今日は重たい話なんですが…どうしても書きたくて。
よろしければお付き合いください(^人^)
優生保護法による強制的な不妊手術に対し、最高裁で違憲判決が出ました。
原告勝訴で本当に良かったです。
私が優生保護法を知ったのは、中学生の頃。
きっかけは手塚治虫先生の傑作漫画「ブラックジャック」でした。
漫画の中でハンセン病を知りました。
こんなにむごい病気があるのかと衝撃を受け、いろいろ調べました。
その中で、優生保護法の存在を知り、ハンセン病を知った時より大きなショックを受けました。
背筋が寒くなった感覚を今でも覚えています。
ハンセン病などの病気や先天的障害がある人を対象に不妊処置を行い、断種する…
ナチスみたいだ、と思いました。
こんな法律のある世界に自分が生きていることを絶望的に感じました。
その頃はとっくに人口抑制論者でしたが、このやり方には激しい違和感がありました。
私の子供の頃、遺伝については学校でも学びましたが、現代のように精査な研究や正確な理解に至ってなかったので、ずいぶんと雑な扱いだった気がします。
優性遺伝や劣性遺伝は遺伝的形質の出現のパターンであり、その形質の優劣を示すものではありません。
なのに、例えばきょうだいの中でも1人だけ成績が悪かったりすると「この子は劣性遺伝」なんて誤った使い方をしていました。
優生保護法は、遺伝という科学に半知半解の政治家が作った法律ではないかと疑います。
こんな法律が、ついこの前まで施行されていたのは驚愕です。
平成8年(1996)まで存続したのですから。
本人の意思に反して不妊手術が行われるという、明白な人権蹂躙がこんなに続いていたのは不思議でしかありません。
ハンセン病がとっくに感染力の弱い伝染病とわかり、完治する病気になったにもかかわらず…です。
しかし、私は最近さらにショックなことを知ったのですΣ('◉⌓◉’)
優生保護法が違憲判決が出たことに絡んで、説明無しに不妊手術を受けさせられた人達の体験談がテレビなどで報じられていました。
これまで私は、強制的に手術されたのはハンセン病などの病気や先天性障害のある人達だけだと考えていました。
しかし、ある男性は素行不良を理由に、中学生の頃、何の説明も無しに不妊手術をされたというのです。
優生保護法は「劣っている」とレッテルを貼られた全ての子どもを対象にしていたのです。
素行不良でも対象なんです。
思春期にはグレたりする子も普通にいるのに…
その男性は悔しさと無念を訴えていました、
不妊手術を強制された2万5千人の中には、そういう人も数多くいるのを知りました。
しかし、いくら乱暴な法律だとしても、親権者の合意無しには手術は出来ません。
親が子どもを騙して病院に連れて行くケースが非常に多いのです。
特に母親が。
あとで、不妊手術について子どもから責められると「お前のためを思って」と言うのです。
子どもが将来困らないように、苦労しないように、悲しい目に合わないように…と。
優生保護法は違憲の悪法ですが、その裏に「子どもは親のもの」と考える日本人の伝統的家族観があると思いました。
子どもは親の持ち物ではなく、独立した人格です。
でも、そう思わない親はすごく多いのです。
私の母もそういうところがありました。
いつも目の届くところにおいておきたくて、外に出してくれない人でした。
目の届く範囲にいるなら何をしていても構わないと思っているようでした。
自分が好きな物は子どもも好き、自分が嫌いな物は子どもも嫌いと信じて疑いませんでした。
でも、世間一般の母親から思うと、子どもを束縛しない親かもしれませんが。
子どもの将来を悲観して命を奪うとか、遺されたら可哀想と無理心中する親は極端な例かもしれませんが、将来苦労しないためにと子どもに不妊手術を受けさせる親も同じメンタルだと思います。
子どもにはいろんな権利があると思いますが、1番の権利は自分の人生を自分で選択出来ることだと思います。
家を存続させるために、お墓を守るために、会社やお店を継ぐために子どもは生まれてくるのではありません。
子どもを道具のように考えるのは間違っていると思います。
私は何度も書きますが人口抑制論者です。
他人には強いませんが、自分は子どもを持たない主義です。
でも、それが理解できない人は少なくなくて、特に年上の女性には「なんで子どもを持たないの?」「子どもがいた方が絶対良いわよ」と熱弁されることもよくある話で(;´д`)
そういう人に人口抑制論を説いても理解してもらえないのですが…
なかでも「日本の将来のために子どもを産むべき」と言われると腹が立ちます。
相手はさも正論を言っている風情だし、目上の人に歯向かうのは躊躇われるのですが…
正直言って、最低な考え方だと思います( *`ω´)
家のために子どもを作るのも違う…
会社や店のために子どもを作るのも違う…
日本の税収のために子どもを作るのはもっと違うと思うんです。
その子どもは高額納税者になるかもしれないし、公的補助が必要な生き方になるかもしれない。
遺伝がどのようなものであっても、どんな人生を歩むかは生まれてみて、育ててみて、生き抜いてみないとわからない。
どの子どもにも何にでもなる可能性があり、どんな不幸にも遭う可能性もあるのですから。
優生保護法から話を広げてしまい、広がった話の収集がつかなくなりましたが、要は子どもの人生は子ども本人のものだと言いたいのです。
生まれたときから親とは違う人格なんですから。
子どもの人格は独立していて、大人と同じく尊重されるべきだと思います。
一方、ペットは飼い主のものだと思います。
ゴヱモンは生涯私の子どもです。
ペットは飼い主が世話しないと生存出来ない存在です。
そういう点では赤ちゃんや幼児と同じです。
全てのペットは「成形幼獣」と言われます。
普通の動物なら親離れするのに、一生「幼児」の状態で甘えたり一緒にいようとします。
「幼児」なので、生活全般は「親」頼みです。
犬でも猫でも小鳥でもウサギでも、人間と暮らすことで一生「幼児」でいるライフスタイルになったのですから、人間としてはペットの一生涯をケアする義務があると思います。
歳をとったからとか、怪我や病気をしたからと、飼育を放棄するのは言語道断ですo(`ω´ )o
人間の子どもと動物家族の子ども。
向き合い方は違うと思います。
人間の子どもを成形幼獣にしてはいけませんからね。