前記事の続きにしてはずいぶん呑気そうなカフェの写真ではありますが 2枚目の写真がカバー画像になるのをどうにも避けたかったのでこちらを…


同じ区内にあるスタバのストロベリーラベンダーティーラテ(シーズンメニュー)とアーモンドクロッカン
つい先日の週末に行けました
この事からもお分かりいただけるようにおかげさまで通常通りの暮らしを送れています


その節は方々からのご心配と励ましをありがとうございました
今回 結果的に私自身は大きな難を逃れられましたが当初はそれなりのダメージを受けました
そんな時にお仲間からのメッセージはとても心に沁みましたし本当に嬉しかったです


大きな被害が無かった私ですが自分自身のために記録しておきます
また このたび被災された北陸の方々に心よりお見舞い申し上げます


◆・・・◆・・・◆


(前記事の続き・1月1日午後4時過ぎ)
その時でした
点いたままのTVから緊急地震速報が流れてきて 聴けば北陸やこの辺りも範囲に入っているとのこと
不意のことでほとんど動けませんでした


次の瞬間 これまで生きてきて経験したことの無い激しい揺れに襲われました
ただただ身を低くして揺れが落ち着くのを待つしかありませんでした
今までも震度5、6程度の地震は何度かありましたが今回は様子が違うことがハッキリ解りました
もうダメかと覚悟するくらいのものでした


長かったです
多分2分くらい揺れていた気がします
ようやく揺れが落ち着いたと思ったら今度は大津波警報・津波警報が流れました


「津波が来ます!逃げて下さい!今すぐ逃げること!東日本大震災を思い出して下さい!」
というアナウンサーのただ事ならぬ声を背中で聞きながら夢中でガスと電気の始末をしてリュックに満タンのバッテリーや飴やカイロや現金などを詰め込み逃げる準備をしました
電熱ベストも着込みました


家を出る時 室内の物は床に散乱していました
玄関に停めていた自転車が倒れ 傘も壊れていました
他に何がどうなったかチェックしている猶予はありません
何しろ海が近い場所です
とにかく逃げなくては!という思いだけでした


玄関の鍵を閉めてから直後のことはよく覚えていません
取りあえず高い場所へ…ただひたすら高い場所へ…
と 住宅街の坂を登って行った気がします


ある程度登るとたくさんの住民の方が同じように避難している場所に着きました
道路の掲示板を見るとそこは海抜6メートルで指定された屋外避難場所でした
やっと人心地ついて高台からしばらく海を見下ろしていました
ネットを覗く度 津波はずっと到達中との報
目の前の風景と照らし合わせながらここはそんなに大きくはないかもしれない…と思いつつもやはり怖かったです


こんな時は取りあえず逃げること
もしも大した事が無かったのならそれでいい
大げさくらいが丁度いい
東北の震災があったからこそ学び得た教訓でした


小一時間ほどしてすぐそばの小学校に移動しました
災害時の指定避難場所です
中には大勢の方がいました
皆一様にざわつき 不安そうなお顔をされていました
ありがたいことに体育館だけでなく暖房の効く教室も解放して下さっていました
非常用毛布の配給もありました
これで少しでも寒さから身を守れます


物資が配られる際 皆さん落ち着いて1列に並び 混乱はありませんでした
係員の方々も避難された皆さんにしっかり指示をなさっていて事がうまく回っていました
ご自身も被災されたかもしれない御身での避難所運営に感謝しかありません


何かお手伝い出来ることは無いだろうかと様子を窺っていましたが人手が足りているように見えたのでその場を離れて教室に入りました
取りあえず着席して落ち着いたのもつかの間 次から次へと休むことなく大きめの余震が校舎を揺らします


今度のはどうかな?
どれくらいの大きさかな?
もしかしたらもっと大きいのが来るのかも…と ずっと気持ちが落ち着きませんでした


幸いなことに小学校は電気もお水も通っていたのでしっかり明かりが灯っていましたしお手洗いも使えました
うろ覚えですがもしかしたら備蓄していた電源や水源を使ったのかもしれません
これだけでも本当にありがたいことでした


言葉少なに教室で過ごすこと数時間
だいぶ経ってから警報が注意報になりました
まだ解除には至っていなかったけれど夜遅くに家に戻ってみました


戻ってきて止まっているガスメーターの様子を見ようと中庭に出てみた時の写真


石灯籠が破損して転がっていました
すごく重くて簡単には動かないはずのものなのに…
その衝撃でガレージ棟も歪みました
ブロック塀もクラックが入りました
家の中のあちこちに物が散乱していました
壊れたものもありました


でも命は壊れていない。
その事の重さを久しぶりに噛み締めました


お水の出は悪かったけれど完全断水ではなく停電も無し
ガスは少ししてから復旧しました
同じ区内でもそれぞれ住んでいる地域でインフラのダメージが違いました


その日の深夜はおめでたさとはほど遠い元旦らしからぬ食卓で家にある食糧を必死に詰め込みました
今後一週間程度 いつまた震度7くらいの地震がやって来るかもしれないと言うし食べられる内に食べておかなければ
急がない場所の片付けは余震が落ち着いてからにしようと目をつむりました
(単に疲れていて目を背けただけという説も 笑)


食後すぐに非常時用の備蓄品をチェック
この他に衛生用品やラジオや懐中電灯や電池等の日用雑貨もあります
あとは給水や簡易ライトに使えるかもと思い空のペットボトルもあります


これら全て 津波などの水害を考慮して少し高めの位置にまとめて置いています
先日 まだ少し足りていないと思い直し更に簡易トイレとお水を買い足しました


その夜はベッド脇に避難用のリュックとコートと履き物を置いて就寝
相変わらず余震が続きその度に飛び起きてあまり眠れませんでしたが温かい寝床に就けただけで
それだけでもうその夜は御の字でした


1月2日の朝
明るくなると各所の被災状況がつまびらかになってきました
私の住む沿岸部は今回津波の被害を被らなかったので少しの損壊で済みましたがもう1、2本内陸部の幹線沿いは液状化現象もあって被害は決して小さくありませんでした


全国ニュースでもたびたび放送されていましたが郵便局の駐車場に停めてあった車が汚泥の湖に沈んだ様子は衝撃的でした
行く先々で郵便局と同じように汚泥の湖が発生し 電信柱や看板が傾き 家屋は損壊
断水・停電・通行止め・立ち入り禁止区域もあり電車も止まり 辺り一帯はしばらく避難指示が出ていました
そして今も避難されている方々がいます
給水所が設けられ 近くの施設では浴場を開放しているようです


沿岸部で津波に襲われるのも
内陸部の液状化現象に襲われるのも
どちらも紙一重で複雑な気持ちです
地震はもう起こらないで欲しいです


お正月気分は微塵も無かったけれど それでも2日の夜はもう少し落ち着いて食事が出来ました
何をしたわけでも無いのに身体と心が疲れきっていて外注のお節料理が心底助かりました


年末に作り置いてあったホカホカおでんも一緒にいただきました
温かい料理が身体に染み渡ります
これもガスが通っているからこそです
不謹慎ですが 幸せを感じました


1月3日の夜
いよいよ食品を買い出しに出なければならなくなり 区内のショッピングセンターヘ足を運びました
そこでも被害は甚大だったようで2階は営業休止中
1階でも所々修復用のネットが張り巡らされていて食品売場の営業が主体でした


いや 
買い物させてもらえるだけでありがたいよ
こんな時ですもの
物流関係もままならないでしょうに お水もパンも他のものもそこそこの量が並べられていました
スタッフの皆さんを本当に尊敬します


嬉しいことに寿司店が開いていたので少し気は引けましたがそこで晩ごはんを済ませました




いやーー 美味しかったーーー!
実はここ 観光客の方にも人気のお店なのです
大げさかもしれませんが元旦からのバタバタからやっとひと息つけた思いでした
また頑張れる力がわきました
街はまだまだ復旧に時間を要しそうですが自分は自分で出来ることをやっていきます


以上
地震の起こった元旦の夕方から3日までの流れでした
次の週末には初詣に行けたのでその事はまた次の記事にでも書きます


◆・・・◆・・・◆


昨夜はKFCの放送が終わった後 個人的に気持ちが高揚してしまってつい 追記してしまいました
推している方が自分と同じような事をなさっているのが発覚するだけでこんなに嬉しいとは


"単純でもいい
たくましく楽しんで行きたい!"
なんて( *´艸`)
(昭和時代のCMのパクりのような?笑)


お正月期間は気持ちも沈みがちでしたがおかげさまで今はこんな軽口も叩けます
ご心配下さった皆さま
重ねて御礼申し上げます


長文駄文済みません
お付き合い下さってありがとうございました
それではまた・。・。◆


"Fight Song" レイチェル・プラッテン

(公式より動画お借りしました)


過去記事にも貼った覚えがある曲ですが再度載せておきます

好きな曲です^^