こんにちは。
心屋認定カウンセラーのタケコです。



それと、葬儀の時不思議なことがあった。

長女と赤ちゃんの時から幼馴染みの3歳の子が

私に

「大丈夫だよ。◯◯ちゃん、またタケコちゃんの

おなかに入ったから。また会えるよ」と

何でもない風に言ってくれたのだ。

生まれ変わりもわからない子が言ってくれた。

本当に命は巡るのだと感じることができた。


それと初七日の祓いの時来てくれたのが

いつものお坊さんでない代わりの人だった。

その人も、昔自分の子どもを亡くしたことが

あったと話してくれた。

不思議な縁を感じずにはいられなかった。



そして、決めた。

長女について一周忌までは法要をやる。

でも、それ以降はやらない。


私には次女である、まだ1歳半のなっちゃんが

いたから、そうしないとずっと長女のことを

考え続けてしまう気がした。


一周忌までは長女のことをたくさん想おう。

そして、その日を迎えて自分が大丈夫と

思えたなら、来てくれるかはわからないけど

次の子を迎えよう。



四十九日は一つの節目。

これが終わったら祭壇はなくなり、仏壇に

入ることになる。

納骨も、迷ったけど、あると

執着してしまいそうな気がしたから

じぃじやご先祖がいるお墓に

そのまましようと思った。

それまでに自分ができることをなるべく

たくさんやりたいと思った。


途中だった入園準備。まだ通園バックも作って

いるところだったのに。

友達に「バッグ完成させよう」と言われ

一つは形にできた。


家事は全くできなくなった。

料理なんかはキッチンに立っても手順が

頭に浮かばなかった。

なっちゃんの相手を時々するくらいだった。


自分がお腹がすくのも許せなかった。

「もうあの子は食べられないのに」と思った。

でも「私はなっちゃんを育てていくし

供養をするために生きていくのだ」と

思って食べていた。



本を読んで、今自分に起きていることを教え

少しでも気持ちを軽くしてくれることを求めた。


この本のおかげで私は、自分が今いる段階が
わかり、受け入れが進んだのだと思っています。


材料を買ってきて、骨壺の箱のまわりを

かわいくしたり、キャンドルやお皿を買いに

行ったり、会いに来てくれる人たちと

話したり。

あと、どうしてもみんなに手紙が書きたくなった。

あの日どんなことが起きたのか

そして長女が早産で未熟児で生まれてきたこと、

胎内記憶があって

「なっちゃんと一緒にパパとママの結婚式の

時、お空から見てたよ」と言っていたこと

だから、たぶん自分の人生を選んできたと

いうこと

みんなが来てくれて、本当にうれしかったこと

そして、これからも来てくれたらうれしいと

思っていることを伝えたかった。

何度もパソコンで書き、直しては書き、

完成したら印刷をして、葬儀に来てくれた

人に渡しに行った。


子どもの死=母として生きてきた自分の死だ。

私はただただまわりの人に

長女のことを覚えていてほしかった。

確かにいたんだよと叫びたかった。

そして自分がまわりから取り残されるのも

悲しかったし、こわかった。


そんな風にして、時々まわりが驚くほどの
 
エネルギーで動き、それ以外はコトンと落ちる

ように寝てばかりだった。


「本当は生きていたくない」と願う私を

体は生きるために、必死に守ってくれて

いたんだと思う。


また、地域の風習で四十九日までは一週間ごとに

家でお念仏をあげることになっていた。

あちらの世界で仏様になるための階段を

上がっていく人に、みんなで唱えることで

応援をするのだ。


毎週金曜日、近所や親戚が来てくれて

みんなが長女のためにお念仏を唱えてくれる。

まだ小さい子たちだから、いるだけでかわいくて

一生懸命な姿に、夜なのに「大丈夫だよ」と

連れて来てくれる友達の優しさに

胸が熱くなった。

地味な風習だけれど、みんなで長女に応援歌を

歌ってもらっている気がした。

終わった後はみんなでお菓子を食べてお酒を

飲んで、時々泣いて、安心できる時間だった。


長女のために掛けていた学資保険も

生命保険の解約も、さまざまな手続きも

金曜日にした。

保険、妊娠中から考えていたのにな。

大人になったら渡すことだけしたかった。

これから何百回も書いたはずの、想いを込めて

つけた名前、こんな手続きで書くためじゃ

なかったのにな。

夜みんなが来てくれるから頑張れると

思って、なんとかやった。


四十九日の法要はお祭りの時に集まる

仲のいい近所の家族と親戚に来てもらった。

納骨が済み、食事も子どもたちがにぎやかで。

胸が苦しいけれど、いてくれてよかったなぁと

長女も喜んでいる気がした。


この日のために私はDVDを作っていた。

長女が生まれてきてからの写真をまとめて

音楽をつけたもの。

BGMに平原綾香さんの「おひさま」を使った。


ひかりがさし
風が泳ぎ
生きてゆけると
そう思えたの
出會えた日は
私の記念日
ごめん おおげさ?
本當の氣持ちよ

あなたは私の奇蹟
あなたは私の希望
暗い闇も
行き止まりも
二人なら 輕いね

あなたと ともに笑って
あなたと ともに泣いたね
どこかで 私を 感じてて
それだけでいいのよ

目覺めてから
眠りにつく
すべていとおしい
そう思えたの
笑うだけで
?が出たわ
ごめん 大げさ?
本當の氣持ちよ

あなたの喜びもらい
あなたの痛みももらう
この暮らしが
つづくのなら
何もいりはしない

あなたは私の奇蹟
あなたは私の希望
必ずどこかで見ているわ
それだけでいいのよ

たとえ世界中が
あなたの敵だって
私だけは いつでも味方だわ
大丈夫
信じて
あなたが忘れていても
私が忘れはしない
この命を 投げ出すのに
迷いなんてないわ

あなたは私の奇蹟
あなたは私の希望
お願い
どこかで笑ってて
それだけでいい
それだけがいいのよ



ただただ長女が向こうで笑ってくれればと願った。


みんなでたくさん泣いた。

懐かしい姿に時々笑いながら、たくさん泣いた。

長女は短い人生だったけど、こんなに

楽しく幸せに生きて来たんだと

そして悲しいけれど、それを自分で選んで

来たのだなぁと思った。
最後にみんなで集合写真を撮った。

そしたら不思議なことに、他の人が

写真にオーブと、私のお腹の所に

小さな女の子の横顔のようなものが

写っていたと持ってきてくれた。

何枚かのうち、私が笑顔の写真にだけ

写っていた。

うれしいけど悲しくて、でも

「ママが笑っているとうれしいよ」という長女の

メッセージなのかもしれないと、そう思った。