寝たきりになり目ヤニを放っておいたら
眼科摘出寸前になった姑(92)の眼![]()
だいぶ間が空いてしまいましたが
これで最終回にします
一日6回3種の抗生剤の点眼と
就寝前の軟膏を1週間続けた次の診察日、
角膜の曇りがひいてきたので
軟膏は終わりました!
うさくんをお腹にのせてあげると
しきりに頭を撫でていたので
目を開けて見ているってことですよね!
左目は色の判別くらいならできます
写真は うさくんがウサギらしく
写ってるものを選びました![]()
お腹に載っても問題ない重さです
さてさて、
一日6回の点眼を続けてまた1週間後、、
この日は仕事を抜けられないだんなが不在で
付き添いは私ひとりです
だんなは「手」としての役割ではなく
姑の「子」として付き添うべき存在なので
いなくてもなんの問題はありません![]()
が、そろそろ毎週の通院は飽きてきました。
隔週になったら嬉しいな〜♪
くらいに考えていたら
だいぶ安定してきたので
次は3週間後にしましょう
やったー\
/
目薬もトプラシンとヒアルロン酸の2本で
一日3回となったので
義姉もだいぶ楽になったと思います
けど3週間は長かった〜![]()
過ぎてしまえばあっという間ですけど
目薬の回数も減ったとなると
また悪化しないかとか心配で、
少しでも目ヤニがあったり掻いてたりすると
だだ大丈夫かー!と駆け寄っていました
そして3週間後、
どうしても時間がとれず
給料減って誰も補償してくれないけど
バイトを泣く泣く早退して
大学病院6回目の診察へ行きました![]()
いつもと同じようにライトで瞳を照らして
診てくださった先生は大きく頷いて
これで感染症のほうも大丈夫でしょう。
気になることがあったら
すぐに連絡してください。
薬も終わらせて大丈夫です
とのことで晴れて無罪放免となりました![]()
症状の酷かった右眼は失明してしまったけど
寝たきりになる前から
見て楽しむことができない視力のうえ、
数ヶ月に渡り眼を閉じたままでも
生活(生きていられる?)できる状況でも、
眼球は健康体?でなくてはならないことが
よくわかりました
どうせ見えてないのだからといって
たかが目ヤニを放置することは
命にも関わることであるのもわかりました
地元の眼科の先生のバトンが
大学病院の孫ほどの先生に渡されて、
ほんと、薬の”匙加減”ってやつで
眼だけでなく命も助かったと思っています
考えてみると
生きていても手がかかるだけの姑ですが、
何故こんなに必死にさせる力があるのか
とても不思議なものです![]()
義姉が年金をもらうまで
生きててくれーっていうのもあるけれど、
今回はそんなことはすっかり忘れていました
ところで昨夜
失明してるはずの右眼の前で
指をチラチラ動かしたら
手で払われてしまいました!!!!
てことは、明るさを感じてるとか![]()
それならせめて
息子(だんな)と娘(義姉)の顔がわかるくらい
回復したらと欲がでてきます
けど、見えてもそれが誰だかわからないのが
認知症の悲しいところですよね
こりゃいかん!
ネガティブで締めてしまった![]()
6編にわたって
最後まで読んでくださり
ありがとうございました![]()
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しかしいろんなことがあるもんだ![]()


