よく見かける頭が悪い発言に「遅れてる」とか「古い」と言い捨てる発言がある。
つまりは「新しいものが正しい。間違っていない。」という論理なんだろう。
だがね。新しいものが正しいわけじゃない。新しいものは正しいか間違っているかが判断できないので、「間違っていないかのように見える」だけだ。

古いものにも善し悪しがあるように、新しいものにも善し悪しがある。
新しさ古さは善悪の基準にはならないんだ。

今現在原子力発電はかなりの悪者になっている。
でもね、夢と未来と正義の象徴であった鉄腕アトムは原子力で動いていたんだよ。

街のネズミは最後には田舎のネズミに気の毒がられるという話を知っているかい?
何かを製造販売する事に携わっている人なら分かると思うけど。
最終的には廃棄されるために生産されるモノって存在するんだよね。
それは最終的には損金になってしまうので、その量は限りなくゼロに近い方が望ましい。だけど、生産されても消費されないモノというものはどの産業においても存在する。

先だって、コンビニチェーンなどで節分の恵方巻が大量に廃棄されているというニュースがあって、それに対して何やら憤りを感じている人がいるらしく。曰く「そんなに廃棄食品が出るのなら恵方巻なんて習慣は止めてしまえ」などと書いてあった。

ワタシはこの大量廃棄のニュースに対しては、損金が多くて商売が下手だという感想以外はまったく意見はありません。
「食べ物を粗末にするな」という方もおりますが、なんだかねぇ。
産業に廃棄物は付き物で殊更に食品が絡んだ時だけ倫理観のようなものを持ちだしてくるってのはどうなんだろうね。。

よくいう「世界には食べたくても食べられない子供たちもいるんだ」的な話につながるのが特によく分からん。
空腹は耐えがたいものがあるし、年端もいかない子供たちがそんな状態にあるのなら、救えるものなら手を差し伸べたいという気持ち。それはとても尊い気持ちだと思うし、異論を挟む気持ちもない。
でもね。それと廃棄食品が結びつくのが分からない。
彼らが飢餓に苦しむのはそこにいるからで、まぁ、そこにいると何故飢餓状態になるのかは色々あるとは思うけどね。それとこの国で食品が廃棄される事は何の因果関係もない。つまり、ここで食品が廃棄されないからといって飢餓に苦しむ子供の飢えが満たされるわけではない。

「世界には服を着たくても服がない子供たちがいる。」って話が出たら、普通は「よし、何とか服を送ろうじゃないか」となるものじゃないかな。「よし、着ない服を買うのは止めよう」とはならないだろ?

なんだろうな。この違和感の残る論理展開って。