あっという間に出来上がった料理を持ってホールに行くと、そわそわと辺りを見回している男の姿があった。
その様子はまるでお気に入りの夕飯を待ってる子供のようで、思わず笑いが溢れる。

「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
さすがに少しむっとなったのか、男は口を尖らせながら言った。

それにしてもよく表情を変える人だ。
ころころと変化するこの男に何故か引かれ、純粋に興味を持ち始める。

「すみません。ついつい…お待たせいたしました。
ご注文のナポリタンでござます」

謝りの言葉を述べながら皿を置き、そのまま向かいの席に腰を下ろす。
男は、一瞬驚いたように目を大きくしたが、何も言わずにそのままフォークを手にした。
一口分を器用に銀の食器に巻きつけ口へ運ぶ。
その動作だけで、彼の隠せない育ちのよさがわかった。

「…おいしい」

久しぶりに耳にした日本語の感想は、すっと心に染み渡った。
同郷の人間の言葉は自分の心の奥底に届き、途端に顔が熱くなる。

「ありがとう…」

「本当においしいよ、これ!抜群にうまい!
なんていうか懐しい」

口も腕も動かしながら、男は料理を褒めちぎる。
敬語では無くなった事に、気付いてはないようだ。

「懐しいって、思い出の味か何か?」

そのノリに任せて話しかけると、後に続いたのは自然な会話だった。

「俺の祖母が作った味に似てる…小さい頃よく作ってもらってたんだ。ナポリタン」

「そうなんだ?そう言ってもらえるとなんか嬉しいよ」

「いや、本当にうまいから。…ここへは勉強で来てるの?」

「うん、料理の勉強がしたいと思って」

「すごいなー」

感心したように天井を仰ぎ見る彼は、数秒間そのままの格好で黙りこくった。

苦しくないのかと松本が不思議に思ったのと同時に、軽くむせながら元の姿勢に戻る。
どうやら思ったとおりキツかったらしい。
大丈夫なのか問いかけると、眉間の間にしわを寄せながら平気だと返してきた。

そして

「もう、日本には戻らないの?」

今までとは全く違う表情で、唐突にそう聞いてきた。
それはやけに大人びた表情で、松本はつっかえながらも何とか応えた。

「え、あ…も、戻るとか戻らないとか、あんまり考えてないかな」

「そうなんだ」

あっさりと頷くと、男はナポリタンを見つめたまま数秒間黙りこくる。
そして、ぱっと顔を上げ視線を合わせる。

「なら考えてよ。ってか戻ってきてよ」

「え?」

「俺、君が作ったナポリタンがまた食べたい」

なんて掴めない人なんだろう。
呆気に取られて松本はぽかんと口を開けた。
出会ったばかりの人間に、言う内容ではないような気がする。
だが言った本人は戸惑う松本を気にもせず、頬を持ち上げにんまり笑った。
その顔は、決してそんなつもりなどこの男には無いのだろうけれど、何故か挑戦状か何かを突きつけられているような気分になった。

「じゃあ、もし俺が帰国したら最初にナポリタン食べに来てくれるわけ?」

負けじと言い返すと男は嬉しそうに頷き、あはははーっと声をあげて笑った。
そしてその質問には答えることはなく、食後の最後の挨拶のため手を合わる。

「ご馳走様でした。
すみません、ずいぶんと長居してしまって」

「いえ、僕の方こそ楽しかったです」

営業時間が迫った帰り際、二人の関係は料理人と客の関係に戻った。
扉を開けた向こうに、男の姿が夕焼けで赤く照らされた。

「御代まで…ご馳走になって本当に良かったんですか?」

「はい。今日はお客様に大事なことに気付かされた気がしますので、そのせめてものお礼です」

「え、あ?そうなの?…ん、はい。それは、どうも…ふはっ」

「ははっ」

お互いになんとなく笑いあって、
それを合図に男は通りに沿い歩き始めた。
少しばかり見送ったところで、松本はハッとなりあわてて声をかける。

「そう言えば、名前!!聞いてなかった!」

「あれ?そうだったっけ?」

あれだけの時間話していたのに、お互いの名前すら知らなかったとは…
二人はまたしても自分たちの奇妙な関係におかしくなってしまい、気が抜けたように笑った。

そうして落ち着いたところで、まずは松本が「俺、松本潤!覚えておいてよ、絶対に。あ、それと!ナポリタンは日本料理みたいなもんだから、こっちではないよ」

それを聞いた男はニヤッと笑い、
「知ってるよ。それでも食べたかったの。だから作ってくれて嬉しかったよ」と答えた。
そして鞄からメモ取り出し、何やら書き始め松本に手渡す

「無理なオーダーきいてくれてありがとう。俺は翔、櫻井翔。
それとさ、松本さんに言っとかないといけないことが一つあったんだった」

「え?何?」

「櫻井、ナポリタン一つ、予約入れときまーす」

またもや予想外のことを威勢よく述べると、櫻井は呆然とする松本に綺麗に微笑みかけ、今度こそ紅く染まった街中を駆け去っていった。

一人その場に取り残された松本は、手の中の感触に目を落とす。
メモの内容は極簡単な個人情報がざっと書かれていた。

「さくらい、しょう…か」

松本はそれを眺めながら、最後にもう一度くすりと笑った。