彼はそれからちょくちょく店に訪れては、短くだが話しかけてきた。
初めて話してから3回目の来店時には、ぎこちなさを完全に取り去って接していた。


昔から人と自然に接するのは苦手ではない。
仲良くなるとか、友達を作るのが早いというわけではなくて、つつがなく接する事が得意なのだ。
だから、友達は?と聞かれたら、特にいないということもできたし、名前を何人もあげることだってできる。
そんな俺の事を、周りのやつらは器用な人間だなんて言っていた。
だからこそ、櫻井さんとの初対面でのやり取りは自分でも戸惑った方だと思う。
普段なら彼が常連客だと分かっていたのだから、話しかけられたときにその話題を出すことだってできたはずなのに。
『いつもご利用ありがとうございます』、なんて言ってさ。

おかしいな…
いや、突然だったからだよ。
そう自分に言い聞かせた。


その日もいつも通りに仕事をこなし、帰るために引継ぎの作業をしていると、店長の怒鳴り声が聞こえてきた。
何事だろうと事務所を覗くと、そこには顔面を真っ赤に染めた中年オヤジと、最近入ったばかりのバイト君の背中が見えた。
店にまで届きそうな大きな怒声だったが、大体の内容はつかめた。
つまりだ。
仕事でバイト君が何やらとちってしまったらしい。
しかもその店長の様子から見ても、ただ謝っただけでは済まされないようなそんな案件なのだろう。
不愉快極まりない怒声を聴きながら、ふう、と息を吐いて天井を見上げる。
いつもは見ない箇所の蛍光灯の端が黒くくすんでいるのがわかった。
あの蛍光灯も俺も、そろそろこの辺で寿命なのかもしれないな。
まだまだ続きそうな怒鳴り声に意を決し、顔をもとの角度に戻す。
バイト君のしょんぼりとまるまった背中を見ながら、中へ入った。





外に出てバッグを自転車のかごに突っ込んだ。
ハンドルを握って強引に押すと、ストッパーになっていた金属がガシャンと音を立ててもとの位置に跳ね上がる。
自転車にまたがりペダルを踏もうとしたとき、俺を呼ぶ声が聞こえた。

「二宮さんっ」

最近すっかり聞きなれた声は、いつもより少し上ずっていた。

「櫻井さん?」
 
仕事帰りなのだろう、いつものラフな格好とは違い、
スーツ姿だった。
街灯に照らされて見えた表情には、分かりやすく戸惑いの色が滲んでいた。

「あの、俺がこんなこと言うのも何なんですけど、あれで良かったんですか?」

眉を下げなら申し訳なさそうに言ってくる彼に、こっちが気を使わせてしまった気分になる。
だから軽く頷いて、「いいんです。実はもう辞めようと思ってたし」気にしないでください、と笑った。

「そうだったんだ。でも、だからって何も自分のせいにしなくても良かったんじゃないですか?」

「なんだ、本当に全部聞いちゃってたんですね」

「それは、その…いや~、まあ」

たかが他人のためにここまで感情的になるこの人の存在が、今の俺にはなんだかありがたく感じられた。

「いいんですよ、あれで良かったんです」もう一度落ち着いた声で話すと、尖らせていた唇を噛んで無理やりに納得しようとしているようだった。

…変な人だな、相変わらず。

バイトはつい先ほど首になった。
理由は、新人が俺の説明不足でミスを犯してしまった。
だから責任を取るってカタチだ。
まあ、こんなのよくある話。
辞めようと思っていたのだから悔いは無い。

とりあえず明日から新たな仕事を探さなくてはならない。
今回の唯一の失敗は、次の就職先をまだ全く考えていなかったことだ。
だけどそれは自分のせい。
仕方が無い 。
帰りにコンビニで情報誌でも買うかな、なんて思いながら自転車に再度またがると、視線の先には未だに櫻井さんがどこかそわそわした雰囲気で佇んでいた。

「では、今日でお別れですね」

特に何があったという関係ではなかったけれど、少し寂しい気がした。
他人に固執しないこの俺が、珍しいと我ながら思う。

「さよーなら」

ペダルに力を込め、車輪が廻る。
だけど、それは一回りとすることができなかった。
突然彼が飛び出してきたのだ。
慌ててブレーキを握り締めたから、きゅいーっと耳が痛くなる音がした。

「っぶな!!何してんですか!怪我したらどうすんの!」

思わず怒鳴った。
顔をうつむけたままの彼から、白い息がはあっと吐き出される。
そして聞こえてきたのは、やけに情けない声。

「だーめだ!やっぱ諦めきれねー!!」 

「は?」

疑問に思っていると、寒さで赤みを帯びた手がガシリと俺の手袋に覆われた手を掴む。

「何も言わずにさ、お願いだから俺について来てもらってもいい?」

その発言の意図がさっぱり掴めず、唖然とするばかりだった。










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