心屋認定カウンセラー 

竹嶋 しょうこです^^

 


今日は私の長女の9回目の命日。

 

昨日は葬儀の時から

ずっとお世話になっているお花屋さんに

お花を買いに行き、

 

夕方、友人が長女へのお花を持って

会いに来てくれましたおねがいラブラブ




 

長女が亡くなった日のこと①

 

長女が亡くなった日のこと②


 

 

今日、夫は毎年恒例の有給休暇。

 

私はいつも通り仕事ニコニコ

 

朝、仕事に行く前に

家からすぐの所にあるお墓に

 

風ビュービューの寒さに

ワーワー言いながら(笑)

家族で行ってきたよ。

 


 

そして去年

 

この日までには間に合わせたいなと

思って始めたメルマガが

 

今日で一年を迎えましたおねがいキラキラ

 

 



 

少し前に、三女が学校に行くのを

嫌がるようになった時

 

私が書いたブログを

コバがリブログして

こんな風に言ってくれたのを


今日、ふと思い出しました^^

 




子供だってわかっているのです

 

学校に行った方がいいんじゃないかって

 

なんとなくわかっているのです

 

それでも

 

ママに「学校に行きたくない」って

 

言葉や態度に出しているのです

 

 

 

それはママに甘えられているのです

 

ママに依存できているのです

 

ママを信頼しているのです

 

 

その「甘え」「依存」は

 

大人になるために必要なものなのです

 

自立って自立だけでは

 

存在できないのです

 

自立するためには「依存」が必要なのです


 

 

 


私はあの時

 

ちゃんと人に依存できたからこそ、

 

ちゃんとその後進むことができたんだろうな。

 

 

 

 

世の中の他のことは

1日前とまったく変わらないのに

 

私の目の前から、

 

突然、ふいに長女だけがいなくなってしまった。


 

 

 

 

いや、現実じゃなくて

これは夢だったらどんなにいいだろう。

 

そう、思ったくらい

 

私にとって

あまりにも受け入れがたい出来事で


真っ暗な闇に一人だけぽっかりと 

飲み込まれてしまったような恐ろしさを感じた。

 

 



 

だから、私は


まわりの人に依存したの。


 



少しでも気持ちを楽にしたくて

読みあさった本の中にあった

 

「今のあなたはちゃんと助けを求めてもいいし

他者に癒されるべきなのです」

 

そんな一文を読んで

全面的に依存しよう、そう決めた。

 

 

 

 

 

 

頼るというと

まだよく聞こえるけれど

 

家事をやろうとしても


例えば、料理をしようとしても


すべての手順が頭の中から消えてしまって

とてもできなかった。


  


長女が息を引き取ったのが

二階だったから


昼間でもこわくて

一人では

二階に上がることができなかった。

 



そんな状態だったから

全面的に

人にやってもらうしかなかったのだけど。

 



 

ただ、義父を一年前に亡くしていたので

その経験から

 

四十九日まではひたすらに

できることをやろうとした。

 

 

 

 

長女に作ってやれなかった

幼稚園の通園バッグを

苦手ながらも仕上げたり

 

かわいい食器や、キャンドルや、お花を

どこまでも、何回も、買いに行ったり

 

葬儀に来てくれたけれど、

なかなか話せなかった人たちに

お礼の手紙を書いたり

 


うわ~っと猛烈に動いては

気を失ったように眠り

 

また動いては眠り、の繰り返しで

 

次女の相手を少しする以外は

本当に、何にもできなかった。

 

 

 

 

 

今まで、次女とお揃いの服を着せて

かわいい姿を喜んでいたのに、

 

それもできなくなってしまった。

 

当たり前に大きくなって

小学生になるという将来も

失ってしまった。

 

 

 


 

おそるおそる仲のいい友達に言って、

 

長女と同い年の近所のお姉ちゃんに

 

次女とお揃いの服を

プレゼントさせてもらったこともある。

 

 

 

 

入園する友達に

すでに用意したあった長女の服を

あげたり

 

入学する子に

「こんなのを買ってあげたかったな」

と思う服を

もらってもらったこともある。

 

 

  


 

ありがたいことに、みんな

 

「〇〇ちゃんと一緒に行くって思えるから

うれしいよ!」

 

と笑顔で言ってくれた。

 

 

 

 

小さな手で

真剣にお線香をあげてくれる後ろ姿に

胸がいっぱいになって

 

「おみやげにお菓子持って行ってね!」と言うと

 

うれしそうに選ぶ姿が

みんな、たまらなくかわいかった。

 

 



 

 

そんなことに喜ぶ

その時の私は

きっと痛々しかっただろう。

 

 

 

でも、そうすることで

 

私の、もうできないけど

長女にしてあげたいことをさせてもらえたようで

ほんと、とてもありがたかった。

 

 

 

 

今、義姉や義母のことで

「タケちゃんはえらいね」って

 

言ってもらうことがたまにあって

自分ではとてもそう思えないのだけど

 


もし、そうだとしたら

きっと

 

私は今、あの時もらったものを

単純に義母に返しているんだろう。

 

 




 

あの時、どんなに非常識に思えても

 

私のやりたいようにやることを

義母が一度も、

止めないでいてくれたからかもしれないなぁ。

 

 


 

頭ではわかっていても

心がついていかない。

 

 



そんな時って人生にはあって

 

人生のどん底かもしれないけど

 

でも、ちゃんと休んで

力を蓄えるのが必要な時期。

 

 



 

だから、ちゃんと誰かに依存して

 

今、それしかできない自分もいていいよって

してあげる。

 

 

 


 亡くなった長女は

 

「ママとパパの結婚式の時、〇〇(次女)と

一緒にお空から見てた」

 

と3歳の時に言っていた。

 

 

 

 


もしも、それが本当なら

 

いろんなことが起きることももう

 

自分ではどうにもあらがうことはできなくて

 

ただただやっていくのしかないのかもね( ;∀;)

 

 

 

私もついつい忘れちゃうこともあるけれど

 

人によって、いろんな感じ方があって


人によって、いろんな表し方があって


そして誰もが


すごくなくても


そこにいてくれるだけで


十分で。





そんなことをぼんやり考えていたら


夫から


「(昨日買った)アネモネがめっちゃ開いた!」


とLINEが来たよ爆笑


ほんと昨日、飾ってからすぐに

めきめき開いている!(笑)


お花にもたくさん助けられましたラブラブ


 

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