10月13日(土)
そして…私を呼んでいたのは
この日は専用納経帳での御府内八十八ヶ所の
御朱印をいただくため
都内巡りへ出掛けました
移動中や昼休み中に読む本を探していたら
お正月に買ったまま読んでなかったものが
発掘されました
『日本軍兵士』
まずは文京区春日の「常泉寺」へ向かいます。
最寄り駅は後楽園
ところが地下鉄の出口を間違えて
小石川口から外に出てしまいました。
すぐ先の交差点は「こんにゃく閻魔」
…これは呼ばれたな(。・о・。)
てくてく数分歩くと
「こんにゃく閻魔」で知られた源覚寺さんは
3度目の訪問になります
上の写真の左に写ってるのはお百度石。
白い石が100個あるので
お百度参りの目安にお使いくださいと…
白い石はどれだ?
左は観音菩薩像、右に至勢菩薩像の
浄土宗のお寺です。
寛永元年(1624年)定誉随波上人により
現在地に開創されました。
江戸時代には「明暦の大火(1657年)」
「お薬園火事(1762年)」「戸崎町火事(1774年)」
さらに「富坂火事(1884年)」と
4度もの大火にみまわれましたが
ご本尊も閻魔さまもその都度
難を逃れることができました。
あの太平洋戦争の東京大空襲でも
本堂への延焼はまぬがれたそうです
悪いところにに塩をつけて祈念すると
治していただけるかも塩地蔵
小石川七福神の毘沙門天が祀られていますそして…私を呼んでいたのは
こちら汎太平洋平和観音さまですね
戦前、南洋庁施策のもと南方開拓に渡り
明治大正昭和と開拓に励み
志半ばに物故された人たちや
太平洋戦争で祖国を守るため身命を捧げた
兵隊さんや在留邦人のかたのご供養のため
サイパン島に物故者慰霊像を建立したものの
なにせ遠方で参拝の叶わぬ人のために
南洋諸島と縁の深い源覚寺に遥拝所として
建立された観音さまです。
なぜに南洋諸島とのご縁かというと
こちらの「汎太平洋の鐘」です
元禄三年(1690)粉河丹後守の鋳造により奉納
昭和十二年(1937)サイパン島南洋寺に転出
昭和十九年(1944)サイパン島軍民玉砕により
消息不明となる
昭和四十年(1965)テキサス州にて発見ののち
昭和四十九年(1974)帰還しました。
このニュースはなんとなく覚えています。
太平洋を幾度も渡った鐘ですが
こらからはここから動くことなく
世界が間違ったほうにいくことがないよう
見守っていただきたいです
鐘楼の手前に手水鉢がひっそりと
実は弁天様もいらっしゃるのですよ。
そして源覚寺の目玉は「こんにゃく閻魔」です
実はこの閻魔さま、
ざっと250年以上前のこと
ひとりのお婆さんが眼病を患って
大好きなこんにゃくを断って祈願したところ
快癒したことから「こんにゃく閻魔」と称され
人々の信仰を集めたとされています
それに倣って閻魔さまのお写真の前には
奉納されたこんにゃくが山になっています
こんにゃく好きのお婆さんの眼を治すため
自らの眼を身代わりにしています。
そのため閻魔さまの片目は光を失ってます
そのため眼だけでなく他部位の疾病にも
身代わりになってくださると
祈願する人が絶えないようです。
見どころがたくさんあって
平和のありがたさに思いを馳せられる
お気に入りのお寺です(b゚v`*)













