしていましたよ」

 「・・・ニクラウスも逮捕だと・・・」


 男爵はこれ以上ないほど、顔を歪めて、両手で顔を覆った。

 その様子を見た息子は、「お父様・・・大丈夫?」と、震えた声で声をかけた。

 「大丈夫だよ・・・」

 男爵は息子の髪を撫でながら、ニクラウスの顔を思い浮かべた。

 気真面目で・・・正義感の強い弟の顔を。


 アスターテ会戦後に中尉から大尉に昇進し、ローエングラム候の部下の中でも、名高い良将のロイエンタール上級大将の艦隊に配属された事で嬉しそうにしていた弟の顔を・・・。

 あの会戦で弟はフォーゲル中将の艦隊に属していたが、会戦後に中将が退役してフォーゲル子爵家の家督を相続したのを受けて、配属替えになったのだった。

 あの会戦での勝利を弟は興奮状態で話してくれ、司令官だったローエングラム候の采配を凄いと言っていたのだ。

 だから、会戦後に候の部下の1人で、ミッターマイヤー上級大将と並んで良将と名高い、ロイエンタール艦隊に配置換えになった時は、「運が向いて来たかもしれない」と、本当に嬉しそうにしていたのに・・・。




 かつて、父に離縁された母が生んだのがニクラウスで、セバスティアンにとっては

12歳年下の腹違いの弟なのだった。

 母はリヒテンラーデ公の遠縁筋の娘であったが、ひどい浪費癖があり、それ故に離縁されたのだが、離縁後に金持ちの男と再婚し、その数年後に生まれたのがニクラウスであった。

 母は、自身がアーレンス男爵家の爵位を持っていた為、金持ちの男は入り婿となった。

 だが、ニクラウスが生まれてすぐに再婚相手が急死し、その後、資産の目減りでアーレンス男爵家は窮地に陥った。

 その窮状振りを気の毒に思った元夫のカルシュン男爵は、離縁した元妻にそれとなく援助を続けていた。

 何しろ、浪費癖は直らず、金持だった再婚相手の資産もすぐに底を付き、カルシュン男爵の父は見るに見かねたのだ。

 そんな縁で、ニクラウス・フォン・アーレンスはカルシュン男爵家に出入りする事を許されていたし、士官学校に入学するまでは、良く、カルシュン家に遊びに来ていた。

 そして、セバスティアンは腹違いの弟と仲が良く、彼が軍人となった後でも交流は続けていた・・・2人は仲の良い兄弟だったのだ。

 その弟まで・・・逮捕されるとは。


 あの真面目なニクラウスを逮捕状から除名する事は出来ないのか?

 何故・・・ロイエンタール上級大将は弟を助けてくれないのか?

 分からない事だらけで、カルシュン男爵は気力が萎え果ててしまった。

 

 「・・・おい・・・。ニクラウスも第13号獄舎なのか?」

 「はい」


 あまりの理不尽さに目眩を覚えた。


 「それでは、出発です。すぐに屋敷を出て下さい。そして、表の車に乗って下さいい」


 言葉は穏やかで丁寧だが、ダンゲルマイヤー少佐の言葉には棘が含まれていた。

 ダンゲルマイヤ-少佐の命令で、男爵は息子を庇うようにして立ち上がり、ゆっくりと屋敷から出た。 

 夜の冷たさが身体にしみたが、何も考える事が出来なかった。


 そして、家人の去った屋敷には、数人の兵士が警備の為に残された。

 屋敷内にある美術品やら、家財道具などを良からぬ者達が盗まぬように警備する為であって、決して、男爵の為に警護している訳ではなかった。

 

 「お父様・・・」

 「ヨ-ゼフ・・・黙って歩きなさい」


 差し出された父親の手を握り締め、少年は静かに頷いて歩き始めた。

 大通りに停めてあった黒塗りの大きな護送車に、男爵と少年は乗せられた。

 2人が乗り込むと、護送車は走り出し、悪妙名高い、治安維持局の第13号獄舎に向かってスピードを上げたのだった。


 やがて護送車は目的地に着いた。

 錆びついた鉄の門を潜り抜けて、停止した。


 「降りて下さい」


 ダンゲルマイヤー少佐に促されるままに、カルシュン男爵は息子と共に車外に出た。

 黒っぽい大きな建物・・・これが、第13号獄舎だった。

 ダンゲルマイヤー少佐は、運転席から降りて来たゲート少尉を呼んだ。


 「ゲート少尉、この子はあちらに連れて行ってくれ。俺は男爵を連れて先に行く」

 「許諾<ヤー>」


 それを聞いた途端、カルシュン男爵は身を固くした。

 ここに来て、息子と離れ離れにさせられると気付いたのだ。


 「え・・・息子を何処へ・・・」

 「ほら・・・あちらに白っぽい建物が見えるでしょう?そこに収容します。あぁ、男爵はこちらの建物の中に入って頂きますがね・・・」

 「お父様!!」

 「ヨーゼフ・・・」


 男爵は息子をしっかりと抱きしめた。

 平民であれ、貴族であれ、家族の情愛はある・・・。

 だが、ダンゲルマイヤー少佐によってすぐに引き離され、建物の中に入るように促された。

 ヨーゼフは、慌てて父親に縋り付き、ダンゲルマイヤー少佐は小さく舌打ちをしたが、急に笑顔を見せた。


 「素直に少尉と一緒にあちらへ行きなさい。そうすればきっと良い事があるからね。いい子にしていようね?」

 「良い事があるの?それじゃぁ・・・幼年学校に入れてもらえる??」

 「そうだね・・・素直にしていたらね。そうしたら、前向きに考えよう。素直な事は良い事なのだよ」


 ダンゲルマイヤー少佐の言葉を聞いて、ヨーゼフは小さく頷いた。

 それを見た少佐は満足そうに頷いて、男爵に「さぁ、歩きなさい」と促したのだった。

 ヨーゼフはただ黙って父親を見つめる事しか出来ず、男爵は何度も振り返りながら息子の身を案じた。

 息子が違う場所に収容されるという事は、少なくとも拷問を受ける事は無いと男爵は思った。

 そして、最愛の息子の姿を目に焼き付けようと何度も振り返った。


 (ここが第13号獄舎だとしても、いきなり、処刑されたりはすまい。大伯父上は帝国宰相まで務めれた方だ。その一族を取り調べも無しに処刑など、人道的見地から言っても・・・)


 そして、男爵は先に到着していると思われた、弟のニクラウスと話をする事が可能だろうかと考えた。


 現在の時間は午前2時半を過ぎ、あと10分ほどで午前3時であった。


 「ねえ、どうして僕はあっちの建物にいかなくてはいけないの?」

 

 少し離れた場所にひっそり建っている白いプレハブの建物。

 そこをヨーゼフは指差した。


 「済まないね。まだ任官し立てなので、詳しい事を知らされていないのだ。ただ・・・あそこの建物には同じくらいの年の一族の子達がいるはずだよ」

 「あ、そうなんだ・・・。じゃぁ、従兄弟達とかがいるんだね。1人じゃないなら良かった。・・・ねえ、朝になったらお父様に会えるかな?」

 「あ・・・あぁ、そうだね・・・朝になったらね。さぁ、行こうか。足元が暗いから気を付けて」

 「あ、うん、ありがとう」


 ヨーゼフは、自分を気遣ってくれる少尉に素直に礼を言った。 

 いつも父親から、人に親切にされたら、それがたとえ貴族でなくてもお礼を言うように言われていたからだった。

 少尉は、少年に“ありがとう”と言われて、ドキっとした。

 

 「どうして、『ありがとう』って言うんだい?」

 「だって、足元が暗いから気を付けてって・・・。だから、言ったんだ、僕」

 「あぁ・・・そうだったのか」

 「うん。いつもね、お父様からね、『人に親切にされたらキチンとお礼を言いなさい』って言われてるんだ」


 その言葉を聞いて、少尉は重たい気分になった。

 詳しい事は知らされてはいなかったが、15歳以上の大人達は夜明け前までに全員射殺される事が決まっていた。

 父親には・・・生きて会えないだろう。

 会えたとしても、遺体との対面になるだろう。

 いや・・・それすらも出来ないに違いない。

 何故なら・・・昼前に少年達はガスで殺される事が決まっていたからだ。

 だから、この子が父親に会えるのは・・・ここよりも遥かに遠いヴァルハラで・・・になるだろう。


 「幼年学校に入れるといいのだけど・・・。少佐だっけ?あの人、前向きに考えてくれるって言っていたよね?」


 少年の言葉に、ゲート少尉はますます気分が重くなった。

 ダンゲルマイヤー少佐の言葉を心から信じ切って、笑顔を見せるヨーゼフ。

 何と説明したらいいのだろうかと、ゲート少尉はますます暗澹たる気持ちになった。

 だが、余計な事を言って泣かれても困るので、少尉は何も言わなかった・・・いや、言えなかった。


 貴族の子供は全て度し難いと思っていたが、この子は・・・全く違っていた。

 少なくとも・・・カルシュン男爵は、子育てに関してはかなりまともなのだろう。

 無理だとは分かっていたが、助けられるものなら、助けてやりたい・・・少尉はそんな事を考えた。

 そして、重たい気持ちのまま、少年を白いプレハブ小屋に連れて行った・・・。

 


 後年、カルシュン男爵邸に踏み込んだ兵士の1人、ヨハン・ゲート(当時少尉)は当時を回顧した手記を出版。



 『10歳になったばかりで、幼年学校に入りたがっていた貴族の少年は、護送される間も私にしきりに幼年学校の事を聞いてきた。しかし、私が爵位のない平民で、士官学校へは行ったものの、幼年学校には行っていない事を知ると急に黙り込んでしまった。行った事のない者に聞いても無駄だと悟ったのだろう。少年が黙ってくれたおかげで私もホッとした。私達は一家を第13号獄舎まで護送したが、男爵を含めて各地から集められた一族の男達は、ほどなくして全員銃殺刑に処された。10歳から14歳までの少年達は銃殺だけは辛うじて免れたが、大人達が処刑された7時間後に、全員が一か所に集められて、毒ガスで一瞬にして処刑された事を知った。あの少年もその中にいたのだろう。助けられるのなら、あの子だけでも助けてやりたかった。少佐を信じ切っていた少年が哀れだった。捕らえられた全員が処刑された事を知った瞬間に、私は何ともやりきれない気持ちにかられた。長い軍生活の中で、あの一件だけは忘れようにも忘れられない。あれから何十年経った今でも、私におぞましい悪夢を見させ続けるのだ・・・』




Das Ende




 100のお題より、「壊れた時計」です。


 このタイトルを使って、リップシュタット戦役直後の・・・闇の部分を描いてみました。
 エルフリーデの事は描かれているものの、他の親族はどうだったのか?
 原作で詳しく描かれていなかったので、物凄く気になりました。


 あえて、原作にはかかれていなかった部分を自分なりに補ってみた感じです。


 リヒテンラーデ一族は、どういう末路を辿ったのか?
 10歳以上の男子は処刑ですから、『壊れた時計』を“永遠に時が止まる”・・・としてみました。
 自分達は安泰だと思っていただけに、何とも哀れな末路です。
毒ガス・・・某国の悪しき歴史のようだ・・・。<しかも、帝国軍とダブるしなぁ・・・。
 自分で書いててイヤになりました・・・だって、暗すぎるんだもん。


 カルシュン男爵一家やゲート少尉はオリジナルです。
 ゲートって名前は・・・スティーブン・スピルバーグ監督の映画「シンドラ-のリスト」に出てきた第二次世界大戦下のドイツ軍の将校の名前を使わせて頂きまし
た。
 あ、その人はヨハンじゃなくて、アーモン・ゲートでしたけどね。(多分、ドイツ語読みだとアルマンになると思うなぁ・・・名前)
 あの映画はホロコースト物だったのですが、3時間半ぐらいあったのに映画館で、6回は見ました・・・。
 ビデオで借りて見たり、とにかく沢山見ました。
 部分的に、パートカラーで取った箇所もありましたが、前編に渡ってモノクロという手法で撮られた映画。
 勿論、原作も持っていまして、何度も読み返しました。

 結局、特別編のDVDまで買ってしまいまして・・・特典映像はドキュメンタリーで、映画に出て来た人達の証言集で本当に重たい。
 スピルバーグ監督自身も、ユダヤ系なので、あの映画は本当に重かったです。


 ここから先は12/14に書いています。


 この一件があるから、後のロイエンタールとエルフリーデの出会いがあり、ロイエンタールが墜ちていくきっかけにもなってます。


 貴族の少年だと言っても、全て度し難い訳ではなく、優しい心根を持った少年だっていたでしょう。

 少なくとも、カルシュン男爵一家は、そういう人達だったのかもしれません。

 

 ヨーゼフ君・・・助けてあげたかったよ・・・素直な子だし。

 誕生日が踏み込まれた当日とか、または、10歳になるのは翌日とか・・・そんなのだったらまた違う話になったかもしれませんが、彼が10歳になったのは踏み込まれた日の一昨日なんですね。


 だからこそ・・・悲劇なんですよ。


 ラインハルトやその部下達が目立ってしまいますが、そうではない人達に光を当てると、銀河英雄伝説は違った見方も出来るかも・・・。


 キルヒアイスを殺した真犯人を捕らえるという名目の元、手始めに血祭りにあげられたリヒテンラーデ公の一族は気の毒でなりません。


 リヒテンラーデ公だけ捕らえてオシマイ・・・ではないところが恐ろしい。


 加筆修正版には、男爵の弟の、ニクラウス・フォン・アーレンス大尉を出しました。

 このキャラはオリジナルです、勿論。


 私が思うに、リヒテンラーデ一族の中には、軍人もいたのではないかと。

 その人達は、多分、全員、ローエングラム・リヒテンラーデ枢軸にいたと考えられます。

 リヒテンラーデ公が手を回してでも、一族に繋がる人なら、自分の側にしたはずですし、そうなると、ラインハルトの部下のそのまた部下に、そういった人々が配属になっているはずなのです。

 それで、もういっそのこと、ロイエンタール艦隊にしてしまえ!!

 その方が説得力がある!!ってんで、ロイエンタール艦隊にしてしまいました。

 ミッターマイヤー艦隊にしなかったのは・・・まぁ、その方が良いかな??と。

  

 きっとね・・・アーレンス大尉はまともな人だったんじゃないかと思います。

 後ろ暗い所のない気真面目で、正義感の強い高潔な人。

 単純に、ロイエンタール艦隊に配属になった事を喜んだんじゃないかと。

 まぁ、ミッターマイヤー艦隊だったとしても結果は同じだったと思いますね。


 貴族の中にだって、真面目な人がいるはずです。

 全部が全部・・・ヘンな人という訳でもないでしょう。

 アンネローゼの友人の1人であるシャフハウゼン子爵夫人の夫、シャフハウゼン子爵はそういう人だったみたいで、原作にも、「突然変異的に善良な人物」と描かれていますしね。

 平民出身のドロテーアと結婚する為に、あちこちにお金をばらまいて、資産を半減させてでも彼女との愛を貫く・・・凄い人です。


 そんな訳で、リヒテンラーデ公の親戚と言うだけで、銃殺されるのは・・・気の毒です。 

 もし、シャフハウゼン子爵やヴェストパーレ男爵夫人がリヒテンラーデ一族だった場合も同じ運命を辿ると思いますしね。

 それに、男爵の母は、リヒテンラーデ公の遠縁筋の娘ですから、彼女も生きていたら、辺境送りでしょうね・・・うーん、やっぱり気の毒です。


 さて、今回、ニクラウスを登場させた事で、インスピレーションが湧きまして。


 「壊れた時計(アーレンス編)」を最近、やっと完成させました。


 実は、何の問題がないように見えまして、弟のニクラウス君にも問題はあります。

 それも、かなり重大な。


 それから、初出版には名前がなかった少佐ですが、ダンゲルマイヤーという名前を付けました。

 フルネームだと、アロイス・ダンゲルマイヤーです。


 ダンゲルマイヤー少佐は、カルシュン男爵の弟のアーレンス大尉の話の方にも出てきます。


 「壊れた時計」のカルシュン男爵の話を加筆修正しながら、新作でアーレンス大尉の話を執筆していましたが、まぁ、アーレンス編もアップ後に加筆修正するかもしれません・・・多分、そうなるだろうな。


 原作ではリヒテンラーデ一族の末路に関しては、エルフリーデの話が出て来るだけで、その他の人達の事は分かりません。

 行間を埋める作業は・・・時として、残酷な部分を抉り取る作業になります。

 でも、これは書かないといけないと思いました・・・だって、光があれば闇がある。

 闇の記憶・・・忘れてはいけないんですよ。

 架空の歴史物とは言え、あの世界の中では、“実際”に起こった事なのですから。

 

 最後に。


 初出版では殆ど出番の無かったゲート少尉の事をきちんと書く事が出来たので、最後の手記が・・・物凄く重たくなりました。

 その重たさは・・・初出版の比ではありません。

 でも、少尉をちゃんと書いた事で、この手記が生きました・・・!