うさぎ12刻 ★usagi jyunitoki -5ページ目

うさぎ12刻 ★usagi jyunitoki

日々の出来事いろいろ書いています

こんばんは。

昨日予告の人生烈伝。

波瀾万丈人生の始まりです。


これから離婚を考えてる人。

再婚を考えてる方。

その子供の立場、

諸々…。


参考に…。


私が生まれたのは

東京の、とある地域。




私が生まれ出る日、

父は草野球チームで

草野球をしていました。





その頃、母親は大難産。



母は当時39歳。


   高齢出産




お嬢様育ちで心臓の持病持ち。




そして1200だか

2000ccの輸血を余儀無くされ、

難産のハイリスク出産ドクロ



医者からは持病の事、

年齢的な事もあり、

出産は止められたそうです。


しかしながら、

どうしても女の子が

欲しかった母は



この子は絶対女の子だ!

という、

確信があったそうで、

周囲の反対を押し切り、

出産を決意したそうな。



高齢出産例は

まだ今より少なく、

自然妊娠なので、

授かりものとして、

絶対生まれる運命だと

信じてやまなかった母。



そして

女の子への執念ニヤニヤ


なかなかでーす

チュー




私には17歳年の離れた兄と、

12歳歳の離れた

2人の兄がいました。




兄弟が男の子なので

余程、母は女の子、

欲しかったのでしょうチュー


再度確認。


  女の子への執念笑い泣き



私を含め、兄妹

それぞれ個性が違いました。



3人とも体型も顔も

全く似ていない兄妹。


「全然似てないね〜」


と、当時小学低学年の友達ですら

気付くぐらい。




よく言われましたっけチュー




私は方や、


      そだねーニコ


といった感じでした。



似ていないのが

かえって楽しみの一つで、

「兄妹だよ」と言った時の

他人のリアクションを

面白く捉える余裕がありました。



自分の楽天的で呑気

大らかな性格も幸いし、

心身共に平和。



幼少期、

既に母親から兄弟間の父と母が

それぞれ違う事も聞いており、

子供心に自然と納得していたのです。




長男は朴訥とした秀才タイプ。



絵に描いたような優等生100点



真面目メガネデニム

でも、ちょっとひょうきんおばけ

頭が良くても堅物ではない人。

八方美人。



体型は185cm越えの高身長。

痩せでもぽっちゃりでもない。

スポーツマン体型。



運動神経も良く、

ハンドボールやテニスが得意。

そして常に

学級委員だけではなく、

その長のポジション。



目立つのは好きじゃないのに、

担ぎ出される

人望厚い人でした。



俳優の中村雅俊似。



今はお目にかからない

分厚めのメガネメガネ


穴あきジーンズ、

つまりはダメージデニムを好み、

足元は下駄で平気で出掛ける汗




次男は細面イケメンでした。

でもヤンチャ。

頭は悪くなく、回転が早く、

機転が効く。



でも勉強嫌いNG

学力ゼロ笑い泣き

別府ちゃん程ではないし、

カツオ並み。



おしゃれ命!!

洋服、美容院にお金をかける。



次男からは

いつも良い香りが

漂っていました。





ジャニーズ事務所の

東山紀之似で

カッコ良かったドキドキ

話も面白く、見た目硬派なのに

優しく、軟派。



女子にモテモテ。



朝、自宅前のバス停には

高校に向かう次男の親衛隊女子達が

列をなしてお出迎え。


すかいらーくでバイトをし、

接客すれば

顧客が付く。


モテ男でもあり、

人間たらしでもありました。



但し残念かな?低身長。



低身長。

何センチかちゃんと聞く間もなく

行方をくらましたので

160cmちょいぐらいかな。


私はさておき、

容姿も兄弟で

これだけ違います真顔



それもそのはず。



私と長男は異父兄妹。

私と次男は異母兄妹。

長男次男に血縁関係はなく、

父と長男、

母と次男も血縁関係にあらずんば、

ズンバズビドゥバーチュー


つまり、

次男を連れた父と、

長男を連れた母が

連れ子同士で再婚した次第です。



当時は私が正統な血統だ


とすら、密かに思っていました。





さて、兄弟のルーツ。

ここで私の親世代に

話は遡ります。


母はお嬢様育ち。

人も羨むリッチウーマンの家系。


歴史上の人物の分家が

祖母の家系。



時代背景が凄いですが、

   師範学校

今で言う、教育学部的な学校


に通っていました。



母は一人娘。



家督を継いでもらう為に

男の子の養子を迎え、

母にはいきなり弟が出来ました。



私には

当たり前ながら、叔父となります。




養子縁組は

昔では珍しくない事です。


長男も、

知り合いのおばさんから

養子にくれと頼まれていました。



祖母は養子となった叔父を

大学に通わせ、跡継ぎとしました。



母は幼少期から、

当時は珍しい

バレエを始め、

お茶、お花、お琴、日本舞踊

ナドナド。

あらゆるお稽古事をさせられ、

免許皆伝。


日本舞踊だけは

名前をもらうのに

当時で100万、

今なら300万ぐらいなのかな?


かかるので断念したそうです。




そのうちに

大好きな歌劇にハマり、

学校をサボってまで

観劇に行っていたそうな。




好きが高じて、

また、習っていた

お稽古事の関係もあり、

夢は宝塚歌劇団や

松竹歌劇団のスター乙女のトキメキ王冠2




そしてとうとう、東京本拠地の

松竹歌劇団、

SKDを親にこっそり受験し、

見事に合格目乙女のトキメキ




ところが、時代が違うので

祖父母は大反対。



当時、芸能人は今のような

憧れられる世界ではなく、

むしろ差別的な立場。



リッチウーマン家の母パパ、

つまり厳格な祖父は

猛反対し、

親子の縁を切る!!ムカムカおじいちゃんと言われ、

断念したそうです。



   えーっ!?本当に??


と、私は

盛られた話では!?

と、疑心暗鬼マンでしたが、



実際、母の死後

松竹からの合格証

数々の習い事の

免許皆伝モノを発見しました。



また、猛反対の母パパは

実パパではなく、

祖母の再婚相手だとも

わかりました。




祖父母はなかなか躾には

厳しかったようです。

本当のお父さんは優しかったのよ。

母はよく言っていました。



母パパは毎朝玄関の掃除を

母の役目とし、

朝から着物を着た父親の前に

三つ指ついて挨拶。


それから家族で

無言でお茶を飲むそうです。

圧強め〜あせる




親への口答えはもっての外。



言う事を聞かなかったり、

口答えをすると、

庭の太めの桜の木の枝を切り、

それで母は叩かれたそうです。



   それは虐待では!?


今ならねぶー



でも、その体罰は

血の繋がった母ママだったそうな。




だからかな、

大人になって同居したら、


今も昔もいる

ステレオスピーカータイプの

ご近所おば様に、


「お婆ちゃん、

お母さんと仲悪いのね。

まぁ、昔から嫁と姑は仲悪いものだけどね」


と言われ、


いえ、実の親子です真顔


と答えると

ビックリされたものです。



嫁と姑に間違えられる程、

仲が悪かったニヤニヤ


親子喧嘩になると、

祖母は長箒を取り出してきて、

40代の母を叩こうとしていました。


母もその頃には

応戦する強い女性に

なっていましたっけタラー

   



   江戸っ子の祖母

     VS

   江戸っ子の母



絵に描いたような


 喧嘩と花火は江戸の花


2名、以下同群ニヒヒ

結局似た者親子あせる



話が逸れました。

母はバイタリティーの塊で

華もあったので、

芸能の世界は

きっと向いていた事でしょう。



時代背景とは

残酷なものですショボーン



母は程なく嫁に行かされます。



お見合いですハート


さすがお見合い。


   条件は今でもトキメク100点



慶應ボーイ

正統派イケメンお父さん




写真も見ましたが、

なるほど、納得。



程なくゴールインウエディングドレス結婚指輪ウエディングケーキ



お坊ちゃん育ちと

お嬢様育ちが結婚しました。


その初婚のお相手が

長男の父であった人です。



そして母は

一男一女をもうけました。



一男は私の兄。

一女は…?

私が見た事のない姉。



その当時、

母と長男パパと夫婦仲良く、

平和に暮らしていたそうです。


しかし、

それも長くは続きませんでした。




母の親友が

ご主人に浮気をされ、

行く所に困り果て、

着の身着のままで

まだ幼い娘さんと

母を頼って来たのです。



正確には(母曰く)

転がり込んできた


らしいですが汗




母は小さい子を抱えて

家を出る事になった親友を

気の毒に思い、

また、長男の父も

お坊ちゃま育ちで

人が良いので、

母の親友を生活していけるまで

自宅に住まわせ、

母の手伝いをお願いしたそうです。



ところが、

これが人生別れ目の

火種となりました。



母の親友は、

あろう事か、長男の父を誘惑し、

母の座を追い詰めて

追い出そうとしました。


母は結婚後も

お手伝いさんをおくような、

リッチなお家でしたので、

その生活と取って変わろうとしたのは

明白でした。



後に改心した親友に

詫びを入れられましたが、

母は許せず、

また、潔癖だったらしいので、

長男の父もまた許せず、


長男パパに

本気ではなかったと謝られましたが、

家を出たそうです。


すぐにその親友も

家を出たそうです。


その後、長男パパは再婚もせず、

本当に母を想っていたようで、

母も時折、

浮気だと許せる事が出来なかった自分を

悔やんでいる様子もありました。




そうして、

実家に長男を連れて戻り、

そのまま離婚に至ったそうです。



長男の名前は

本来の両親の名前を

一文字ずつもらった名前です。



中々残酷な名前となりました。



離婚ではお互い話し合って、

どちらの子供を連れて行くか

決めたそうです。


女手になると、心細かろう、

男手が必要になるであろうから、

長男を連れて行くといい、


男手だけになれば、

不自由するだろう、

娘を残してあげよう


と、お互い思っていたようです。



  これもまた、別な愛の形ショボーン



私の浮気に関する定義や

倫理観は

私の両親から学びました。


と言うことだけ、

今は申し上げておきましょう。


さて、次回は

離婚した母が

私の父と出会うところから

お話しをすると致します。



どうでしょうか。

波瀾万丈感伝わりますか?

では、また。照れ