骨折中のウサくん
なんとなく不満顔してますね
朝起きてご飯をあげようとしたら
ズバッとロケット弾の如く脱走しました!
痛みはなくなっても骨はついてないのだから
大暴れはやめてほしい~
無駄に追いかけても私が怪我しそうだし
おやつの袋の音で呼び寄せて捕獲しました
本堂でご挨拶したあとは
途中にお地蔵さん
延寶九酸年の日付は建立の時だとしても
”酸”てなんだ?すっぱそう…
小ぢんまりした祠ですが
こんな道標がありますよ
元禄十六年(1703)のもので
もとは現在の仙川二丁目4番にあって
側面に「是ヨリ大師尊参詣道 石原宿迄五丁近」
と刻まれているそうです。
甲州街道が昭和39年東京オリンピックの
マラソンコースになったことから
縁のあるこちらへ移設されました
元三大師堂
本堂前よりも人でいっぱいです。
堂内でのお焚き上げ祈願を待つかたが
順番待ちでひしめき合ってます。
お馬さんが刻まれた馬頭観音や
角大師の石碑がありますが
写真なんて撮ってらんないほどの混みよう!
堂宇の彫刻も見どころですね
元三大師のことであります
「元三大師」とは平安時代の僧 良源。
謐号は慈恵大師といって
正月三日に亡くなられたことから
「元三大師」と呼ばれています。
で、なぜこんな悪魔のようなお姿なのか?
疫病が流行したとき元三大師も高熱で苦しみ
この苦しさから人々を救うため祈りました。
その結果祈りが昇華して
角が生えてくるはギョロ目になるは
口は裂けてアバラが浮くほど激痩せしました
その祈りを邪魔しに来た疫病神は
その姿を見て逃げてしまったのです
このことから守り神(紙)として
玄関などに角大師の御影札を貼るように
なったということです。
では次
国宝に指定された東日本最古とされる
銅造釈迦如来像「白鳳佛」です。
本来なら御本尊である仏像ですけど
慶応元年の火災などのどたばたで
元三大師堂の須弥檀下に保管されたまま
忘れられていて
明治42年になって発見されました
白鳳佛さまは国宝に指定されたことにより
温度管理のできるガラス張りの特製御堂に
安置されていて
撮影もNGです。
ほんとっ若々しく伸びやかで美しいのです。
ずっと眺めていたいくらいですけど
後ろに行列ができているので
もう一度並びなおしました。
…ということができるのも
一月中は通常300円の拝観料が無料なのです!
なので、拝観料にあたる金額をお賽銭箱に
入れてお参りしました。
次の時代も、その次の時代にも
この美しいお姿でいていただきたいので
白鳳佛さまの横で公開されてるのが
1月限定の調布七福神毘沙門天像です。
二体御朱印を頂戴しました
すみません、③に続きます(>︿<。)












