昨日は実家に母の様子を見に行ってきました
ストー部でネコムのちびです

母はおかげさまで復活してきましたが
今まで先送りしていた高齢者問題を
真剣に考えなくてはいけない時になり
色々と記しておきたいことがあるのですが
なかなか頭の中が整理できてません


そんなことは忘れて木更津詣での続きです!
愛染院から5分ほど歩くと
駐車場の奥に神社的な構築物が見えます

回り込んでとっ
わざわざ離れて鳥居を撮影
あれれ〜?
ラベルを剥がしたペットボトルを持って
出て行く人がいますよ(。・о・。)

鳥居の内側には枝垂れ梅が

手水舎で清めてからお参りです

八剱(やつるぎ)八幡神社は
創建は不明ながら社伝によると
このあたり一帯を八剱の里と呼び
この里の神を八剱の神と称しました。
日本武尊東征のおり、相模国よりこの地へ
海路にて渡ろうとしたとき
浦賀沖で暴風雨に遭遇して
船が転覆寸前となりました。
そのとき妃橘姫が海の神の怒りを鎮めるため
尊の身代わりとなって入水されました。
日本武尊は無事にこの地へ着いたものの
姫の死を悼んでしばらく当社に逗留し
去ることをしなかったので
「君去らず」と呼ぶようになり
「きみさらず」→「きさらず」と進化して
現在の「木更津」になったと伝えられています

それほど大きな神社ではありませんが
探検欲が湧いてきます
こちら祖神社は珍しい土蔵です
工匠、殖産興業の神として崇められてます

お稲荷さんの幟ばかり目立ちますが
御嶽神社、三峯神社、稲荷神社が合祀され
その祠は「流造り」という立派なものです

裏に回ると
ね、祠というには勿体ないくらいの造りです

石の祠はどこにあったものかさえ
忘れてしまってます。まずいなー

水神さまの祀られてる池

境内地下から湧き出る御神水があります
いただいた由緒書きによると
こちらの御神水を汲みに来られるかたが
いらっしゃるそうですが
どこから水が出ているのか?

源頼朝のお手植えの蘇鉄(そてつ)
君津市草牛の山中にある「森家」より
旧木更津銀行頭取が譲り受け
大正15年に奉納されたものです。
むかし森家の前の山道では
登り下りする人の休憩場所になっていて
源頼朝もここで兵馬の疲れを癒し
北上する際に森家へのお礼として
蘇鉄を植えたと伝えられています。
(頼朝は蘇鉄を持って旅をしてたのか?
  また、勝手に植えてしまったのか?)


宝暦二年(1752)木更津の大火により消失の後
安永二年(1773)に再建された社殿
幾度となく改修が行われてますが
とても古い社殿なのですね。
162枚の格天井画が市文に指定されてますが
ご祈祷中だったので覗くのは遠慮しました

御朱印は新築された参集殿にて拝受しました