意味はわかっている。
だから言い直すことを求めたわけじゃない。
だが、律儀な櫻井は他の理由も含めて言葉を続ける。


「春にはなかなかいい物件が見つかんなくて、とりあえず部屋が見つかるまでって事でここに転がり込んだけどさ。
いつまでも松潤の家にいたらさ、彼女とか作っても俺邪魔になるだろうし。よく考えたらお前はお前の生活だってあるわけだし、お前の時間だって削られてるし。それにお前が…」

「ちょ、ちょっと待って翔君」

慌ててその続きを遮ると、今度こそ拗ねたような表情と目が合った。

…どうしてだろう?
身長差もほとんどないのに、彼はなぜこうも上目遣いになるのか?
…そして俺は何故、彼のこの瞳に弱いのか?


だが、今はそんなことに気をとられている場合ではない。

「なんだよ?」
年上らしからぬ表情の櫻井に、松本は尋ね返した。

「『お前お前』って、じゃあ翔君はどうなの?」

「俺?」

「俺のことばっかりだけどさ、実は翔君がこの家にいて思うことあるんじゃないの?居ずらいとか、落ち着かないとか…」

好きな人ができたとか?

とは声には出さなかったが、頭に浮かんだ言葉にまた胸が締め付けられた。


だが、松本のそんな心境を知る由もない櫻井は慌てて首を振る。

「んなのねえよ。そんなの!この家居心地いいし、安心できるし、すっげぇラクチンだし…」

「なら、いいじゃん」

「はい?」

「出て行かなくてもよくない?ここにいればいいじゃんってこと」

随分顔を近づけて向き合っていることに、二人は気付かない。

「でも、…だって、それじゃあ…」

なおも言いよどむ櫻井。
自分が松本の甘い誘いに半分以上グラついてるこの状況を、良しとは思えなかった。

「俺、本当に今お前に甘えてばっかりだし」

「別にそれを嫌だとは思ったことないけど…それに、それって甘えなの?」

「へ?」

「甘えっていうよりさ、頼ってくれてるんでしょ?俺のこと。それって、すげえうれしいよ」

「……」

「だから俺は居てほしいよ。翔君さえよければだけど」

最後は結論を自分に委ねられたことで、完全に飲まれた。

「…反則だ、そんなの」
苦し紛れに吐き出された言葉。

その答えを受けて笑った松本の表情は今まで見たことのないもので、それはまるでお酒の効いたチョコレートのよう。
迂闊に食べ過ぎると酔ってしまう、けれどやっぱりやめられない。
それほどくせになりそうで、しかしその中に隠れている大人の苦味は、麻痺した櫻井の舌ではすぐにはわからない。
そしてそれは、気づいた時にはもう手遅れなのだ。

「翔君は、余計な心配はしなくていいんだよ」

「余計って…もういいや。なんか、最近悩んでたから疲れた」

「悩み損だね」

「うっさい!風呂入ってもう寝る!」

「ところで翔君、昨日作ろうとした料理って、なんだったわけ?」

「…ブ」

「ぶ?」

…ブイヤベース









「初心者が何見栄張ってんの?」

次の日から隣の家の住人大野を含めた3人に散々弄られる櫻井。
その様子を目を細めて見ている松本。


出て行くとか、出て行かないとか。
その言葉に胸がキリッと痛んだ理由に二人が本当の意味で気づくのは、まだ少しだけ先の事だった。