“フェザーン商人”だと身分を偽ってオーディン入りしていたユリアン達であったが、滞在はあっと言う間に過ぎて行った。
そして、“ 楽しい時間”は、“そうでない時間”よりも、あっという間に過ぎ去ってしまう。
時間の流れは人によって感覚が異なるが、この数日間はあっと言う間ではあったが、実に充実していて、満足のいくものだった。
一通りの調査やデータ収集も終えたし、親不孝<アンデューティネス>号は、いよいよ明日の午後には、フェザーンに向けて出航する予定だった。
ワーレンの好意で、フェザーンまでの片道分の燃料の供給も受けられたし、これからどうするか考えるにしてもフェザ-ンに1度は戻るしかなかった。
早くヤンの元に合流はしたいが、焦ってもこればかりは仕方がない。
「まぁ、なんだな。昔から、“慌てる乞食は貰いが少ない”って言うからな。取りあえず、フェザーンを出てから、ハイネセンに行くか、そうでないか・・・を決めればいいさ」
ボリスは、マリネスクにフェザーンに着いてからの細かい指示を先に出し、マリネスクは「それじゃぁ、着いたらさっそく取り掛かりますよ。いや、着く前にやっておきましょう。こういうのは早いに越した事はありませんからね」と、頭の中であれこれ考えているようだった。
フェザーンに着き次第、食料品を山のようにこの船に積み込む予定で、マリネスクは知り合いの業者の算段を始めたのだ。
「・・・マリネスクは優秀な事務長だからな。・・・任せておけば安心さ」
「はい。ところで、今日はこれから憲兵隊本部へ行かれるのですか?」
早朝に憲兵隊本部から連絡があったのだ。
「あぁ・・・。オットテールの件でな。そうだ・・・ユリアンも一緒に行かないか?それでその後は、ワーレン提督の所に顔を出す。明日出向だからその挨拶をしにな。一応、礼を尽くしておかないとな」
「・・・それはそうですね。それじゃ、ご一緒させて頂きます」
朝から激しく降り続いた雨は漸く上がり、日差しが出てきた。
だが、ムッとした湿気を含んだ空気が漂っている。
ボリスとユリアンは、先程まで、憲兵隊本部にいた。
時刻は午前11時を少し過ぎたところ。
2人は、地球で不慮の死を遂げたオットテールへの見舞金を受け取って憲兵隊本部を出た。
ユリアン達の協力が並々ならぬものであり、その功績ゆえに、死亡したオットテールには少尉待遇の殉職見舞金が支払われる事になったのだった。
これは、憲兵隊にワーレンが口を聞いてくれたから実現したのだと思われた。
オットテールは2年前に結婚し、最近になって漸く息子が生まれて喜んでいた矢先だったのだ。
これで遺族へ、多少なりとも申し訳が付くというものだが、ボリスとしては、本当は誰も欠ける事無くフェザーンに帰りたかったのだろう。
「オットテールの件だけが・・・ケチが付いた。骨すら拾ってやれなかったからな。墓が空っぽなんて・・・な。実はあいつは無類のワイン好きなんだ。フェザーンにはない一級品を買って行こうと思うんだ。奴の墓にまこうと思ってな。なぁ、ユリアン。ワーレン提督に挨拶を済ませたら酒屋に付き合ってくれ」
「・・・はい」
2人は近くのカフェで軽い昼食を済ませると、見舞金の件や今までの礼もを兼ねて、ワーレンに会って別れの挨拶を済ませた。
もしかして、会ってくれないのではないかと思ったが、ワーレンは気さくに面会に応じてくれ、2人と暫しの談笑をした。
その際、ボリスはワーレンに航海の安堵を約束する公文書を発行して貰うのに成功し、今、その文書の入ったブリーフケースをシッカリと抱えている。
「さて・・・と。雨も上がった事だし。なぁ、ユリアン。・・・ちょっと外を歩かないか?」
ボリスはユリアンを外に連れ出した。
出航の準備はマリネスクとウィロックが責任を持って行っていたし、これから酒屋に寄って最後の買い物だ。
「なぁ、ユリアン。初めてのオーディンはどうだった?」
ボリスに聞かれて、ユリアンは一瞬戸惑う。
「どうと言われても・・・。市民レベルで言えば、帝国も同盟も大して差がないと思いました。ただ、帝国の方が合理的でない部分が目に付いた・・・ぐらいですね。自分達の常識が通用しないので戸惑いもありました。・・・自販機があるのは当たり前だと思っていたし、コンビニもないので不便を感じましたけど、ここの人達はないのが当たり前になっているし・・・価値観の違いを感じました」
「だろうな・・・」
ボリス・コーネフはフェザーン商人であるから、何度かオーディンに来ているが、やはりフェザーンとの違いを感じる事があるという。
「フェザーンは帝国の自治区のひとつだが・・・同盟同様に合理化を推し進めて来たからな。何度来ても慣れないね、オーディンの生活は」
「そうなんですか?」
「あぁ・・・。鉄道も無いし、とにかく、無い無いづくしなんだよ」
「・・・え、鉄道も無かったんですか。調査しておけばよかったかな・・・」
「レオポルド・ラープだったかな。初代自治領主の。大商人だった彼は、オーディンの事を“後退した人類世界”なんて表現していたと、昔、学校の歴史の時間にならったな」
「・・・そうなんですか」
ユリアンは、初代自治領主の名前は知らなかった。
初代自治領主は・・・実は地球出身の大商人である。
ボリスはその事については口を閉ざした・・・今言うのはタイミングが悪すぎると思ったから。
雨上がりの街路樹から、ポタポタと雫が垂れてうっすらと虹がかかっていた。
オーディンの道路の殆どは薄いレンガや石畳が多く、稀にコンクリートの所もあったが、ハイネセンで見慣れていたアスファルトの道路は皆無と言っても良かった。
そして驚く事に、ハイネセンでは田舎でしか見られないような土がむき出しの道が、このオーディンには多かったのだ。
そんな道には、まとまった雨が降れば案の定、大きな水溜りが、あちらこちらに生まれる。
それは、アスファルトでキチンと整えられた道路が殆どのハイネセンでは考えられない事だった。
「なぁ、ユリアン。これ・・・何だと思う?」
不意にボリスが指し示す、ぬかった道路に残る細い幾つもの線・・・。
明らかに自動車のタイヤではない。
「車輪の跡・・・ですか?自転車ではないですよね。・・・まさか馬車?」とユリアンが訊ねる。
「そう・・・馬車さ。自転車やバイクバイクじゃなくて、こいつは馬車の轍なんだよ。まぁ、ここじゃ物珍しくも無いけどな」
目を丸くするユリアンの顔を見て、ボリスは笑った。
「・・・馬車・・・」
ユリアンは小さく呟いた。
ライハンルトを一般大衆に混じって見た時、彼は地上車<ランド・カー>に乗っていたが、そう言えば、ここ数日の間で目にした光景では、圧倒的に馬車の方が多かった・・・何でだろう?
勿論、乗合制の大きなバスも見かけたが、それと平行するように沢山の馬車も走っていたのである。
その殆どが貴族の所有する馬車で、貴族の馬車は、2頭立てか4頭立ての豪華な仕様の馬車だった。
一頭立ての荷馬車とは違い、“豪華絢爛”とか、“華麗”という言葉がピッタリくる贅を尽くした乗り物・・・。
時代錯誤っぽい感じもしたけれど、帝国ならではの、当たり前の日常的光景なのだろう・・・馬車を見て、いちいち振り返っているのは自分達だけだった。
そう言えば・・・ハイネセンには馬車があっただろうか?
ヤン家に引き取られてすぐに、ヤン提督が休暇で連れて行ってくれた観光牧場にはあったような気もするが、街中ではまず見た事が無いし、交通手段として適しているとはとても思えない。
ユリアンは、銀河帝国と自由惑星同盟の、“市民生活のズレ”を更に再認識したような気がした。
「時代錯誤かもしれないが、ここじゃ、機械がする事をあえて人の手でやったりする。人の手でやらせる・・・究極の贅沢だな。ここじゃ、貴族が平民を押さえつけて、そうさせていたんだ。しかも、平民の方もそれが当たり前だと思いこんでいたりする・・・皮肉なものだ。同盟も国としてかなり疲弊しているが、それでも帝国と比べると市民の生活はマシだろう?」
ボリスに対して、ユリアンは気の利いた事が何も言えなかった。
本当にその通りだと思う。
でも、変に合理化していない分、オーディンの空気は、ハイネセンのそれに比べて爽やかなだ。
それに曇りがちなハイネセンの空に比べて、オーディンの空は底抜けに青かった。
どちらの方がいいなんて、本当のところ、誰にも分からないのではないだろうか?
遠くまで続く幾本もの轍の跡を見ながら、ユリアンはヤン提督に伝えるべき言葉を必至に探していた。
THE END
100のお題より、「轍」です。
轍は、『わだち』と読み、『車輪の跡』という意味があるそうです。
『ベンディングマシーン』や『ポラロイドカメラ』と同じ軸にある作品です。
今回はユリアンとボリスで。
「Die Reise einer Pilgerfahrt ~Ein cooperator~」にも出てきましたが、この「轍」はオーディン最終日です。
この日は、殉職見舞金を受け取り、ワーレンに挨拶して、宇宙港へ向かうのです。
ボリスはワーレンからゲットした書類を持って、轍が出来たぬかるみの道を、2人して歩いているのです。
轍ではないですが、昔、NHKでやっていたシャーロック・ホームズのドラマで聴こえた馬車の・・・って言うか、馬の蹄の音が、何とも言えないくらい好きでした。
あの番組、シャーロック・ホームズ役の俳優さんが凄く良かった上に、声が露口茂さんで、これまた渋かった・・・。
そう言えば、弟がビデオに録画していたっけ・・・。
乗り心地は悪そうですが、お貴族様が乗っているっぽい、御者付きの豪華な4頭立て、または、2頭立ての馬車には1度乗ってみたいな・・・と思います<ベルばらみたいなヤツね。
それと、実は牛車にも乗ってみたい。
日本の平安貴族と言えば、牛車^^@
馬車が発展しなかった辺りが日本らしいです。
牛飼い童が先導し、ゆるゆると都大路を進む牛車。
・・・源氏物語の世界ですが、1度は乗ってみたい。
あと、人力車にも乗ってみたい。
うちの市内は・・・観光地なのであるんです、人力車は。
だけど、市内で乗る気はしません・・・。
誰が見ているか分からないので、京都とかに行ったら乗ってみたいな。