笹原俊さん博多お話会5月12日

https://nicochannel.jp/shunsasahara/video/smYuieHumpw8QWdSGstFRVhd

後半・古代史パート(22分ぐらいまで)

 

あれれ、奈良から進化してる? と思ったので起こしてみます。

難しいけど、起こすことで少しでも自分で理解できるようにと思ってやっております。

 

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ご当地ネタ。古代史。少しずつやります。

なぜ私が古代史を一生懸命やっているのか?

この国のルーツ、成り立ちを明らかにするということ。

 

中国の歴史書にも書いてありますが、2世紀とか3世紀ぐらいに倭国大乱ってのがあったと書いてあるんですけど、その倭国大乱の内容は全く残ってない。

1世紀から4世紀までの記述が飛んでいる。=消された。天皇家に消された。天皇家にとって非常に都合が悪いから。

 

倭国大乱の前の流れ。

今の天皇家、126代続いている天皇家は、世界最初の王朝だと、日本で最初ということになっていますが、そんなことはなくて、第6王朝です。

日本では、3万年ぐらい前から5つぐらいの王朝があった。

(1~3は略)第4王朝が富士王朝。

 

第5王朝時代に、九州にウガヤ朝ってのがあったんです。ウガヤフキアエズ。ツイッターの「智子444代目」さんは、ウガヤ朝の444代目。

 

九州にウガヤ朝というのがあった。ウガヤフキアエズって人がいて、恐らく本部、本拠地は大分県の宇佐だったんじゃないかと思ってます。

そのほかに、第4王朝の富士王朝はまだ残ってる。

第5王朝は多分出雲朝だったと私は踏んでいる。奈良にあったんじゃないかという説もあるんですけど、私は出雲説を採っている。

 

2王朝が並立していた。前王朝があって。

なぜ2王朝が並立?

アマテラスが2人の孫に、両方とも神器をあげちゃった。

アマテラス=第4王朝の始祖。

瀬織津姫がやらかして内乱になった。オシホミミという、瀬織津姫の子供が、本来の王子を差し置いて即位しちゃった。

オシホミミの子供=ホノアカリ、ニニキネ(ニニギノミコト)と2人いた。

お兄さん(ホノアカリ)が本来王位を継ぐはずだった。継いでいた。お兄さんは最初は富士にいたんだけど、その後、子孫が出雲に行って、出雲の土着の王様と1代交代で次々に即位してって、ホノアカリ出雲朝を恐らくつくったんじゃないか。

こっち(兄・ホノアカリ)に全部あげりゃいいのに、十種神宝(とくさのかんだから)をあげて、ニニキネにも三種の神器をあげてる。

2人に神器をあげて、2人同時即位させちゃった。(ニニキネは九州、ホノアカリは出雲)

これが間違いのもとだった。

 

ニニキネ。弟。ものすごい業績を上げた。

最初、筑波辺りから行って、ずっと東進していくんですけど、日本全国に水田耕作を普及させる。当時、畑で作っていたのを、水引いてかんがいして、水田にして稲を作って、みんなが食べていけるようにするというふうにした。この人1代で、縄文時代を弥生時代にしてしまった。この人の在任中に日本のGDPが5倍になったと言われている。

GDP5倍にすると、さすがに偉くしないとまずい。

で、アマテラス(存命)が、これ、業績がでかすぎるっていうので、お兄ちゃん(ホノアカリ)にあげた後から、この子にも神器をあげて、2人同時に即位させた。

 

アマテラスが生きてるときはよかった。

その死後、2王国でバトルが起きる。ウガヤ朝と出雲朝でバトルが起きる。

その発端になったのが、世継ぎ文盗写事件。

 

出雲朝は、ニギハヤヒっていう王様がいたんだけど、子供がいなかった。

世継ぎ文ってのを、奈良に出張している、ナガスネヒコっていう出雲朝の宰相がいて、この人が、ウガヤ朝が秘蔵していた世継ぎ文=それを唱えれば赤ちゃんが出来ちゃうっていうすごい霊験あらたかなアマテラスの秘宝をウガヤ朝が持ってたんだけど、それを引っ張ってきて写しちゃう。当時は、本は貴重品で、こういう呪力のある本というのは、国宝になってたんだけど、その国宝を写し出して、ニギハヤヒに唱えさせて、ニギハヤヒが子供出来ちゃうっていう。

ニギハヤヒはよかったんだけど、この取られたウガヤ朝は黙ってなくて、遠征軍を出して、奈良で一回決戦をやる。

このとき、遠征していたのが、タケヒコって人で、タケヒコの実績はいろいろ組み合わさってる。タケヒコって言われてる人は途中で3回ぐらい死んで4回ぐらい入れ替わってると言われてて、7人ぐらいの実績を足したんじゃないかって言われるんですけど。

 

最終的に、これが奈良で即位して、神武天皇になる。

これが、神倭朝だという話。

この辺がちょっと前振り。

 

この後、神武天皇が遠征して、統一したのかと思いきや、かなり、神武天皇が即位したときは、これは、いろんな一族から取ってきて、代わりばんこに王をやってたみたいで、神武が即位した後も、どうやら出雲朝は健在だったみたい。

ここからこっちに移って、九州のほうはどうなったかというと、九州は、王様が宇佐から奈良に移っちゃって、しばらく放置されたみたいで、ここで小国分立状態になるわけです。

この状態で2世紀を迎えちゃう。

 

当時の九州は、宇佐に豊の国ってあった。今、豊前、豊後とか言われてるのは豊の国。

あとは、この辺に伊都国(いとこく)とかあって、この辺に狗奴国(くなこく)とかあった。この辺に投馬国(つまこく)、ここは、博多国、博多って国だった。鳥栖国とかもあったし。

 

福岡ってのは、黒田長政がつけた名前で、古代の都市国家としては、博多。

今でも、この町は博多だと思ってる人? 福岡だと思ってる人?

福岡の町は、ずっと古代は博多で、駅は博多でしょ。

 

この豊の国が宇佐にあるんだけど、ここがもともとのウガヤ朝の帝都で、ここに巫女さんがいた。

宇佐神宮って、今、八幡宮になってるけど、宇佐神宮は、もともとはツクヨミの神を祀ってたみたい。

ツクヨミは、記紀だと消去されてる。生まれた箇所以降一切記述がないけど、恐らく、記紀でスサノオが働いた数々の悪事は、実はツクヨミが働いてたんじゃないかと言われてて、スサノオは別のことやってるんじゃないかなという話は今あるんだけど、ちょっと、今、調査中です。

 

ここで、多分、博多国なんだか、この辺の国がものすごく大きくなってきて、この辺の国を従え始める。

投馬(つま)の国まで行って、この辺一帯を押さえちゃうんだよ。この辺を全部連合王国にして、都を宮崎に移して、日向(ひむか)って国になった。日向国。

ここの王様が、イニエって人だったんだろうけど、このイニエ大王(おおきみ)ってのが、10代・崇神天皇って後世言われてる人。

 

神武天皇は、一応、連合政権だったんだけど、力はなくて、出雲朝に攻め込まれちゃって、で、こっちからも攻め込まれて、落ち延びて、岡山まで落ち延びて、吉備の国に行ってて、吉備の国に、磯城王朝ってのをつくってて、だから、今の神倭朝は、1代から3代までヤマトにいたんだけど、4代から9代までは、どうやら岡山にいたみたいで、これの生き残りが物部ってことになってるようです。

 

物部王朝説、前回唱えたのを改訂してるので、これをこう変えましょうという。(物部→日向)

この日向国が力をつけてきたので、奈良に攻め込んだの。

崇神天皇配下の九州王朝が奈良に攻め込んだんだけど、熊野まで行くらしい。熊野まで行くんだけど、そこでやられちゃう。

やっぱり、男が率いて攻め込むぞーっていってもダメなの、当時は。

当時の日本ってのは、巫女が偉いの。神武のときもそうなんだけど、初代の頃は巫女さんがいて、その巫女が神託を受けて、それを実行するのが天皇。女の巫女のほうが偉くて、その巫女に対する信仰が広まってた。

 

この磯城王朝、吉備に落ち延びてるんだけど、奈良の三輪山に巫女がいて、多分、こないだ見た、ももそ姫がちょうどこの時代だから、ももそ姫ってものすごい巫女がいて、信仰を集めてて、攻め込んだはいいけど、住民が全然がっちりかたまっちゃってて、どうしようもないっていうので、帰るわけ。

向こうはももそ姫がいるから、対抗する巫女をこっちもつくんなきゃダメだというわけで、豊の国に巫女がいたわけだ、案の定。かつてのウガヤ朝の太陽の巫女をちょっと味方に引き入れようって、ここの連合国家をつくる。ここで、日向・豊連合というのができる。

 

豊の国の当時の巫女は、豊玉姫。豊の国の玉姫で豊玉姫。これが、ももそ姫に劣らずすごい巫女だった。

この人の霊力、神託を受けて、よし行くぞっていうのをやって、こっちはこっちで信仰をかためて、じゃ、第2次遠征だ。

その遠征の途中で、日向の国、投馬(つま)で、崇神天皇が死んじゃったらしい。それで、ちょっと正統性が欲しいって、中国に使いをやった。

 

その前に、将軍を募集する。

将軍を募集。

武内大田根(初代・武内宿禰)って人とか。(武内宿禰は3代いる)

田道間守(たじまもり)。

額田さん(額田宿禰)。

 

この田道間守と、娘のトオチニイギ姫、これともう1人の姫をつけて、魏国に送ったらしい。

魏に行って、「日向(ひむか)国」ですよ」って言ったんだけど、魏の人が勘違いして、ヤマト国、邪馬台国っていうふうにして、これが「魏志倭人伝」にいるヤマト国ってのは、日向・豊連合で、この豊玉姫ってのが、太陽の巫女のヒメミコだったんだけど、卑弥呼だったらしいです。

 

宇佐神宮は、もともと、ツクヨミを祀っていたんだけど、今は3人祀ってる。

1人が神功皇后。

こっちは応神天皇。

一番前にあるのが、姫大神。

姫大神=豊玉姫らしい。

 

金印などもらって、中国に正統王朝の証をもらって、よし、じゃ、ヤマトを攻め込むぞーって攻め込んだ。

豊玉姫が自分で軍勢を率いて攻め込むっていう、すごいことをやったらしい。

軍勢を率いて出陣して行ったんだけど、豊玉姫は、途中で病気になって死んじゃう。広島、宮島か何かで死んじゃうらしい。その後、宇佐神宮に帰って、姫大神として祀られる。

 

ちなみに、魏に行って金印もらった、そのときに、のぼり、旗を8本もらったんだって。その8本の旗を宇佐神宮の境内に並べて、みんな崇拝してて、それで、宇佐神宮はそのときから、8本の旗で八幡。八幡神宮→八幡宮。

その頃から八幡神、八幡の神ってのができるようになったらしい。

豊玉姫が死んだ時点で、宇佐神宮は宇佐八幡宮になって、姫大神を祀った。神功皇后、応神天皇はまだ祀られていなかった。200年後ぐらい。

 

第2次東征は、勝ったんだけど、その時代は、イニエ大王からイクメ大王になってて、これが、11代・垂仁天皇。

崇神天皇が途中で死んじゃって、結局、ヤマトに入って、ヤマトを制圧したのは垂仁天皇だという話らしいです。

途中の経過も、瀬戸内海ルートと山陰ルートで両方行って、田道間守とかはこっち(山陰ルート)で行ったらしいんですけど、この田道間守の出雲侵攻で、出雲王国は滅びてしまう。

 

ついでに、4代から9代までの吉備の磯城王朝も倒して、一足先にヤマトに入る。

後から、本隊がヤマトに入ったときには、もう、この田道間守がそこを占領しちゃってて、自分が王みたいになっちゃってた。

 

この田道間守に対して、後から行った九州連合の将軍がなかなかいなくて、滅亡した出雲王朝の将軍を呼んだ。

で、出雲には富家ってのと、神門家っていう2つの家があって、こっちはインドから来た神で、こっちはホノアカリ系、2つの王家で交代で、大名持ちと少名彦って感じで交代で王様をやってた。最後(17代)は富家の富大田彦って人だったらしい。

 

この人を将軍にして、田道間守に攻め込ませた。富大田彦がちょっと富のままだとヤバいだろうってことで、野見大田彦にした。最後に宿禰の称号をもらって、野見宿禰って呼ばれるようになった。

田道間守=当麻蹴速(たいまのけはや)らしいです。

 

野見宿禰が田道間守を倒して、ここを制圧しましたという話。

相撲で勝ったという話になってるらしい。

 

この野見宿禰から、菅原道真の菅原氏が出てる。

この人は富家の最後の王様。

最後、17代目が神門振根って人と富大田彦って人で、こっちが大名持ちでこっちが少名彦だったのかな。

 

ちょっと詳しいところは、またやりますが、

野見宿禰一族は、古墳を造る土師になったらしい。

 

ここで、崇神天皇の2代目の垂仁天皇がヤマトを制圧して、ここで1回王朝交代が起きて、ここから先は、しばらく日向王朝でいくってことで、

要するに、卑弥呼(豊玉姫)、崇神天皇の奥さん、これ結婚したんだけど、その息子の垂仁天皇がヤマトを制圧して、9代と10代の間で王朝交代が起きてる。

 

卑弥呼は途中で死んじゃうけど息子が全国統一を成し遂げたという話でした。

古代史は、またちょっとずつやります。

 

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この長さなら、まあ、起こしやすかったです。奈良がすごい大変だったから(笑)

そして、奈良のお話を聞いてたから、ほんのちょっとだけ私でも理解できました。。。

あまり感想はないです(笑)

九州行ったことないんだよな。行ってみたいな。

 

ありがとうございました。