14時46分
地震の発生は、従業員が交代でお昼休憩を取っている時間帯でした。私も、スタッフの食事交代のためにフロアに出ていました。
関東は震源地に近いことが多いので、地震は大抵、
「地震?」
と叫ぶと、売場のあちらこちらで悲鳴が上がりました。
休憩室の中から、ちらほらと帰宅する人たちが現れました。
19時半過ぎ、日頃の通勤に電車を使っている私たちでも帰れるバスの運行が始まり、私たちも帰ることにしましたが、役職は、
後悔と幸運
休憩室にいた2時間、断続的に起こる余震に、いつの間にか、常に揺れてる感覚が抜けなくなっていて、外に出てもお互いに
「今揺れてる?」
「揺れてないよ」
と、確認しあうようになってました。まっすぐ歩けているのかも怪しい感じです。
バス停につくと、これはとても乗れないのではないか、と思う大勢の人。台風や積雪などでの混雑とは桁違いの規模。
運行が始まる前から何時間も寒い中で待ち続けていた人も多く、なかなか来ないバスに苛立って、係員に詰め寄る険悪な雰囲気。
運行はしてても異常な渋滞で、30分待ってもバスの姿は見えず、役職が言ったように、
無理に帰ろうとしなくても良かったのでは?
百貨店に戻ろうか?
と後悔し始めた時に、別系統のバスが始発すると案内があり、当初の目的地とは違うけど、そのバスでも全員帰れることがわかったので、迷わずバス停を移動しました。
バスはすぐに来て、私たちが乗り込んだ時には空席もちょうど4人分。座れたのは奇跡でした。その後も続々と人が乗り込んできて、立っているのも大変な状況でバスは動き出しました。
常なら20分で着くところを1時間以上かけて、ゆっくりと進む車中は人いきれで空気も淀み、非常食料でもらった水がとても有難かったです。座れなかったら、とても乗っていられなかったと思います。
同僚たちとは終点で別れ、私はあと2本のバスを乗り継いで帰りました。電車での通勤時間35分の道のりが2時間半の旅になり、自宅の最寄り駅に着いた時には鉄道も復旧していました…私の長旅は何だったのでしょう?
教訓
あの時、別系統のバスが動いたこと、座れたこと、どちらも偶然です。あの場合の正解は、役職が言ったように、安全な場所で待つことでした。自宅に居る両親も気になるけど、電話回線は待てば繋がります。一言 「泊まる」 と連絡すれば済むことでした。
鉄道が復旧したのは結果論ですが、復旧しなくても、暖かくて安全な場所で一夜を過ごせる状況だったのです。途中までのバスには乗れても、その先に進める確証はなかったのですから、下手をしたら、深夜に長い距離を歩くことになっていたかもしれません。大きい余震が起きたら、深夜に行き場を失っていたかもしれません。
その後、3月14日の鉄道の運行規制でも帰宅難民になりましたが、その時は無事に迷わず歩いて帰れました。
日頃から、歩いて安全に帰れる経路を知っておくことは大切です。
今年は積雪で帰宅時間に交通機関の乱れに遭った人も多いと思うのですが、勤め先や学校の近くで、いざとなったら泊まれる施設を調べておくといいと思います。カラオケでもネットカフェでもマンガ喫茶でもいいと思います。
帰れない、と思ったらいち早く、迷わず、安全で飲食に困らない施設を利用する。安全が確保されるまでは無理に帰ろうとしない。
二度の帰宅難民を経験して学んだ教訓です。
二度の大地震
実は私は、2004年10月23日の新潟県中越地震の時も、商業施設内で勤務中でした。
商業施設で働く人たちは、日頃から非常時の訓練を受けていますが、東日本大震災では、私がいたフロアでは訓練通りに動けた従業員はほんの僅かでした。避難誘導もなく、エスカレーターもエレベーターも動き続けていました。揺れの最中にお会計にみえるお客様までいらして、カオスな状況でした。
商業施設には、天災時にお客様の知らない危険もあります。
明日は、二度の大地震で従業員として教わった耳学問ですが、商業施設の従業員がどのような訓練を受けているのかを書きたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。