老人は、大きな金庫からおもむろに、紫色のシルク地の布に包まれた物を取り出した。
 そして、ゆっくりと、年代物だと分かる深い色合いのマホガニー製の豪奢なテーブルの上にそれを置く。
 やがて・・・静かに布を取り去った。


 「あの、これはいったい・・・」


 それを見た瞬間、ケスラーは言葉に詰まった。
 いつもポーカーフェイスの彼が戸惑っているらしいのを楽しむかのように、老人は微かな笑みを浮かべて目を細めた。
 「・・・ふむ。これが何か分からないかのう」
 老人は、ケスラーをじっと見つめた。
 ケスラーが更に戸惑いの表情を浮かべると、「ふむ、さすがの卿にも分からないようじゃな・・・」と低く笑う。
 そして、ゆっくりとした動きの安楽椅子に身を沈めて、ケスラーを眺め見ていた。


 「これは・・・『宝箱』でな。螺鈿細工の品じゃ」
 「・・・螺鈿細工ですか。珍しいですね」
 やっぱり螺鈿細工か・・・と思ったが、間抜けな事に、気の利いた言葉が出て来ない。
 「確かにの。螺鈿細工も珍しいが、この箱自体に珍しい仕掛けが施してあるのだ」
 「仕掛け・・・ですか?」 
 「そうじゃ。まぁ、芸術品には違いないがの。これはかなり古い物だしのう」

 「美しい色合いですね」
 ケスラーは、どちらかと言うと芸術には疎い。
 「芸術家提督」として名高いメックリンガー辺りが見たら、もう少しましな返答も出来るのではないかと思ったが、ありきたりの賛辞しか出来なかった。
 だが、さすがに疎くとも、その宝箱が美しい物だというのは分かるし、更にこれが手の込んだ芸術品である事も察せられる。


 「わしはこういう物にはあまり興味もないのじゃが・・・古くからこの家に伝わる品の一つでな。まぁ、早い話、家宝と言う事になるのう。それでな・・・これを卿に預けようと思う」
 「預ける・・・。失礼ながら、グリンメルスハウゼン子爵家の家宝を・・・この小官にですか?」
 突然の申し出にさすがに驚く。
 ケスラーは老人の真意を確かめるべく、その顔をじっと見つめた。
 意味なく行動を起こす人とも思えないのだが、相手が何を考えているのか、その表情からは全く読み取る事が出来なかった。
 汗が背中を伝う・・・何故だか分からないが、全身に緊張が走る。
 
 「そう・・・いつか、これが必要になる事があるような気がしての。卿にとっても、いや、たとえ卿でなくとも」
 「必要になる・・・ですか?」
 意味深な言葉に更に緊張するが、目前の老人は薄く微笑んだ。
 「そうじゃ。これを預かっていて損は無いと思うがの。むしろ、預からぬと後悔するだろうて。・・・どうじゃ、預かる気になったかの?」

 老人はにこやかにケスラーを見ているが、良く見ると、その目の奥は決して笑ってはいなかった。
 部屋の暖炉は赤々と燃えていたが、一瞬、寒気が身体を襲う。
 心地良い暖かさの部屋の中にいながら、暑さとは別物の汗をその手に感じた。


 「わしは・・・この中には何も入れておらなんだが・・・卿には、いつか、これが必要になる時が来るだろうて。だから・・・その為に卿に預けるのじゃ」
 「何ゆえ・・・とお聞きしても宜しいですか?」
 「ふむ、そうさなぁ・・・答えても良いが、謎としておいた方が遥かに面白いだろうて。ふむ、その方が卿の為じゃな。それでな・・・この箱には鍵が付いておるのじゃが、卿には鍵穴が何処にあるか分かるかの?」

 ケスラーは箱を手に取り、ゆっくりと回しながら見てみるが、螺鈿細工が施されただけのつるりとした感触の箱には、肝心の鍵穴が何処にも見当たらなかった。
 だいたい、鍵穴もだが、鍵すらないのにどうやって開けろというのか・・・。
 20分近くも思案していたケスラーが困り果てて老人を見ると、老人は低く笑った。


 「・・・そうか。卿でも見つけられんか?」
 仕方なく、ケスラーは「はい」と頷いた。
 老人は箱を大事そうに抱えて、螺鈿細工の一部を指で軽くこすった。
 すると、カチリと微かな音がして、単なるデザインの一部だと思われていた細工が見事に外れて、良く見なければ分からないほど小さな鍵穴が現れたのだった・・・。

 「何と、そんな所に細工があるとは・・・でも鍵は・・・」

 「鍵はここじゃ・・・」

 老人が別の場所を指でこすると、またしても細工の一部が外れて中から小さな知恵の輪とペンダントが現れた。
 鈍い銀色の輝きを放つ、細く小さな
知恵の輪と、これまた小振りの、黄金色のカギ型のペンダントだった。

 「鍵はこの2つじゃ。・・・まずはこの知恵の輪。外すのに難儀するシロモノじゃ。卿は外せるかの?まず、その知恵の輪を外して、次にこのペンダントに組み合わせる。それでやっと鍵としての機能を果たすようになっておる。・・・そうして漸くこれを開ける事が出来るという訳でな・・・」

 知恵の輪を受け取ったケスラーは、あれこれと動かして見たが、全く外す事が出来なかった。
 無理に力を入れてしまったら、簡単に壊れてしまいそうなくらいに細い作りなのだ。
 それに外れたとしても、ペンダントに組み合わせるのも一筋縄ではいかないような気がする。

 「難しいですね。降参します・・・」
 これまた30分近くも悩んだ末に謎解きを諦め、知恵の輪とペンダントを老人に渡すと、老人は「ふむ・・・出来ぬか・・・」と言って微笑んだ。


 「実を言うと、これを外せるのはわしだけかもしれんて。この箱は我がグリンメルスハウゼン家の当主のみが鍵の開け方を知らされているのでな・・・」
 「・・・それを小官に教えると?」
 眉を顰<ひそ>めるケスラー。
 老人の意図を彼は益々測りかねた。


 「そう・・・。我が家の当主だけが知る箱なのじゃ。それを卿に託すのは、ちゃんとした理由があっての事じゃぞ。じゃがの・・・今ここで理由を明かす訳にはいかん。まぁ、そのうちにその意味も分かってくるだろうて。一度しかやらないから良く見ておくのじゃ。こうやって外して組み合わせて・・・」


 老人は、何故これをケスラーに託すのか、最後の最後まで明確な理由を言わなかった。
 ただ、低くくぐもった声で笑っただけである。
 だが、老人はケスラーに箱と鍵穴の在り処と、鍵そのものについて教え、『預ける』と宣言したのである。
 ある意味、ケスラーを信頼してくれていた証とも言える。
 そして・・・。
 老人は自分が死ぬ前に、もう1つ、これこそ最大限に重要な物を彼に託したのであった。


 「全く・・・結果的に俺が保管する事になったのだから、さすがと言うか何と言うか・・・」


 貴族達・・・特に門閥系の貴族の闇社会を克明に記録した老人の残した分厚い文書。

 良くもまぁ、これだけの話を“噂話”から“本当の話”に至るまで調べ上げたものだ・・・と思うほどの膨大な記録。

 「ひなたぼっこ提督」だの「居眠り子爵」だのという渾名に甘んじながら、その表向きの顔とは裏腹な、ある意味、狡猾な生き方をしていた老人。


 老人が最終的に秘密文書を託そうとしたラインハルトは、その文書を政治の表舞台で役立てる事はしなかった。
 だが、廃棄する事も無く、ただ、ケスラーに厳重に保管する事を命じたのである。


 『そう・・・いつか、これが必要になる事があるような気がしての』


 ケスラーは文書を目にした時に初めて、あの時、老人が『いつか必要になる』と言った意味が漸く分かったのである。


 警備が厳しいとの評判の憲兵総監本部の憲兵総監室、その部屋の、声紋コードや網膜パターンコードなどで5重ものロックが施された金庫の中の螺鈿細工の箱の中で、問題の文書は長く深い眠りにつこうとしている・・・。


 「・・・さて・・・と。グリンメルスハウゼン家のお宝の中に入ったものは、いつか世に出して衆目に晒されるにしても、この箱・・・。その後・・・ご遺族にお返しする事になるのだろうか?」


 ケスラーは宝箱を金庫にしまう時に独語した。

 老人は『卿に預ける』とは言ったが、考えてみれば、『譲る』とは一言だって言ってはいないのだ。


 「やはりこれは、いつになるかは分からないが、しかるべき処置の後にご遺族にお返しするのが得策なのだろうな・・・。全くもって食えないお人だな、亡くなられる前も後も・・・」


 ケスラーは在りし日の老人を思い出し、微かな笑みを浮かべた。




Das Ende




 100のお題で、「鍵穴」というタイトルに接した時、どうしようかと思いました。
 書く素材(人)は誰でも良かったのですが、漠然と、ケスラーで書こうと思いました・・・ただ、理由はないです。
 ・・・というよりも、彼とグリンメルスハウゼン閣下を書きたかったんで、「鍵穴」で書けないか悩んでみて。
 グリンメルス文書の保管の事をテーマにしたら書けそうだと思い、実際に書いてみたら、こんな話になってしまいました。


 グリ爺・・・あの飄々とした味わい深いご老人です。
 名前を「グリンメルス」と縮められて呼ばれたり、「ひなたぼっこ提督」とか「居眠り子爵」なんて揶揄されたり。
 けれど、客観的な思考と人を見る目は確かで、ぼんくらな振りをしながら、貴族の裏社会の事を克明に記録していた人。
 そして、ヴァンフリート会戦ではラインハルトの上官だった事もあり、フリ-ドリヒⅣ世とも知己のあるご老人。

 彼は・・・ラインハルトの野望にいち早く気づいていた・・・。

 だから、ラインハルトもこの老人が苦手だったみたいですしね。

 でも、あまり上手い話が書けなかったので、ちょっと消化不良なのです・・・。
 いや、書き始めてみたら、これ、結構難しかったです。
 まぁ、ケスラーを出せた事で良しとしよう・・・。(爆)
 一応、外伝の3巻を下敷きにしている事を付記しておきます・・・。


 是非、池田秀一さんの声で読んでみて下さい・・・勿論、グリ爺は槐<さいかち>柳二さんのお声で・・・。
 その方が数倍楽しめるだろうと思います。


 私は二次小説は銀河英雄伝説しか書いた事がありませんが、元々、声優オタク(それもベテラン限定の)の為、アニメの銀河英雄伝説はバイブルみたいなモノです。
 あの声、この声・・・頭の中にインプットされている声が脳内を駆け巡ります。
 槐さんも2010年で82歳。
 このように、アニメの「銀河英雄伝説」では、アニメや洋画の吹き替え創成期から活躍されている大ベテランばかり。
 本当に貴重な人材を惜しげもなく使った稀有な作品で。
 本当のところ、ギャラはどうだったんだろうか??と心配になるほどでしたね。


 この先、どんどん、天の星になってしまわれるだろう、大御所と呼ばれる、珠玉の声優さん達。

 その人達と同じ時代を生きられて私はシアワセだな。

 そして、銀河英雄伝説という作品を、オン・タイムで見られて本当にシアワセ。

 この先、銀河英雄伝説は、本当に「銀河声優伝説」として、語り継がれていくのではないかと思います。