ウサギどうも。

元気にしてるかーいはてなマークはてなマークはてなマーク

ワタシウサギは元気ヤデ( ̄∇ ̄)

リモートとか。できないからね。土日を出勤日に入れて、週の出勤日は減らして。なんとか仕事をこなしてる感じ。

はてさて。

着物を着ようって話の続きです。

「着付けを習おう」「着物を着よう」と思ったのは。自分の「着るコトに対する執着」について考えたことに起因していたのですよねガーン


何せ。ワタシウサギは「お出かけ着」ってアイデアをこよなく愛しているし。いつも「お出かけ着」について考えている。

 

ある時。寄席にご招待いただいている時に。ご招待してくださった方の奥様が着物を切られていて。

オシャレして出かけるシーンに着物着るって素敵ヨネ・・って思った。



「着物を着ようと思っているんです」と言ったら。着物に造詣のある人に言われた。「10年着られる服って限られてるでしょう❓アナタが20年、どころかおばあちゃんになっても着られる着物はたくさんあるのよ」


・・なるほど。そりゃ衣料費の節約ダワ( ̄∇ ̄)

↑単純。


初めての着物は3歳の七五三❓


そして7歳の七五三。


その後は・・祖母が連れていってくれた盆踊りかな。


福岡の祖母のうちに行ったら。新品の浴衣が用意されれて。祖母が着せてくれて。祖母の口紅を塗って貰って。海岸沿いの道を歩いて盆踊りに行く。


もっと口紅塗って❗️ってせがんだこととか。祖母が蚊除けに蚊取り線香を持ってたこと。


成人式の時は。


ウサギ振袖はてなマークそんな何度も着ないようなものはいらねぇ。着物はいらないから一緒にイタリア旅行に行こうアップ


と。振袖をご辞退するほど着物には興味がなく。


借りた着物で一応成人式に出席。


その後、イギリスにインターンで行くために浴衣の着付けは練習していったけど、ちょっとご披露したくらい。


お茶習いにいったけど、お茶席もゆるいとこしか行かず洋装だったし。


その後着物着たのは兄の結婚式に借り物の振袖着たのと。


一応記念に・・って白無垢で結婚の記念写真撮ったくらい。


・・なんでまた今更。


じぶんでも驚く。


でもさ。




20年前にイギリスに持っていった浴衣。


帯を変えたら40過ぎた今でも着れたりするのよね・・








 

ウサギどうも。

接触8割削減してるかいはてなマークはてなマーク

ワタシウサギはたぶん・・職場に行くのは週に半分。事務所に居る人は普段の4割、地下鉄ガラガラ・・自宅待機とやすみの日はジョグとスーパーしか行かないし。

うん。頑張ってる。

時々オンライン飲み会したり、YouTube見て踊ったり、着物の着付けの練習したり、襟付けでちくちくお裁縫したり。

退屈することなく割と陽気に過ごしておりますにやり

心配ごとは肥満とアル中だけ滝汗

はてさて。
 
母に着物を送ってもらったハナシ。

着付け教室に行く直前と。
ワタシウサギの誕生日のついでに。

宅急便が届く。

内訳は

着物3枚(小紋、大島紬、ウールの着物)
羽織1枚
帯(名古屋帯4本、袋帯2本) 

ワタシウサギは母よりも10cm身長が違うので、長さはごまかせそうだけど裄丈が足りず袖がツンツン・・

羽織は帯にリフォームすることと相成りましたぼけー


↑この紬はしまい方がよろしくなかったようで緑青の染みがついていたのですけども。
仕立て直しへ。

うさぎは「お金かけてまでお母さんの着物直さなくても・・じぶんの身の丈にあった着物、買えばはてなマーク」と言っていましたけども。

祖母が母に選んだ着物だし、この着物、オシャレだよ〜アップ着たい音譜

・・それにしても。羽織りも着物も。母うさぎから送られてきた着物の類い、全部しつけ(糸)がついたままだったほですよね・・


↑この小紋はそのうち羽織りにでも仕立て直そうかと思っている

ウサギねぇ、お母さんが送ってくれた着物、あれもこれもしつけがついたままだったんだけど・・

うさぎあぁ・・着てないからね、ぜんぜん

・・・はぁはてなマーク( ̄∇ ̄)あせるあせるあせるあせるあせる

・・そういや。昔のアルバム見ても母が着物着てるのって兄の幼稚園の卒業式・・の次はワタシウサギや兄の結婚式くらいかあせるあせる

なんで改めてそんなに驚いたかっていうと。

ワタシウサギの母うさぎは着付けができるヒトだった。
・・というか。娘ウサギに着物を着せるために着付けを習いにいっちゃうヒトだった。

・・・七五三の時なんて。
習いたてだし、母うさぎも殺気だって着付けてたのでむちゃくちゃ怖かったゲロー・・

その後、成人式と兄の結婚式にも振袖を着せてもらった。

・・つまり母は朝、家で娘の着物の着付けという一仕事を終えてからホテルに向かい、じぶんの留袖はホテルで着付けてもらったのだアセアセ

今から考えると。すげーな、母アップアップ

独身時代から母うさぎのことを知る人に言わせると。

母は「私、40歳くらいまで生きればいいの。子供もいらない❗️」なんていうヒトだったらしいですが。

子供を遊ばせること、喜ばせることは労を惜しまない、そんなヒトでした・・

↑73歳。健在ですグラサン






ウサギどうも。

ここに来て、初めての体験、あるかいはてなマークはてなマーク

ワタシウサギあるデ( ̄∇ ̄)

「初めておうちで毛染め」

「じぶんの見た目はアウトソーシンググラサン」毎月美容院行ってきれきれしてもらっていたのですけども。こんな時期だからねぇあせるあせる

伸びてボサボサはどーしようもないけれど。

コンニチワ、コンニチワアップと主張してくるヤツラ(白髪')はやっつけられましたゼ

はてさて。

母に着物と道具をタカリ、送ってもらう・・その次ですよニヤニヤ

モノゴトには順番がアリ。

・・じゃ、それをどこにしまうのか・・次のモンダイチーン

まぁね。うちはそもそもモノが少ないうえに収納は大きいので。入らないワケじゃないんだけど。

じぶんにとって。いつかきちんとしなきゃな、と思っていたのが「お雛様モンダイ」


おうちを買って。

かなりの容量の押し入れとクローゼットがあること、しかもその押し入れに空きがあることを認めた母うさぎ

割と躊躇も容赦もなく送りつけてきましたよね・・

7段飾りの雛人形一式

・・コレね・・嵩張るんですよ・・雛壇とか。箱に収納されてても腰が抜けそうに重くってあせるあせるあせる

仕事フルタイムでしてるし。
マラソンもやってるし。
一応主婦っぽいこともやってる。

出すのもしまうのも時間がなくて。
出せても親王飾りだけで。

押し入れの中でも埃を被っていたり。
どうしたモノやら。

でも。この何度めかの疲労骨折と着物やろう、って決めた時に。色々腹が決まったのですよ。

母は。「お母さんの箪笥に入ってる着物は、いずれお母さんが死んだらアナタが処分するノヨ」なんていってるし。

人形は。
埃かぶって箱に入れているよりも。
毎年出して飾れる親王飾りだけを残して。
残りは処分しよう。

これは。
ワタシウサギの終活のはじまりだ、と。

ほんとは。

最後に七段飾りを全部飾って写真でも撮ればよかったんだけど。できなくて。

お人形だけは1つ1つずつ出して。

ありがとう、ありがとうってお礼を言って。
人形供養をしてくれるお寺に送りました。

片付けをしている時に。お雛様のお買い上げ証が出てきました。


初節句の時に祖母が買いに行ってくれた日のモノ。祖母は。どんな思いでワタシに贈ってくれたんでしょうね・・

・・祖母は。母が中学生の頃に祖父を亡くして。長いこと未亡人でした。

母に

ウサギ雛人形を処分しようと思う

そう母に言ったら。

うさぎ七段飾りなんていらないよ、ってお母さんはおばあちゃんに言ったんだけどね。
お母さんが生まれた時は戦争が終わったばかりだったから、お母さんにしてあげられなかったぶんをさっちゃんに、っていう気持ちがあったんだと思うよ
だから、その気持ちは受け止めてあげてね


そんなワケで。今年はずいぶん早くに親王飾りをだして。時間をかけて。お別れをしました。

手前に飾ってある蛤の雛人形は、

子供の頃に当時お世話になっていた内科の先生が高校に合格した時に「何かプレゼンしたい」っておっしゃって、飾ってあったものをくださったもの。

・・ワタシってば。感激屋さんなのかなはてなマークはてなマーク
大切に思ってもらえた思い出を噛み締めて。愛してくれてありがとう。

・・さぁ、カモンメラメラ着物