日曜の昼下がり。
かなり溜まっていた仕事を急ピッチで仕上げていった。
しばらく使い物にならなかった分、二宮がここぞとばかりに矢のように催促し始めたからだ。
急いでいるとはいえ、クオリティは下げたくない。
「…うん、大丈夫だ」
確かめるように自分に頷いて、顔を上げるとそこにいたはずの彼がいない。
奥の部屋へ行ってみると、ソファに座っていた。
その表情は穏やかで、見ている自分も温かい気持ちになる。
2か月前のあの出来事が信じられないほどだ。
「ねぇ、飽きないの?」
「全然だね」
再開の翌日から2週間の出張へ出た翔君は、そのままの足で俺の自宅に訪れた。
そしてここ最近は、暇さえあればアトリエの作品を眺めている。
もちろん他のものがモチーフなものもあるが、自分がファイルされてる写真や作品を翔君はどんな気持ちで見てるんだろう?
「そりゃさ、ちょっと引く…いや、びっくりしたけどね。いや、だってさ、だってスゲー量あるんだもん」
翔君の社名を封筒で確認した二宮は、あれからすぐに会社を見張っていたらしい。
しかし連日の激務で通勤時間が不規則になっていた彼と会う事は、かなり大変だったようだ。
『捕まえました』
二宮から簡潔な内容のメールが来たのは、それから5日後。
本音を言えば、ニノが翔くんへ接触するだろうとは予想をしていた。
ニノをこのままにしておくべきか、止めるべきか、俺自身が迎えに行くか。
いくら考えても答えは出なかった。
ただひとつだけ言える事。
翔君は自分から俺のところへ来た事は一度たりともない。
こんな関係を始めたのは俺で、誘うのもいつも俺。
迎えに行って、翔くんが了承し戻ってきたところで、また同じ事の繰り返しのように思えた。
翔くんの気持ちが俺にあるなら
俺と同じ気持ちなら
きっかけが二宮であれ、翔君自身の意思と足で俺の元へ戻ってきて欲しかった。
「あの時さ、どんな気持ちで家にいたの?」
「え?」
「なんかさ、俺が戻るのわかってたような感じだったから」
「……あれはニノが」
「あ、?何からしら連絡してた?やっぱそうか。
でも、まぁ今回はニノに救われたね」
赤い花を見つめながら微笑む翔君の表情はとても柔らかい。
「不本意だけどね」
あれからことあるごとにこの件を持ち出して、仕事の無茶振り…いや、依頼をしてくるニノを思い出し、思わず苦い顔になる。
「ふふっ。もうさ、人物を描いたら?」
「ダメなの、俺は翔くんしか書けないの」
「んじゃあ、それ出せばいいじゃん。俺は別にいいよ」
「そんな事したら知られちゃうよ。見る人が見たらわかるんんだよ」
「俺は別にいいよ」
俺の大好きな瞳がころころっと動き、バレてもいいよとクスリと笑う。
翔君ってこんな人だっけ?
もっと常識人というか、モラルの塊のだったような…
「敢えて吹聴するつもりはないけど、引け目を感じる事もない」
「でも翔くんの会社や周りに知られたら…」
「別に恥ずかしい生き方はしてない。知られたらなんなの?俺の周辺には非難する奴なんていないし、もし、万が一されたとしても、そんな頭の硬い奴、逆に俺がそいつを軽蔑するから関係ない」
力強い口調できっぱり言い切る愛しい人。
俺が知ってる翔くんは、明るくて世話焼きで、でもどこか遠慮がちで儚げだった。
今はそれに加え、強くて、そして時に短気。
そして頭の回転がかなり良く、時にそれは悪知恵も働くことがある。
でも、そんな彼を知れば知るほど、俺はどんどん好きになる。
嫌いになる要素が見つからない。
「翔くんって強いね」
「強い?かな?幻滅した?」
「んな訳ないじゃん!」
「潤は反対に思ってたより、ちょっとナイーブだよね?」
「えっ?そう?」
「うん だってメールもさ前は『今来れるなら、来てもいいよ』みたいな。『今日がダメなら次いつ会えるかはわかんないよ』的な、ちょっと上からでさ。まさか俺から行く発言を待ってたとは気付かなかったわ」
断られるのが怖くって、ついつい強気な文になってたのは認めるけど、そんな突き放したように思ってたんだなとちょっと反省した。
「俺たちさ、もっと本音を言い合うべきだよね」
「そうだね…それでは、」
「ん?」
「まずはゆっくり座ってお茶でもしませんか?」
ソファ越しの背後からぎっっと抱きしめ続けてる俺を、前のソファに座れと促す。
それならばとすぐ真横に座る。
「…いや、このソファ無駄に広いんだから、何もこんなにぴったり横に付かなくても」
その言葉は聞かなかった事にして、彼の肩に頭をもたれる。
ちょっとすっげ狭いな、とボヤキつつもそのままにしてくれる翔くん。
本当に幸せだなぁ。
翔くんと出会ってから3年間。
ここまでゆったりとした気分で過ごした事はない。
いつもいつも何時に帰るんだろうと時間ばかりを気にしていた。
でも今日のこの幸せも、そんな過去の事があるからこそだ。
いろんな事を乗り越えて今がある。
「あの時は辛かったけど、潤と少しだけ離れてた時間は無駄じゃない」
あぁ、翔くんも同じ事考えてたんだ。
俺たちは考えがシンクロする事が多いから、言葉にしない、できない、あの時みたいな事にならないようにしないとね。
「ずっとさ、」
「…ん?」
「ずっと一緒にいようね」
翔くんが目をすっと細めて深く頷く。
これからも色々なことが起こるだろう。
でも気持ちを言葉にして、ちゃんと話し合えばそれは未来へ繋がるはずだ。
「ところでさ、この作品はやっぱり出さないの?」
「レッドアスターだけはダメだね。これは俺だけの翔くんだから」
「本人目の前にいるのに?」
なんと言われようとこれは出さない、出すつもりはない。
「本物の翔君も、この作品も手放す気は全くないから」
きっぱり言い切った俺に、あっけに取られたのか一拍置いて、でもすぐに楽しそうに笑い声をあげた。
出会ってその横顔に見惚れ、その瞳にすぐに恋に堕ちた。
そして翔くん笑顔は俺に元気をくれるんだ。
翔くんが側にいるとアイデアもどんどん湧いて、作品もあっという間に仕上がる。
昔、尊敬する先生に作品を見てもらった時『技術は素晴らしいが、何かが足りない』といつも言われていた。
その答えが今わかったような気がする。
それまでは去る者は追わずで、本当の恋愛をしたことがなかった俺に愛を教えてくれた翔くん。
「その笑顔を守るから、だから永遠に側にいて」
ビクッと肩が揺れ、寄りかかっていた俺の頭がずり落ちる。
思わず翔くんの顔を覗き込むと、少し赤くなっていた。
心の中で呟いたと思ったが、実際に言葉に出ていたようだ。
「ありがとう。なんかプロポーズみたいだな」と、大好きな笑顔で頷いた。
お付き合い、ありがとうございました