日が経ってしまいましたが月曜日のこと、
早暁姑のリハパン交換で下へ行ったら
介護ベッドがもぬけの殻…
浮腫が取れて歩けるようになってからは
目が覚めると私が来るのが待ちきれず
コタツの座椅子に座ってたりするけど
その座椅子にもいない(·o·)
えー!?
驚いて見回すと足元に転がっていた( ̄□ ̄!!
見事にバッタリと倒れているので
生存確認のため声を掛けると
「こわいこわい」と言って泣き出してました。
生きてる、しかも元気に
抱き起こしてベッドに腰掛けさせて
落ち着かせようとするも
「…殺しにくる」とか「殺される」とか
「川のむこうに逃げろ」などなど
家族の朝食準備をしないといけないので
”起こしてはいけない”とされてる義姉に
起きてもらってチェンジしました
(自分の親じゃんね~)
ちょうど認知症のクリニックの日だったので
お薬の量を倍にしてもらいました
姑の88年の人生のうち
27年弱しか一緒にいないけど
けどけどけどけど
姑は絶対に悪いことはしてない人だと
わかるくらい実直で働き者です
なのになぜ穏やかであるべき晩年に
こんな状態にならなければならないのか?
考えてみれば実家の母も
いるはずもない弟の嫁の気配を感じ
自分が忘れたことをお嫁さんの仕業だと
怯えながら暮らしています
もしかすると人というのは
実は怯えの中にいて
その他の楽しいことで中和させながら
暮らしているのかもしれません
認知症になり記憶が少なくなっていくと
楽しかったこともわからなくなり、
新たな楽しみがなければ
怯えだけが残っていくのでしょうか?
認知症とは「忘れる」だけでなく
恐怖に怯える悲しい病気だと思います
なんか暗くなっちゃったので
ケーキ食べてみんなで太ろう(๑•🐽•๑)
