今まで誰にも話せなくて

旦那さんにも話してなくて

本当の本当は、もう亡くなった母しかわからない事

書いてみようと思います


少しずつ、思い出しながら



私は、母子家庭で育ちました。

うっすらと記憶があるのは古いアパートに母と2人で暮らしてた事

そして時々、『お父さん』と呼んでは無いけど

そう母に言われてたような人が、母と私の住むアパートに時々来ていた

そのおじさんと2人で出かけて、リカちゃん人形を買ってもらった記憶がある



その頃に1番印象深く残ってる記憶が

3人で家を見に行ったこと

一軒家だったな

私の部屋が出来るとワクワクしたんだ

けど、その家に引っ越す事はなかった



小学2年の頃、そのアパートから

引っ越した

小さな小さな古い家

母が働きはじめた所の寮みたいなもんかな

敷地の中にあったから



もちろん古くてお風呂もなくて、母と近くの銭湯に行ってた



その頃かな

『お父さん』と聞かされてた人と違う『おじさん』と母は会うようになってた

いつも少し電車に乗って会いに行き

いつも〝お好み焼き〟を食べて

いつも母は〝服〟を買ってもらってた

私には話かけられた記憶もないし、何かを与えられた記憶もない

私は『お好みのおっちゃん』と読んでた




それが何年続いたのかも忘れたけど



私が高校生になった頃、また引っ越した

母の持病が悪化して働けなくなったらしい



古い二階建ての家の1階部分

2階は美容師さんだという若い女の人が住んでいた

今度の家には〝お風呂〟があったので嬉しかったけど

ゆっくり湯船に浸かってると、母が何度も声掛けてくる

『長いけど、大丈夫?』って

凄く心配性の母です


私はそのお風呂のガスの着火スイッチみたいなのが

家の外にあるのがただ漠然と怖かった




そして私は

当たり前のように高校を、卒業したらすぐ働き始める

周りの友だちはみんな進学したけど

結局母が働けなくなって

我が家は〝生活保護〟をうけてたから



私が働くのは当たり前だと思ってた

私が母を助けなければと




そしてこの頃

母の秘密が分かり始める

ある人が訪ねてきた事がきっかけで…

裁判にまでなったので

その記述書の中でわかってきた

うっすらだけど



母は その〝おじさん〟と結婚していて、その間に

私に〝お父さん〟と言っていた人の子を身籠り、私が生まれた



大人になって



父のお葬式で

父親方の親戚に会うことがあったんだけど

私は〝妾の子〟と呼ばれた

あんたの母親は、バチが当たってまともに歩けなくなったんだと罵られた




結局、母に詳しい事の真相を聞くことはなかったけど

母はどうやって父と出会い、なぜ私を産んだのかもわかんないけど



母の歩んだ波瀾万丈の人生を

聞きたかった気もするなぁ



幸せだったのかな




母の古いアルバム見返すと

私の知る

母の歩んだ人生の辻褄が合ってきて

母の歩んだ人生が記録されてるように思えるのでした