今回は、内野屋工務店の傘下で観光路線化しようとした頃の塗装の電車をご紹介します。親会社が変わったことで電車の塗装もメルヘンチックなものに変わりました。

1990年より内野屋工務店の傘下にはいりましたが、わずか数年で親会社の経営不振などで、観光路線化も中途半端なかたちで終了しました。その後銚子電鉄には苦難の時代が訪れてしまいました。
あまり良いことがなかった頃の塗装ですが、銚子電鉄と言えば茶色と赤のツートンカラーでした。(旧塗装を知らないので)
デハ301は鶴見線の前身の鶴見臨港鉄道の車両で、塗装も新しくなっていました。