松本城の忍者、芥川流忍者、芥川九郎左衛門。


戸田藩に使えていた忍者には、たくさんの逸話が残っています(≧∇≦)


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その話のご紹介中です。(・ω・)ノ




今回は、最大にして最高のエンターテイメントな話です。





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⬆︎珍しい忍者の雪かき姿(笑)




おじさんには大ウケな話です。





女性は大抵苦笑しますが( ̄ー ̄)













その四



「鬼火の術」の話
  
 
 
ある日、

松本城主の戸田家に祝い事があり、酒宴の席に芥川家の当主であり、隠術を使う芥川義矩も招かれた。



祝宴もたけなわとなったころ、戸田のお殿様が義矩に向かって言った。


「そちは忍法の達人というが、残念ながら儂は一度もそちの忍術を見たことがない。

儂もぜひ見てみたいものじゃ」


忍法は見世物ではないが、城主の所望とあれば致し方ない。


「しからば」


と、義矩は座敷の中央に進み出て、城主と向き合い、平伏した。

そして目を閉じて、何やら呪文を唱え始めた。







すると、広い座敷に甘い香りが漂い始め、





やがて同席していた七人の腰元たちがもじもじしはじめた。


立つこともできないようだ。


恥ずかしさで、腰を押さえている。


殿さまが、見ると腰元たち全員の腰巻が剥がされ、白い太ももが丸見えだった。



そして、空中から腰元たちの腰巻が、ふわりふわり落ちてきた…



この間、九郎左衛門は平伏したままで、


家臣たちは眠らされていて何が起こったかは知らない。


 
 
これぞ芥川流の忍法「鬼火の術」。




甘い香りの睡眠ガスで意識を朦朧とさせておいて、
その間に腰元たちの腰巻を剥ぎ取ったのである。


風上にいた城主だけがガスの影響を受けず、この露わな光景を見ることが出来た、という。
 
 
芥川義矩の活躍により、
「芥川流」の名は世に広く知れ渡ることとなった。


文化七年(1810年)に没したと伝えられている。




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芥川九郎左衛門善矩は、松本城に忍者あり!! と、名前を知らしめた功労者でもありますね。


薬を使った忍術が得意だったようです。




その忍術で、高島藩(諏訪藩)の御家騒動でも活躍しました(・ω・)ノ






…うん。


活躍はしているのですが、



この話は武勇伝なのか、かなり疑問な話ですねε-(´∀`; )






つづく。






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