昨日は、留袖橋伝説の事で、
松本城研究室の誰かをゲットすべく、アンテナを張っていたうさ吉( ̄+ー ̄)
運良く、一人にお会いできました。
「すみません、留袖橋伝説の事でお伺いしたいのですが…
いつから、母から乳母に変わったんですか?」
直球ストレートに聞いてしまいました(・ω・)ノ
「文献を調べてみたら、“母” という記載と、“乳母”という記載があって。
ものすごく悩んだんですけど、
もし、“母”だとして、武家の母が戦に行く子供に取り付いて泣くという事はないのではと…
感情に流されるのは“乳母”だよねって…。
主任研究員と意見が一致したのですね(^-^)
なので、“乳母”にしました」
なるほど…
変わったのは、やはり新ホームページ公開からなんですね。
うさ吉も、留袖橋伝説の劇に関わった時から微妙な感じはしていたのですが…
今回再話するにあたって、
登久姫の事…当時の女性の心理に触れて、
やっぱり、
なんか、
同じところにひっかかっていたのです…。
4歳で、お父さんを自刃に追い込んだおじいちゃんの冷徹さと、
お父さんが大好きなおじいちゃんの愛情を、
真横にいて感じ取っていたであろう登久姫が。
戦国時代の武士の、義理や忠誠、そして不条理を理解していないはずがないのでは? …と。
「そうでしたか…。
いや、登久姫が、1607年に飯田で亡くなっているから、
1615年の話に登場するのは違うと、ブログにコメントいただいたものですから(;^_^A」
「そうでしたか(^-^)
あの話も、かなり微妙で、信ぴょう性も微妙なんですよね…」
「へ? どこが??」
「1615年に、忠真は14歳ではないような…
元服しているような。(笑)」
「ええぇ?!忠政くん、 元服してたんですか???」
「(^.^) はは♡
他の松本城にまつわる伝説もそうなのですが、コレ、何か微妙…? という話が少なからずあるんです。
それから、登久姫様は松本城が出来る前に松本にいたという記…」
「いや…それは触れないでおきましょう…(笑)
ところで、
忠真の漬物好きは本当ですか?」
「それは…小倉城から問い合わせがありました。
忠真が小倉にきたとき、松本から漬物樽をかかえてきたのか? という、問い合わせでした(笑)」
「それは信ぴょう性が高そうですね(笑)
同僚も言ってましたよ、『引越しするのに、漬物樽背負って行ったんだよ』って ( ̄▽ ̄)
それに、
『信州は水がうまいから、米がうまい。味噌がうまい。野菜がうまいから漬物がうまい。
それだけで飯が食える』
と言った知り合いがいますから(爆笑)」
「話は違いますが、うさ吉さんは、お姫様やらないんですか?」
「成来姫に『松姫やってください』って言われましたが、
アラフィフじゃぁ、30代の姫は厳しいですね…
うさ吉にできるのは、水野家の流れにいる於大様か、堀田様のお祖母様・春日局くらいですよ(笑)
でも、衣装代自分持ちじゃあ、到底無理ですね」
「じゃあ、くノ一 なわてちゃん、なんてどうですか?」
「いやぁ~…なんか、なわて通り商店会からクレームきそうで嫌ですね( ;´Д`)
なわてちゃんファンにも吊るし上げくらわされそう…。
いっそ、女武士になって、巴御前ってのはどうですか?」
「え? なんでです??」
「木曽義仲の愛妾の巴御前は、松本城の北のあたりに住んでいたと、木曽義仲復権の会会長さんが言ってました(・ω・)ノ。
清水地蔵の湧き水から出たお地蔵さんこそ、木曽義仲と巴御前の息子、清水冠者の供養に北条政子から送られたものと言われているそうです( ̄+ー ̄)
会長さん、亡くなったから、これを唱える人もいなくなりそうなので。」
「それはまた、大きく出ましたね~(^.^)」
「じゃあ、巫女さんの衣装で、二十六夜神にしますか?
成来姫も、巫女さん衣装持っているそうですよ。
二人で二十六夜様になって、11月2日と3日、出勤するのはどうですか?」
「それもいいですねぇ(笑)」
「でも日焼けしたくないから忍者で顔隠すのがいいですかね~~?
まぁ…また、考えますね♡」
「そうですね( ̄▽ ̄)」
…というわけで。
有意義な、忠真トークでした(笑)← どこがでしょう?
忠真の史実にある本当の話は、漬物だけ、な、内容になってしまったあたりが…
すごく…
…楽しかっです( ̄+ー ̄)
つづく。