「これは・・・」


 1枚のMDを前に、私は戸惑う。

 私の表情に気付いたのか、汗を拭きながら落ち着かない様子で私にMDを差し出した男は、慌てたように笑みを浮かべた。

 「本来は郵送でお送りしても良かったのですが、ハルシュタイン学園側からの手紙には、男爵夫人の筆跡で『是非とも子供達の気持ちを汲んで下さい』と書いてありましたので、こうしてこちらにお持ちした訳でして・・・。ですから、これを受け取って頂かないと、こちらとしましても・・・」
 男は何度も汗を拭きながら落ち着かない様だ。
 そして、私が躊躇うと、先ほどの笑みとは対照的に、早く受け取れと言わんばかりの表情を浮かべた。
 それで私は「わざわざありがとうございます」と礼を言ってMDを受け取った。
 私が受け取るのを確認すると、「それじゃ、確かに渡しましたからね」と男は、挨拶もそこそこに帰ってしまったのだった。



 今日は6月2日。


 2週間前に夫が亡くなり、その報を受けた時、私は覚悟していた事とは言え、ショックで倒れてしまった。
 居合わせた人が私を病院に担ぎ込み、私はそのまま入院し、やっと昨日、退院したばかりだった。
 そして退院してすぐに行ったのは、引越しの準備だった。
 その引越しの作業中に、銀行員だと名乗る男が突然訪ねて来たのだった。

 広々とした家だが、元々ここは官舎である。
 夫の死後、すぐにここから引っ越さなければならないのを、私は入院を理由に先延ばしにしていた。
 そして、それが認められていたのは私へのせめてもの温情・・・なのだった。


 夫が逮捕、拘禁されてからと言うのも、家に届く手紙類やメールは全て憲兵隊に差し押さえられ、全てが有無を言わせずに開封された。
 自分宛のモノや娘宛のモノでさえ、有無を言わさず開封されたのだ。
 私達宛ての手紙は『問題がない為お返しします』と、憲兵達は持って行った時と同じ状態で返してくれたが、夫宛てのモノだけは憲兵隊が押さえているのか、夫に手渡されているのかも不明で、結局家には1通も戻って来なかったのだ。


 オーディンに本社がある銀行の、フェザーン支局の銀行員がバタバタと逃げるようにして帰った後、私はMDと、それが入っていた封筒をじっと見た。

 差出人の住所はオーディン郊外の孤児院で、宛先は銀行になっていた。
 孤児院は『私立ハルシュタイン学園』と言って、ハルシュタイン男爵夫人が経営する孤児院だった。
 封筒には転送先として、赤ペンで『足長おじさん』と書かれていた。
 私は引越しの為の片付けの途中であったが、幸いにも音楽等を聴く為の再生機だけは見梱包だったから、「・・・休憩した方がいいわね」と呟いて、コーヒーを淹れて、居間にある椅子に腰掛けて再生してみた。


 小さなスピ-カーから、可愛らしい少女の声がした。



 足長おじさん、私はアガーテと言います。
 私には、お父さん<ファーター>もお母さん<ムッター>もいないけど元気です。
 だって、私には足長おじさんがいるからです。
 ウルスラ先生から足長おじさんが亡くなったと聞いた時、自分の親が亡くなった時と同じくらいに悲しくなって、私はお友達のヨハンナとワンワン泣きました。
 私は最初、先生が嘘をついていると思いました。
 でも、先生も泣いていたので、すぐに嘘ではない事が分かって悲しくなりました。
 足長おじさんに学園祭に来て頂きたかったのに、それがかなわなくなって、お礼も言えなくなったのが本当に悲しいです。
 こんなに私達に良くして下さるおじさんはきっと、奥ゆかしいご立派な紳士だろうと想像していました。
 今日、私達はヴァルハラにいらっしゃるおじさんの為に、精一杯合奏します。
 聴いていて下さいね。
 そして、今まで私達に良くして下さって本当にありがとうございました。



 足長おじさん、私はヨハンナです。
 いつか足長おじさんにお会いして、今までの寄付の事とか、直接お礼が言いたかったね、と、仲の良いお友達のアガーテと話をしました。
 あんなに良くしてくれたおじさんが亡くなられたなんて、とても信じられません。
 みんな、びっくりしていました。
 男の子達は先生が嘘をついていると思ったし、私も嘘だったらいいのに・・・と思いました。
 お父さん<ファーター>が戦死した時と同じくらい悲しくて涙が止まりませんでした。
 私達は悲しくて悲しくて毎日泣きました。
 私達はずっと、ずっとおじさんの事を忘れません。
 どうか、ヴァルハラで、私達の合奏を聴いていて下さいね。
 そして、夢の中でいいですから、私に合奏の感想を聞かせて下さいね。
 おじさんが安らかに眠れますように・・・お祈りします。

 

 次に男の子の声がした。



 足長おじさん、僕はユリウスです。
 以前の僕はハーモニカが全然吹けなかったのですが、おじさんが僕達の為に送って下さったハーモニカを一生懸命に練習してやっと吹けるようになりました。
 先生は、僕が努力したからだと褒めてくれました。
 先生も友達も褒めてくれたので、僕は吹けるようになって、とても嬉しかったです。
 前はハーモニカが嫌いだったけれど、今はとっても大好きになりました。
 だから、僕、合奏を頑張ります。
 おじさん、ヴァルハラで僕のハーモニカを聴いて下さいね。


 


 足長おじさん、僕はカールです。
 僕は今回の合奏では、タンバリンとトライアングルをやります。
 おじさんは、オルガンとか本とかを毎年下さるし、寄付も毎月沢山してくれる素晴らしい人だって先生が言っていました。
 優しいおじさんが亡くなって僕はとても悲しいです。
 皆も悲しいと言っています。
 女の子達は泣いてしまいました。
 それを見ていたら、僕も泣いてしまいました。
 おじさん、ヴァルハラで安らかにお眠り下さい。
 僕はおじさんみたいな立派な大人になりたいです。
 今まで本当にありがとうございました。



 
 MDには、幾人もの子供達の声が入っていた。
 どの声も夫の死を悼む、純粋な天使の声だった。
 そして、子供達のメッセージの後に、子供達の合奏曲が録音されていた。


 銀行の人は、夫が独身時代から給料の一部を、匿名で寄付していた事を教えてくれた。
 給料の殆どは夫が管理し、私は必要な生活費を受け取って子育てをするだけの生活だったので、その事実を全く知らなかった。
 夫は家では仕事の話は一切しなかったから、私は夫が外ではどんな仕事をしていたのか知らない。
 そして、家族にも黙って給金から福祉施設に寄付をしていたなんて・・・本当に何も知らなかった。
 けれど、これだけは言える。
 夫は娘達と一緒に遊んでくれたり、たまに家事の手伝いをしてくれる・・・本当に優しい人だったと。


 子供達の演奏した曲は「ムーンリバー」だった。
 ・・・偶然にも夫の好きな曲だった。
 演奏を聞きながら、世間様がどんな事を言おうとも、私の夫は、「世界中の誰よりも素晴らしい人だった」と胸を張って言える気がした。
 生前の夫の優しい笑顔を思い出し、私の両の目からは涙がとめどもなく溢れ出た。 
 私はそれを拭う事もせずに子供達の合奏に聴き入り、何度も再生を繰り返した・・・。


 それから2人の娘に連絡を取った。
 引越しの手伝いに午後から来てくれる事になっていた娘にMDの話をすると、2人とも予定を切り上げて早めに手伝いに来てくれたのだった。
 そして、子供達の私の夫に対する優しい言葉とその演奏に耳を傾けながら、私達3人は声を上げて泣いた。


 「世間が何と言ってもお父さん<ファーター>は世界一優しかったわ」
 「この子達は・・・お父さん<ファーター>の本当の姿を知っていてくれたのね」


 娘達はこのMDを聞く事によって、自分達の父親が本当は恥ずべき人間ではなかった事を再認識したようで、私はそれが救いになった気がした。



 あぁ、あなた・・・ヴァルハラにいらっしゃいますか?

 今なら、世界中の誰よりも、あなたが立派な方だったのだと、私も娘達も言える気がします。
 あなたの処刑後、一瞬、私達家族は肩身が狭く感じたけれど、「私はハイドリッヒ・ラングの妻で幸せだった」と、これからも胸を張って生きていけそうです。


 
 こうしてこの日・・・。
 ラングの妻のアマリ-エ、長女のアーデルハイド、下娘のクリスティーネの3人は泣きながら抱き合い、今は亡き最愛の人を偲んだのだった。



 ハイドリッヒ・ラングの処刑後・・・。
 彼が福祉施設に多額の寄付をしていた事が発覚したのは、ラング家から押収された手紙類の中に、孤児院の子供達が書いたと思われる手紙や絵、学園祭への招待状が入っていた事、寄付の橋渡しをしていた銀行員達からの証言を得られた為であった。
 また、孤児院の経営者であるハルシュタイン男爵夫人、学園に勤める教師からも同じような証言を得られた。

 こうした各所からの証言から、公人としては闇に彩られていると思われていたラングの、私人としての意外な二面性が浮かび上がった。
 この事実は後世の歴史家達の興味を引く事となり、後年、幾冊か発行されたラングの研究本の中でも、彼の為人<ひととなり>の論議が交わされている。



Das Ende



 主人公はラング夫人です。
 ラングの意外な素顔を書きたくて、『ハーモニカ』と『MD』で1つの話になっています。
 バラバラでも読めますが、『ハーモニカ』から読んだ方がいいかも。
 このMDでラング夫人が立ち直ってくれる事を祈りたい・・・そんな感じです。
 なお、曲を「ムーンリバー」にした理由は特に無いですが、月の川から『三途の川』を連想しまして・・・。(爆)

 子供達や学園にとっては、ラングはなくてはならない人だったのでしょう。
 それに、原作でも、ラング夫人は、処刑を控えた夫の刑を軽減してもらえないかと訴えた事もありました。

 自分を思ってくれる血の繋がった家族がそばにいる・・・。
 そういう意味では、ラングはいい人生を歩んだのかもしれません。


 息子を得はしたけど、エルフリーデに結果的に裏切られ、謀反の疑いをかけられて亡くなったロイエンタール。
 亡くなった時、家族は犬と老執事夫妻だけだったオーベルシュタイン。
 息子をアッサリ切捨て、最後は壮大なテロを引き起こして果てたルビンスキー。


 ね、こう考えると、ラングの人生はマシだったと言えるのかも・・・。

 そして、ふと思ったのは、ラングは生前、良い行いをしていたので、大神オーディンがラングのいる地獄へ、ヴァルハラから蜘蛛の糸を垂らして上げたら、ラングは上ってくるのだけれど、一緒に上って来た他の人達(ルビンスキーやボルテック辺り)を追い払おうとして、糸が切れちゃうって話・・・。

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 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のラング・バージョン^^@(本当の話は、カンダタって男の話なんだけどね・・・ウハハハハ)