その2の続きです。

私にとっては逮捕される。されない関係なく
普通に女装して歩いていただけなのに拘束されたことが、とてもショックでした。

それは、完パス出来ているという自信なのか?
いま思うと欺瞞だったのかもしれません。

いまでも警官を見かけたりパトカーのサイレンを聞くと心臓が止まりそうに動揺してしまうことが多々あります。そして性同一性障害の診断書のコピーを肌身離さなず持ち歩いています。

拘束されても気にしないという女装の人もいると思います。

私自身に女装ということに後ろめたさや罪悪感を抱いているからなのか、潜在意識では、本当の私では無いと気付いているからなのか、全てが空中分解してしまいました。

10時間は、とても長く、そしていろいろ考えました。
初めての本格的女装をした時のこと、男達を挑発して浮かれていた自分。そして女の子になりたいと考えてきた子供の時からのこと。時には女性になれないことに絶望したこと。小5の時のおじさんのことと、それから続く津波(性癖)のこと。本当の私は?、これからのこと、その他いろいろ。走馬灯のように。

そして、『装う』という言葉が不純で、汚らわしいことと思えてきて、もう汚らわしく装うことはしない。
やるなら、装わないで女になるって・・・

装わないで女なら、このように拘束されることもないし、男のクセして女装して馬鹿者と罵られるような屈辱を受けることもなし犯罪者データベースに登録されることもない。そして根本的なこととして美しくいられるし、いつも怯えて隠している必要もなくなる。

装うことに時間を浪費していた自分を馬鹿だったとも思いました。

タック(医療用皮膚接着剤を使って疑似女性器を作ること)についても汚れたことと思うようになって一切しなくなりました。あれほど似せることに時間を費やし試行錯誤して、ほぼ完璧な出来にできるようになったのに・・・
完璧に仕上げても膣はなく、男を迎え入れることはできない。見せかけて(装って)いるだけの虚空でしかない。


これからことは、その1でぼかして書いていて、確証が無いため話すか悩みましたが話すことにします。

解放される時に廊下で思い切って、私を確保するときに、何故あれほど多くのパトカーや警察官がいたのか経緯を勇気を振り絞って聞きました。

そしたら、多角地点からの通報があって翻弄(振り回されて)されたから。
現場に急行したら、今度は違う離れた場所から男性器を露出していると通報があって、また違う場所で・・・。これが何度も繰り返しあって複数のパトカー、大勢の警察官を出すことになって、やっと大通りを歩いているところを確保出来た。ということでした。警官たちは貴方を確保するのに必死だったと言われました。
羽交い締めされたり、テンションが高かった理由もわかりました。

私はというと、待ち合わせ人から指定された場所で待っていたら、場所を間違えたから、ここに来てほしいと変更になり、移動して到着を告げると、そこではなく、こっちと何度も変更されて歩かされていました。
そして、これは悪戯だと諦めて駅に引き返しているところで拘束されました。

更に、相手からは私の服装詳細を教えるように指示もあって教えました。更に、写メも要求されました。更に更にショーパンは脱いでパンチラして来てと要求されましたが、これは、ハーイと答えて実際は従いませんでした。

合点はいったけど、この話をして興味を持たれて、これ以上の拘束はゴメンだし、怖くて言えませんでした。
お世話になりました。と頭を下げて署を後にしました。

そして、帰り道にメールチェックすると、会うはずだった人からのメールが届いていて、笑の文字だけが書かれていました。
返信しましたが、返事は無し。その後、何度目か送信したところでメアド存在しないとリプライがとどくようになりました。
SNSのドメインは消されていました。

確証は無いけど
罠に、はめられたと考えてもおかしくありません。
もう女装好きの奴も信用できない。

家に帰ると
奥さんからは詳しく事情説明を求めてられることはなく、軽くで許してくれました。
その代わりに一人での外出には若干ウルサくなりました。特に夜間の外出には・・・

間が差して数回女装して出歩くことにチャレンジしましたが恐怖と汚らわしさを感じてクルマから降りる手前でやめてばかりで、そしてクルマの中で泣き叫びました。

女装なんて嫌だって

そして、女装は自然消滅となりました。


捕まってから2年が経過した時、もう限界で女装をしました。この時はクルマからも出ることもできました。
しかし、感慨深い感情もさほどありませんでした。
代わりに、この直後に今の会社から高圧的態度ということで降格辞令がありました。

私にとって装うことは、もはや不幸を呼び寄せるキーワードだと、この時に悟りました。


そして拘束された時に考えた
『やるなら、装わないで女になるって・・・』
いうことを決意・行動に移すまでには更に半年(拘束されてから2年半)かかりました。

いま振り返ると、臆病者で勇気がなく、腹落ちさえできないでいたのだと思います。そして男の趣味に逃げ込んで時間稼ぎ・言い訳をして自分から逃げて凌いでいました。

既婚だし子供もいるって

逃げていた証拠に、好きなことならトコトン調べる性格なのに、ネットで性転換や女性化など検索すらしませんでした。
代わりに女装サイトは相変わらず見ていました。

しかし、頭の隅には常に女になることが離れずにいました。


腹落ちしてからは動きは早く2ヶ月ちょっとで、奥さんにカミングアウトして注射も初めていました。

未練から残していた、女装時代のメールアカウント、SNSアカウントも抹消しました。
女装サイトも見なくなりました。


長くなりましたので、その4に続きます。