グレート鳥取の再生


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みなさまこんにちは!

お元気ですか!!

グレート☆YAYOIです!



前回はハーンとセツの鳥取での新婚旅行の一部をお伝えしました。

小泉八雲(ラフカディオハーン)と鳥取のご縁。

本日はいよいよクライマックスです。




2人が旅行をした時に、セツが鳥取の布団』という話をハーンに聞かせた。


内容を簡単にご紹介…


鳥取に新しく開業したとある宿屋。

泊まったお客が寝ていると布団の中から『兄さん、寒かろう』『お前、寒かろう』と声がする。客は気味悪がり、宿を出てしまう。

宿の主人は、変な言いがかりだと思っていたが、その後何人もの客が同じことを訴えたため、布団のいきさつを調べた。


ー ある貸家に、他所から流れてきた貧しい家族があった。両親と幼い兄弟が暮らしていたが、両親が病気で亡くなってしまい、残された兄弟は少ない家財を売りながら、やっと暮らしていたが、最後に薄い布団一枚を残すだけとなった。

しかし、寒い冬の日、冷酷な家主は家賃の代わりに布団を取り上げ、二人を家から追い出してしまった。

幼い兄弟は雪の中『兄さん寒かろう』『お前寒かろう』と抱き合い、励まし合いながら亡くなった。

悲しいいきさつがあったと知った宿の主人は、この布団をお寺に納め、兄弟の供養をしてもらい、それ以降布団から声がすることは無くなった。 ー


という話。




これを聞いたハーンは、セツに

『あなた私の手伝いできる仁です』と言い、非常に喜んだ。


ここから、セツが見聞きした物語をハーンに語って聞かせることが、セツの重要な役割となっていく。


そして、セツの語り部としての才能が発揮され、後に怪談』などの名著が生まれた。



→ハーンとセツの出会いも、何かに導かれたような不思議なご縁を感じますね。キョロキョロ



さて、ハーンは、教え子に慕われ、町の人達とも良い関係を築いており、松江の暮らしをとても気に入っていたが、冬の寒さが厳しいことや、セツの家族も養わねばならないことから、俸給が良いと紹介され、

11月には熊本の第五高等中学校へ赴任した。




ということで、松江での生活は1年4ヶ月ほどの短い期間でしたが、そんな中にもハーンが鳥取にも深い興味を示し、足跡を残していたことを、とても嬉しく思います。

(∩´∀`∩)


その後のハーンの軌跡を簡単にご紹介。



41歳 松江→熊本へ転居

43歳 長男 一雄 誕生

   →子供の誕生をきっかけに、妻子のため当時まだ珍しかった日本に帰化することを選択


44歳 神戸へ転居

46歳 帰化手続き完了。小泉八雲と名乗る

   東京へ転居

47歳 次男 巌 誕生

49歳 三男 清 誕生

53歳 長女 寿々子 誕生

54歳 『怪談』出版

    1904年9月26日 狭心症のため急逝

    没後『日本 一つの試論』出版

 

八雲は、日本人の文化や、精神性、宗教観などを深く理解しており、この本は、日本論の到達点として、海外でも高い評価を受けた。



☞ここには書名まで細かく書いてませんが、八雲は日本で14年間を過ごした中で、11冊の著書を出版しています。




八雲の書いたこの本に

深い影響を受けた一人


アメリカの軍人

ボナー・フェラーズ



大学時代に知り合った日本人女性渡辺ゆりの影響で、日本に関心を持ち、日米の架け橋になることを決意。

1922年 初来日した際、渡辺ゆりから日本を知るには小泉八雲を読むことを勧められ、ほぼ全著作を読破。

1930年には、小泉家を訪問。

セツに『ハーンが私に日本を愛することを教えてくれた』と伝えたという。


第二次世界大戦中、フェラーズは対日心理戦の情報将校となり、その際に『日本 一つの試論』などを参考にしている。



戦後、マッカーサーの副官として来日したフェラーズは、


日本人の天皇への忠誠は絶対的なものであり、

天皇を処断すれば、全国的反乱が避けられないだろう。という内容の覚え書きをマッカーサーへ提出。


   

これが、天皇への戦争責任を問わず、象徴天皇制という落としどころを生み出した、一つの有力な背景とされる。



2013年公開『終戦のエンペラー』
主人公がボナーフェラーズ




八雲が残した書籍が、巡り巡って戦後の日本の方向性に、大きな影響を与えたことを知り、驚きと併せて、感謝の気持ちで一杯になりました。


鳥取や盆踊りと小泉八雲の関わりを調べることを通じて、八雲が日本に残してくれた数々の偉大なものを発見しました。





八雲さん、ありがとうございましたー!



本日はここまで。

それではまたね。

ラブリーチューチューチュー