その場所に肌寒い風が一つ吹いたとき、櫻井が口を開いた

「…家にいるとさ、なんか暖かくって居心地がいいんだ。帰ればご飯も用意されてるし、スーツのシャツだって洗濯機に入れれば次の日にはアイロンが掛けられて部屋に置いてある。家族同士も仲いいし」

「いいね。ちょっとうらやましいかも」

「だけどさ」

「ん?」 

「このままじゃダメだって思ったんだ」

姿勢を前かがみにして両ひじをひざの上にのせる櫻井の姿は、いつもより少しだけ大人の雰囲気になる。
こんな時、松本は自分よりこの人が年上なのだと思い知らされる。

「家族の中にいて暖かいのもいいけど、外に出てみないと分からないことはたくさんあるだろ?
だから今日中には住む家見つけて、決心が鈍っちゃわないように引っ越す日まで決めようと考えてたんだ。これからは家賃とかも全部自分で払って、自立した生活を、ってね」

櫻井が今日の家探しをそこまで真剣にしていたのだとは思ってもいなかった。
櫻井の家はそれはそれはとても裕福な家で、それこそ住み心地は抜群なはずなのだ。
確かに今考えてみれば、そこを自分から出て行こうと考えた時点である程度の決意はしていたのかもしれない。
「でも、」と声を上げた櫻井を見ると、すっかり普段の表情に戻っていた。

「今日はここまでだな。またの日に探すことにするわ」

「いいの?またの日って、いつ?」

心配する松本に、櫻井は眉尻を下げながら笑ってみせる。

「まあ、それは分かんねぇけどさ。仕方ないってことで」

そしてすっかり暗くなってしまった辺りを見回して、帰ろっか、と立ち上がると一つ伸びをした。
松本はそんな彼の背中を見つめる。
年上のこの人は、考え方が論理的で同い年のやつよりもはるかに大人だと思う。
けれど普段は柔らかい雰囲気で、そして少しだけぬけてるところもあったりする。
一歩引いた目で見れば、それは寒さを知らずにぬくぬくと育った温室育ちの野菜みたい見えるかもしれない。
それらは確かにおいしいけど、今日見つけた春キャベツのように、寒い冬を乗り越えたときに生まれる自然の甘みには叶わなかったりする事もある。


「翔君さ、なんか会社であったの?」

当てずっぽうだった松本の質問に、櫻井はビクリと肩を震わせた。

「…なんで?なんもねえけど」

あからさまな反応を返しておきながら、否定してくる彼はやっぱり案外脆かったりするのかもしれない。

「いや、なんとなくね」

とりあえず深く入らずにそう返した松本は、勢いを付けて立ち上がった。
そして先にいた櫻井の元に歩いていくと、振り返った彼に向かって、大きく息を吸い、決心したように話を切り出した。

「あのさ、翔君がよければなんだけど…」










「それで、ここに住むことにしたんですか?」

「おう!」

「なんでだよ!!矛盾してるだろ!ってか、潤君この人に甘すぎでしょ!」

「翔ちゃん、ここに引っ越すんだ!」

「いつからお隣さんになるんだ?」

「今週末から」

「なんで俺しか突っ込まないんだよ!ちょっと潤君ちゃんと話してよっ」

なんともぬるい空気が流れる中、一人質問責めにしている二宮の元に今回の話の提案者の松本が近づいてきた。
ランチの営業を終えたお店に珍しく五人がそろって、にぎやかな空間を生み出している。

「だから、翔君が話したとおりなんだって」

「おかしいでしょ?何もかも自分でやりたいっていった人間が、なんで潤君の家に住むことになってんだよ」

「家事とはとか教えてもらってやるよ」

「そういう問題じゃないでしょーよ!」

理解不能だ、とツッコミを入れまくるニノに、松本は苦笑いをする。

「確かに自立にはなんないかもね。だけどとりあえず翔君、家出たかったみたいだからさ。協力する気になっちゃって」

一人暮らしには程遠いけれど、家を出てみる事が彼のプラスになるならちょっと手を貸そうか、という気持ちになったのだ、と松本は言う。

「潤君は翔さんに甘いんだから!知らないですよ、色々後悔しても」

「あ!ニノ、今の言葉俺に失礼だろ!ちゃんと自分の事は自分でするってば」

櫻井の言葉に松本の口角が上がる。
その様子に何をいっても無駄だと思ったのか、渋々引き下がった二宮は、はあ、と肩を下げ「…そう意味じゃないんだけどな」とぼそりと呟いた。


六日後。
引越しも完了し、櫻井は松本の家で一緒に生活を始めた。

そしてそれからしばらくして、自分のある気持ちに気付き始めた松本は、二宮の呟いた言葉の意味を存分に思い知らされるはめになるのだった。