「 岳人 」 や 「 ヤマケイ ( 山と渓谷 ) 」 などの登山雑誌と趣きを異にする
アウトドア雑誌 「 BE-PAL ( ビーパル ) 」 が創刊されたのが ’81年 ・・・
この頃から本格的に流行り出したアウトドア ブーム。
このアウトドア雑誌で、良く目にしたんが、G.T. HAWKINS
で、このG.T. HAWKINS の宣伝や記事に 良く登場したんが、
C.W 二コル氏
当時は、チョッと鼻についた感もあった小屋番でしたが、
今から思うと ・・・
日本人以上に、日本の自然を愛した人やったようにも思えますなぁ。
C.W.ニコルさん死去 各国で環境保護活動、
95年に日本国籍取得 79歳
毎日新聞 2020年4月4日(土)
19時41分配信
耐氷船で北極圏を回るニコルさん。温暖化で氷河の崩壊が加速していた=2015年7月
作家でナチュラリストのC.W.ニコルさんが3日、直腸がんなどのため入院中の長野市の病院で亡くなった。79歳。密葬は4日、自宅に近親者が集まり営んだ。お別れの会を後日開く。喪主は妻眞理子(まりこ)さん。
英国南ウェールズ出身。17歳でカナダに渡り、極地探検調査への参加を繰り返した。同国の水産調査局技官や環境保護局環境問題緊急対策官、エチオピアのシミエン山岳国立公園の公園長などを歴任し、世界各国で環境保護活動に携わった。
1980年に長野県信濃町の森に居を構え、環境保護の活動に取り組みながら執筆活動を続けた。主な著書に 「 風を見た少年 」 「 勇魚 」 「 マザーツリー 母なる樹の物語 」。
95年に日本国籍を取得。乱伐で荒廃した森を購入し、2002年に財団法人 「 C.W.ニコル・アファンの森財団 」 を設立して、森の再生に取り組んできた。東日本大震災で被災した子供たちや、さまざまな障害のある子供たちを招待し、森の活動を通してグリーフケアなどに取り組んできた。
05年には、エリザベス女王より名誉大英勲章を受章。毎日新聞社主催の 「 日韓国際環境賞 」 の審査委員を務めたほか、17年春からは本紙にコラム 「 カントリー ジェントルマン 」 を執筆していた。
【 萩尾信也 】
作家のC・W・ニコルさんが死去
環境活動家、長野の病院で
共同通信 2020年4月4日(土)
18時04分配信
死去したC・W・ニコルさん
作家で環境保全活動家としても知られるC・W・ニコルさんが3日午前10時57分、直腸がんのため長野市の病院で死去した。79歳。英国出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻のニコル真理子 ( まりこ ) さん。後日、お別れの会を開く予定。
1940年、ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、海洋哺乳類の調査研究に従事。北極探検にも10回以上出かけた。60年代に空手の修行のため初めて来日。日本の自然に魅了され、80年に長野県へ移住した。
執筆活動の傍ら、長野県内の荒れた里山を購入して 「 アファンの森 」 と名付け再生活動を進めた。
著書に 「 勇魚 」 「 風を見た少年 」 など。
黒姫の里山、生態系復活に取り組む
・・・ 死去のC・W・ニコルさん
読売新聞オンライン 2020年4月5日(日)
7時22分配信
3日に79歳で亡くなった作家で環境保護活動家のC・W・ニコルさんは、40年前から長野県信濃町の黒姫山の麓で暮らし、自然保護活動に取り組んでいた。3年前に患った直腸がんが昨年秋に再発。新型コロナウイルスの感染拡大で延期となった東京五輪の聖火リレーでは、長野市内を走る聖火ランナーにも選ばれており、「 たとえ車いすになっても走る 」 と意気込んでいたという。
ニコルさんは1940年、英国で生まれた。17歳でカナダに渡り、カナダ水産調査局北極生物研究所技官として、海洋哺乳類の調査研究にあたった。80年からは黒姫高原に居住、執筆活動に励み、95年には日本国籍も取得した。
「 日本ほど生物の多様性のある所はない。北に流氷、南にサンゴ礁。文化にも素晴らしい多様性がある。多様性とはイコール可能性だ 」
ニコルさんは日本に来た理由について、97年に東京都内で開かれたシンポジウムで、そう語っていた。
森の再生活動を実践するため、黒姫の荒れ果てた15ヘクタールの里山を自費で買い取り、周辺住民と70種類の樹木を植えながら、生態系の復活に取り組んだ。その里山は 「 アファンの森 」 と名付けられ、鳥や虫が集う森によみがえった。先のシンポジウムの中で、ニコルさんは 「 もうけの全部を使い、病気で放置された森を10年間かけて手入れしてきた。金にはならなかったが、心の余裕ができた 」 と明かした。
一般財団法人 「 C・W・ニコル・アファンの森財団 」 によると、ニコルさんは3年前に直腸がんを患った。完治したが、昨年秋に再発し、放射線治療を続けていた。今月2日に予定されていた長野市内での聖火リレー走者に選ばれた時、ニコルさんは 「 この上ない光栄 」 と喜んだという。延期が決まった際も、「 病気を克服して来年また走る 」 と目標に据えた。だが、4月に入ってから体調が急変した。
生前、国づくりに最も必要なのは環境と教育と語っていたニコルさん。新型コロナウイルスの感染が蔓延 ( まんえん ) する状況について、「 自然と人間の付き合い方が悪くなっているからだ 」 と憂えていたという。
同財団事務局長の野口理佐子さんは 「 ニコル氏の遺志を受け継ぎ、日本の豊かな自然をもう一度よみがえらせる活動を続けていきたい 」 と力を込めていた。
昨今の登山ブームとは違う
自然環境保護を実践してきた人 ・・・
真のナチュラリストかも ・・・
2016年6月 天皇・皇后両陛下が アファンの森 を訪問
ご冥福をお祈りいたしたいと思います。