戦艦ブリュンヒルト・・・。


 宇宙港に係留されているこの戦艦を改めて見たいと言い出したラインハルト。
 それで休暇を利用して2人で観に行った。
 整備兵が、「こちらからどうぞ」と案内してくれたが、ラインハルトは鷹揚に頷いただけで顧みる事も無くスタスタと歩き出す。
 キルヒアイスは慌てて兵士に「ありがとう」と礼を言い、先を行くラインハルトを追いかけた。
 



 この日は朝からラインハルトは機嫌が悪かった。
 コーヒーを飲むにしても、乱暴にクリームをドバドバと入れているし、動作の端々に苛立ちが見て取れた。
 おまけに殆ど口を利かずに、ふて腐れているのだ。
ラインハルトの怒りの原因が自分では無い事は分かっていたが、そばにいるキルヒアイスも困惑していた。
 せっかくの休暇なのにこれでは・・・。
 朝から晩までこの状態では、ラインハルト自身も疲れるに違いない。


 「あの・・・ラインハルト様、どうかなさったんですか?」 
 
 重苦しい雰囲気に耐え切れずにキルヒアイスが声をかける。


 「どうもしない」


 間髪入れずに返事をするが、鰾膠<にべ>も無い言い方にキルヒアイスは苦笑するしかなかった。


 「・・・何かあったのでしょう、ラインハルト様?」

 キルヒアイスが再度声を掛けると、ラインハルトは彼の顔をじっと見る。
 そして、「・・・お前には隠し事は出来ないな・・・」と呟いてから、堰を切ったように話し始めた。


 「・・・聞いてくれ、キルヒアイス。腹立たしいが、馬鹿貴族の連中が『ブリュンヒルト』の事を・・・」
 「・・・え、下賜されたこの戦艦がどうかなさったんですか?」
 「あいつら・・・こともあろうに、艦の事を『ティンテンフィッシュ』とか言っていて・・・」 
 「え・・・『ティンテンフィッシュ』ですか!?」


 さすがのキルヒアイスも驚いて目を丸くする。
 ラインハルトの旗艦として与えられた戦艦「ブリュンヒルト」は先頃、皇帝陛下からラインハルトが直接下賜された艦だ。
 白く輝く最新型の戦艦で、まるで芸術品のような美しい外観の戦艦である。
 ラインハルトが皇帝に、心から礼を言ったのは初めてではないか?と思うぐらい、目映いばかりの新造艦に対して、純粋に、手放しで喜んでいた。
 それぐらい、「ブリュンヒルト」は、他の戦艦とは一線を画す、斬新なデザインと機能を兼ね備えた戦艦だったのだ。


 「・・・そう、ブリュンヒルトの事を『ティンテンフィッシュ』に似ていると、あちらこちらに吹聴している奴がいる」
 「いったい誰がそんな事を・・・」
 「・・・どうやら、出所はあのフレーゲルらしいけれどな」
 ラインハルトは吐き捨てるように言う。
 「あぁ・・・あの・・・」


 キルヒアイスはブラウンシュヴァイク公の甥の、おかっぱ頭の目付きの悪い男爵の顔を思い出して苦笑した。
 あの御仁は意地悪の星の下に生まれたのではないかと思うぐらい、ラインハルトを目の敵にしている。
 仲間の貴族連中と徒党を組んで、あれこれと、ラインハルトに関するとんでもない事を吹聴して回っている。
 普段なら無視しておけばいいのだが、「ブリュンヒルト」を馬鹿にされたのがよほど腹に据えかねたのだろう。
 それで、ラインハルトは激怒していたという訳だ。


 「ラインハルト様、宜しいではありませんか、何に似ていようとも。私はアレよりは数段マシだと思いますよ。この白い艦には、ちゃんと『ブリュンヒルト<美姫>』という素晴らしい名前があるのですから・・・」
 「あぁ、まぁな・・・え、アレとは何の事だキルヒアイス?」
 ラインハルトはキルヒアイスに聞き返す。
 一瞬、彼が何を言おうとしているのか分からなかったからだ。
 
 「・・・ヘーシュリッヒ・エンチェンです」


 その名前を聞いた途端に、ラインハルトは顔を顰<しか>めた。
 思い出したくもないその名前。
 そして・・・早く忘れてしまいたい、あのとんでもない任務をも思い出した。


 それは、ラインハルトが中佐の時に乗っていた巡航艦だった。
 軍章の中に奇妙なアヒルのイラストが描かれていた艦で・・・。
 しかも、艦の名前は・・・『みにくいアヒルの子』という意味だったのである。
 古典の名作童話から取った尊い名前だと言われたが、あのマーキングを見れば、侮辱以外の何者でもなかった。
 
 『金髪の孺子に似合いの艦<ふね>ではないか』


 「ヘーシュリッヒ・エンチェン」がラインハルトの乗る艦に決まったと聞いた時、彼を毛嫌いしている門閥貴族の連中は嘲笑の対象にしていたらしい。


 「・・・確かに、アレよりは遥かにマシか。それに、良く良く考えてみれば、あの艦だって名前に似ず、立派な働きをしてくれたしな。・・・うん、確かに名前じゃないな。・・・要は与えられた物で何を成すか・・・だな」
 「そうですよ、ラインハルト様」


 キルヒアイスは、機嫌を直して力強く言い切ったラインハルトにホッとして、柔らかく微笑んだ。


 「よし・・・何だか気が楽になった。・・・コーヒーを飲もうかな」


 やっと笑顔を見せたラインハルトに、キルヒアイスはクリームをたっぷり入れたコーヒーを淹れた。


 ラインハルトは、下賜されたばかりの戦艦に想いを馳せて、さっきまでとは打って変わった優雅さでコーヒーを味わい、急に「なぁ、キルヒアイス。今日のこ
の休暇を利用して観に行くか」と言い出した。
 「観に行くって・・・何をですか」
 「決まっている」
 「なるほど・・・ブリュンヒルトですね」
 「・・・そういう事だ」



 こうして・・・今、戦艦ブリュンヒルトの艦橋にいる。


 「・・・この艦は俺の艦だが、艦長は別にいるのだったな」
 「はい、この艦の艦長は、カール・ロベルト・シュタインメッツ大佐です。経歴を見ましたが堅実な士官です。平民出身でこの地位ですしね。なお、平民出身で、ある程度の地位にある場合、貴族の後ろ盾があったりする事もありますが、大佐の場合はそれもありませんから、実力でこの地位にあるという事です、ラインハルト様」

 ラインハルトは、シュタインメッツの背後に、貴族の後ろ盾が全くない事に満足だった。

 これからも、より多くの優秀な人材をあちらこちらから集めなければ・・・。


 「・・・これからも、より多くの人材確保に尽力しなければな。誰もがお前ほどの実力はない」


 ラインハルトはキルヒアイスに笑いかけ、「・・・買いかぶり過ぎですよ、ラインハルト様。でも、これからは出来るだけ、平民出身の実力ある者に機会を与えて下さい。早くそのような社会になってほしいと思います」
 「そうだな・・・。実力のない貴族が家柄を笠に着て軍の上層部を牛耳っているようでは、いつかは破綻してしまうだろうからな」
 そう言って笑顔を見せるラインハルト。


 ラインハルトのその笑顔を見て、キルイアイスは(もう、“名前”の一件は忘れてくれたようだな・・・)とホッとしていた。




Das Ende




 100のお題より、「名前」です。

 「ティンテンフィッシュと」は、ドイツ語で「イカ」の事です。
 何となく、ブリュンヒルトは烏賊に似ていると思い、この話は出来ました。


 私が使っているキーリングは・・・銀色の真鍮製のブリュンヒルト^^@
 もう、ボロボロなんだけど、ずーっと使ってます。
 コレクションとして保管してもいいのだけど、使ってしまったのでそのまま使い続けてますが、うちのダンナは戦艦だと思ってなかったみたいで、「イカのキーリングって呼んでて、普通の人にはイカに見えるようです・・・特に先端部分が。
 
 そう考えると、ミュラーの新型戦艦の「パーツィバル」はどう見てもエイに似ていて・・・って言うと、キルヒアイスの乗っていた「バルバロッサ」は伊勢海老かロブスターってところでしょうか・・・。(爆)
 他の戦艦は・・・マッコウクジラとか、そんな感じか・・・??

 
 ヘーシュリッヒ・エンチェンはOVA外伝『奪還者』に登場しますが、ホント、あのマーキングは爆笑です。
 因みに、この時もライ&キルの上官は、レンネンカンプさんなんです・・・昔は上位者だったのにねぇ。(笑)

 最初は名前って事で、スーン・スールの話もいいな・・・とか思ったのですが、こんな短編になりました。
 
 ダンナがキーリングを見て「イカ」と言ったのと、魚屋さんの店先で、大量のイカを見たのが、この話が出来た原因でしょうね、きっと・・・。(爆)


 それにしても、ラインハルトとキルヒアイスの二次小説なんて、メジャーどころのキャラですよねぇ・・・王道?


 ラインハルトはキルヒアイスの前では、少年っぽさが出ていましたので、こんな感じになったのですが、ラインハルトから少年っぽさが消えたターニングポイントは、キルヒアイスとオーベルシュタインの出会いであると思います。
 なので、キーパーソンはオーベルシュタインだろうね。
 ここから・・・2人の間に亀裂が・・・。
 それまで良好だった分、悲しくなるんです。


 私が書くライ&キルは、それよりも遥か前の2人だったりします・・・他の二次小説も。

 オーベルシュタインは嫌いではないのだけど、キルヒアイスの事を考えると、やっぱりねぇ・・・^^@

 読み始め当初は、まさか2巻でキルヒアイスが死んじゃうなんて・・・と、戸惑いましたですよ。
 そして、「オーベルシュタインなんか嫌いだぁ!!」ってなりました。


 余談ですが、数年前に宝塚歌劇月組の『飛鳥夕映え-蘇我入鹿ー』を観に行った時に、入鹿が朝鮮三国の使者を迎える儀式で城内に入る際に、「剣をお預かりします。他の方もそうなので」みたいな事を言われて、渋々、腰の剣を差し出して丸腰状態になるシーンがありました。

 そして、中大兄皇子や中臣鎌足らに急襲されて命を落とす・・・まさに悲劇です。
 この舞台・・・蘇我氏が主役なんです。
 彩輝直(あやき・なお)さんのトップお披露目公演だったんですけど、主人公の蘇我入鹿役。
 敵役を主役に据える・・・凄いわ・・・と思いました。


 私は、剣を差し出したシーンを3列目のど真ん中で見ていまして、「・・・入鹿がキルヒアイスに見えて来た・・・(殺されるのが分かっているから)」と思ったのですが、一緒に行った友人が、芝居が終わったあとで、「うさけさん。あのシーンの入鹿がキルヒアイスに見えちゃった」って^^@

 ・・・2人とも銀のファンなのですが、同じ事を考えていたらしいです。


 日本史だと、蘇我氏は悪者っぽくされてて、中大兄皇子や鎌足の功績がクローズアップされがちな645年の「大化の改新」ですが・・・。
 入鹿側から見たら、王子と鎌足が、特に鎌足が策士っぽくてね・・・まさに2人が悪の権化に見えてしまいました・・・。
 そして、ハッとしました。
 今まで私はどちら側から歴史を見ていたんだろう??って。
 多分・・・王子側から歴史を見てたんだ!って再認識させられましたよ。

 だから、歴史は一方の面からばかり見てもダメなんだな・・・と思ったものです。


 私が銀河英雄伝説に引きつけられる魅力が、まさにそこにあるのかもしれません。
 だって、読んでいる時に、思い入れのキャラの立場で読んだら、考え方が変わっていく自分がいて驚きました。
 同盟サイドに思い入れが強い時は、帝国に腹が立ったし、反対に、帝国のキャラに思い入れがあった時は、同盟がイヤだったし。
 これは、リアルでも言えます。
 自分の信じる政治体制によって考え方なんて変わるし、どっちの主義主張も、それぞれの立場に於いて正義なんだな・・・って事に。
 それに気付かせてくれたのが銀河英雄伝説だったんです。


 あぁ、奥が深い・・・。