あの内戦の時、私は家族との写真以外はあまり私物を持って来なかったが、閣下は華やかな色合いの、とても華奢なガラス製のグラスを1つ持参しておられて、よくそれを黙って眺めていらした。
「キレイな色合いですね・・・」
「ベネチアングラスだ。とても大事な物でな・・・」
閣下は、またグラスを見つめられて、微かに微笑まれた・・・。
閣下の亡くなった後、私は運良くオーディンに帰れる事になった。
ただ、これに関しては、キャゼルヌ中将やヤン夫人、ユリアン達が多少なりとも尽力してくれたお陰で実現した事であり、私は、今後も彼らには頭が上がらな
いだろう・・・。
宇宙暦801年(新帝国暦3年)8月末・・・。
閣下の遺品を持って懐かしいオーディンに降り立った私であったが、首都がフェザーンに遷都された後のオーディンは以前のような活気はなく、幾分寂れた感じが拭えない。
私の家は・・・内戦のさなかに母が自害し、すぐ上の兄は当時も入院生活をしていたが、半年ほど前に病没していた。
中立の立場を通したシュナイダー子爵家は父と兄が生き残っていたが、表舞台には出ず、ひっそりと暮らしているようだった。
オーディン中心地にあった本邸を売り、父は田舎の領地に引っ込んでいた。
爵位があってもこれからはそれだけでは食べて行かれないのを自覚した兄は、生活の為に会計士の資格を取って、独自に生計を立てているようだった。
今はオーディンの市内の小さな賃貸アパートで1人暮らしをしていた。
役所で兄の消息を確かめると、私は兄の勤める会計事務所に出向いた。
兄に会うと、兄は私の無事を喜びながら大きく息を吐いた。
「時代が変わったのだ。もはや、貴族然としてふんぞり返る時代ではない」
兄はそう言って、現在は仕事に追われる生活を送っているようで、田舎に引っ込んだ父を身を案じながら、それでも前を見据えていた。
内戦前、兄はどちらかと言うと鷹揚に構えているだけの人だったので、人間・・・変われば変わるものだと思った。
「ベルンハルト・・・父上のおられる田舎へ行くのか?」
「多分・・・。でもその前にやらねばならぬ事があるのです」
「ん?」
「私の上官だったメルカッツ提督のご家族に会って、その遺品を渡しにゆかねば・・・」
「そうか」
「それから・・・親友の家も訪ねようかと思います。でもその前にまず、提督のご家族に」
「分かった。それが済んだら、1度うちに寄ってくれ。私も父の所に一緒に顔を出すから」
「分かりました、兄上」
私は兄に挨拶をすると、閣下のご家族が健在かを調べるべく、また役所に出向いた。
閣下から、奥様のご実家・・・つまり旧姓を聞いていた事があったので、マレーネ・フォン・メルカッツまたは、旧姓のマレーネ・シュトラインで調べてもらった。
1時間後、シュトライン家の所在が見付かり、オーディンから遠く離れた田舎町、アーフェンにいる事が分かった。
所在が分かっただけでも、私の気持ちは少しだけだが、軽くなった。
翌日の朝早く、私はホテルを出ると、アーフェンに向けて出発した。
「会って下さるだろうか・・・」
不安になる。
そんな私の心を反映するかのように、空は薄曇で、雨が降りそうな気配であった。
アーフェンが近付くにつれて私の気持ちは固くなっていた。
私は閣下のご家族にはあまり会った事が無い・・・。
閣下は仕事を家庭に持ち込む事をあまり快くは思っていらっしゃらなかったので、無粋な真似はしたくなくて、閣下を迎えに行っても、家の中にまで入った事は1度もなかったのだ。
それに私だけが生き残った事をご家族が見てどう思うか・・・を考えると、気持ちが沈んで来るのだった。
おまけに拒絶されるのが怖くて、連絡せずに・・・の訪問だったのも、緊張する原因であった。
田舎だからか、家が少ししかなくて、目的の家はすぐに見付かった。
2階建ての古い家・・・貴族の住まいとはとても思えない・・・であった。
提督の奥様は平民出身なのだから仕方ないのだが、あまりにも質素な作りであった。
急に雨が降り出し、私は大きく深呼吸をして、呼び鈴を鳴らした。
「どなたですか?」
顔を出したのは、30代前半と思われる女性で・・・閣下のお嬢さんだと思われた。
「あの・・・」
言葉に詰まったものの、私は勇気を出した。
「はじめまして・・・。え・・・っと。私はベルンハルト・フォン・シュナイダーと申します。メルカッツ提督の副官を拝命しておりました・・・」
汗が吹き出し、私の鼓動は早くなった。
「しておりました」と過去形で言わなければならないのが心苦しい。
「え・・・父の副官の方・・・」
驚愕の表情の女性は、「少々お待ち下さいませ・・・」と言い置くと、ドアを閉めて家の中に引っ込んだ。
降りしきる雨の中、10分ほど待ったであろうか、初老のご夫人が現れて、私に、「夫の副官だったと言うのはあなたですか・・・。何の御用ですか?」と硬い表情をされていた。
そう言ったまま、夫人は顔を覆われた。
「・・・立ち話もなんですからお入り下さい」
私は夫人に促されるままに居間に通された。
居間には2人の娘さんがいた。
夫人は、「娘達です。長女のゾフィーと、次女のマリアベルです」と紹介してくれた。
「お母様・・・お祖母様には・・・」
長女の問いに夫人は首を振った。
「お祖母様・・・?」
「義理の母です。90歳を越しまして・・・。本当は義母にも知らせたいのだけど、最近、自分の事も家族の事も分からないようになってしまって・・・。今、隣の部屋で寝ているのですけど、後で私の方から話してみます・・・。理解出来るかは分かりませんが・・・。それはそうと・・・娘達も一緒に話を聞いてもいいですね?」
「・・・単刀直入に申し上げます。閣下の・・・遺品をお持ちしたんです」
「遺品ですって?あぁ・・・やはり・・・」
夫人は硬い表情で私に確認された。
「ええ・・・その方が私としても・・・」
それだけ答えて、私は勧められたソファに座った。
閣下のご母堂がご健在であられる事が何とも言えず、私は暗い気持ちなった・・・息苦しささえ感じる。
その時、気を紛らわす為に見回した先に飛び込んで来たのは古びた木製のキャビネット・・・。
そこには、キレイに並べられた、幾つものベネチアングラスがあった。
そして、その中には閣下の持っておられたのと同じ物も・・・。
いや、ここにある方が小振りだった。
「あ・・・ベネチアングラス・・・」
私が呟くと、マリアベルが「興味がおありですの?」と淹れ立てのコーヒーカップを私の前に置いて聞いてきたので、私は少し頷いた。
3人が私の前に座ったので、私は持って来たアタッシュケースを開いて幾つかの遺品を取り出した。
まずは軍服一揃いとベネチアングラス。
閣下の遺されたこの軍服は・・・旧帝国軍の軍服である。
ローエングラム王朝になってから、帝国軍の軍服は新調され、デザインが一新された。
閣下はこだわりがあったのだ・・・同盟軍の軍服に袖を通す事はなく、閣下と私は旧帝国軍の軍服を着続けた。
それを説明し、私は閣下の軍服を夫人に手渡した。
その古い軍服を手に取られた夫人が、「この軍服をずっと?」と私に問うた。
「はい。私も閣下もそれを着ておりました」
私の言葉を聞いて、夫人は軍服を抱きしめた・・・そして、「ずっと着ていらしたのね・・・律儀なあの人らしいわ」と微笑まれた。
そして、軍服に向かって・・・「おかえりなさいませ」と・・・。
夫人はソファーの上に大事そうに軍服を置いて、今度はテーブルの上に視線を落とされた。
「あぁ・・・このグラス・・・」
夫人は小さく呟き、立ち上がると、木製のキャビネットから、閣下のとそっくりなグラスと小さな箱を取り出した。
「これと、それは・・・対のグラスなんです」
「あぁ・・・やはり・・・そうでしたか。先程、似ていると思っておりました」
「主人は殆ど趣味の無い人でしたが、私がベネチアングラスが好きなのを知っていて、誕生日や、記念日には必ずベネチアングラスを贈ってくれたんです。かなり値が張るので私が心苦しいと言うと、『なに、選ぶのが好きでな』と笑って申しておりましたから、これがあの人の趣味と言っても良いくらいでした。大抵は・・・こういうペンダントや一輪挿し等を送ってくれたんですが、出征前に私に下さったのはこのグラスだったんです。そして、小さい方を戦場へ持って行くと言って・・・。今までそんな事なかったので驚きましたわ・・・」
小さな箱には綺麗なペンダントトップが収められていた。
このペンダントも出征前に、閣下が夫人に贈られた物らしかった。
夫人は2つのグラスを持って見つめていたが、やがてこらえきれなくなって、嗚咽を漏らし、マリーベルが母親の背中をそっと擦った。
私は「閣下は・・・そのグラスをとても大事にされていました」と言ったが、これは嘘ではない。
閣下は割れないように大事に梱包していたし、亡命した後も、このグラスは閣下とともにあったのだ。
「あの人は今までどこにどうして・・・」
「話せば長くなりますが・・・」
私はそう前置きをして、閣下と自分とが辿った道を話した。
リップシュタット戦役の状況、そして、亡命の事。
そしてその後の事・・・。
閣下が亡くなられたのは、宇宙暦801年6月1日である。
現在の帝国暦で言うと、新帝国暦3年である。
そう・・・たった2か月前までは閣下は生きておられたのだ。
「じゃぁ、父は、頼ったヤンという人が死んだ後も同盟に残った訳なのね?」とゾフィー。
「・・・義理堅い人だったけど、どこに行ってもそうだったのね」とマリーベル。
「最後まで主人と一緒にいて下さって有難うございました。あなたのような方が副官で良かったわ」と夫人は微笑まれた。
家族と断絶するきっかけを作った私は責められると思っていたが、逆に労いの言葉を掛けられてしまった。
「あの・・・お写真が幾枚かありまして・・・」
私は十数枚のホログラフィをテーブルに出した。
ディスクのスイッチを押す。
現れた画像は、屋外のパーティで微笑む閣下の姿だ。
ヤン提督以下、主だった人々は出席したし、私達も参加させて頂いたのだ。
写真を撮って下さったのはフィッシャー提督だった。
その外にも新年会でポプラン中佐にそそのかされて、『あっち向いてホイ!』なるものを真剣にされている閣下のホログラフィーもあって・・・。
どの写真も実にいい笑顔である。
写真を見た奥様も2人のお嬢様も息を飲まれて、口々に「珍しい・・・。お父様が・・・笑ってる・・・」と意外そうに呟かれた。
夫人が、出征前に撮った写真スタンドを幾つかチェストの上から取り上げた。
「・・・主人は、いつもこういう顔ばかりだったんです。笑顔の写真は1枚もないのです。出征直前に写真でも主人だけ真面目な顔でしょう?」
手渡された写真スタンド。
確かに笑っているものは1つもなかった。
「閣下はヤン提督を頼られて・・・。ヤン提督も、閣下を厚遇しし下さまいした。だから、ヤン提督が亡くなられた後も最後まで義理を果たす事が出来たのです。ヤン提督のお陰もあって、私達は卑屈にならず、あそこに自然に溶け込む事が出来たんです。自由に生活出来たので、閣下は本当に楽しそうでした・・・。どうか、この写真をお受け取り下さい」
3人が思い思いに写真を眺める姿を見ているうちに、それまで家族の手前、決して泣くまいと思っていた私も、声が掠れて思うように出なくなり、目頭が熱くなった。
私は・・・ご家族でも知らなかった閣下の笑顔に接していた事に心が熱くなった。
何と・・・恵まれていたのだろう?
私なんぞが生き残って・・・閣下が、この世の中のどこにもおられないとは・・・。
メルカッツ提督のご家族の元には2時間ほど滞在し、閣下の思い出話をして私は辞した。
外に出た時、雨はすっかりあがって、空は雲の切れ間から陽光が差していた。
閣下のご家族に会う・・・目的が達成された事で、気持ちが軽くなり、景色を楽しむ余裕も出たのだ。
これからの生活・・・まぁ、どうやっても生きていく自信はある。
そして、私はバッグから小さなベネチアングラスを取り出した。
閣下の持っていたモノでは無いが、夫人が、閣下が大切にされていた小さな小鉢のような物を下さったのだ、「どうか、お持ち下さい」と・・・。
私はそれを陽に翳して、「閣下・・・。これで良かったんですよね・・・」と小さく呟いた。
閣下が「有難う」と言ってくれたような気がして、私は後ろを振り返った。
心地好い風が吹き抜け、私は背筋を伸ばして歩き始めた。
Das Ende
100のお題より、「ベネチアングラス」です。
メルカッツ提督のご家族の事は『冬の雀』でも描きましたが、どうしても書きたかったんです、続きが。
そんな訳でシュナイダー氏にご登場願いました。
原作で、遺品を持ってオーディンに帰ったとの記述の後の事が書かれていなくて、凄く気になっていたんです。
落ちはイマイチでしたが、まぁ、こんなところで・・・文才がないですから。
この後ですが、シュナイダーはもう1度役所に行って、ザンデルス家の事を調べます。
そして、ファーレンハイトの副官だったザンデルスの実家を訪ねようとします。
その物語はまたいずれ・・・アップしたいと思います。
因みに、シュナイダーが子爵家の出身というのは私の勝手な設定です。
以前、知人のサイトに頼まれて、シュナイダーとザンデルスの小説を書いた事がありまして、その時に、そういう設定をしました。
この2人の話もいずれはアップするつもりですが、シュナイダーは爵位のある家の三男と言う設定で、ザンデルスの同期という事になっていたりします。
亡命直前のシュナイダーとメルカッツの話なんかもあるし、これもその内にアップしたいと思います。