昨日の朝、洗濯機が壊れてしまいました。
まったく電源が入らない(꒪ȏ꒪)
前の晩に長男が靴の乾燥をしたせいかな?
靴乾燥モードがあるから間違ったこと
してないのですが
直前に使った人を犯人にしたくなりますね
にんげんだもの。
洗濯は下の洗濯機でもできるので
ヤマダ電機へ行くのを来週に延ばして
横浜能楽堂へ能を観に行ってきました行きたいと思っていたところ
ひょんな人脈でチケットを頂けることに♡
横浜能楽堂は桜木町のMM21とは反対の
紅葉山の上にあります
行きから登山をしたくないので
タクシーを使ってしまいました(*´ч`*)
タクシーで乗り付けたうえに
人が多くて撮り損なったので
ヤフーさんからお借りしました
さて「山田流と宝生流」の山田流とは
お筝の流派のひとつで
宝生流というのは能楽の流派のことです
そして「芸の縁」の縁とは
箏曲山田流を確立させた山田検校の父は
尾張藩の宝生流能楽師だったという
ただ現時点での研究では
尾張藩との関係ははっきりしてないようで…
でも検校の作品には宝生流の謡の影響を
ふんだんに感じられてるところから
父親は「宝生流能楽師」であったことは
間違いないようです
さて検校は幼いときに失明してしまい
盲になると按摩か琵琶か筝しかない時代
筝の才能を開花させ
江戸流の箏曲を確立させたということが
「山田流」のはじまりのようです
なんとなく変な日本語ですが、どんまい自分。
既に全国的に拡がっていた生田流に対し
後発の山田流は関東近辺で留まったのは
愛媛県のブロ友のみやびさんが
山田の爪の輪っかが手に入りにくいことに
多いに関係してますね(。-_-。)
休憩中に撮影
さて第一部の箏曲「小町」は
山田流と宝生流の縁を固くするため
藝大山田流教授の萩岡先生が作曲され
能の衣装を着けず袴と裃での素舞が
互いの存在を尊重するように感じました
ど素人の私が書くのも大変失礼だし
それ以上に恥ずかしいのですが
トンカラリンなど古典的なフレーズが多くも
耳に新しいメロディは楽しく
はるばる横浜まで来た甲斐がありました
第二幕は箏曲演奏のみ「長恨歌曲」
山勢松陰さんのお年を感じさせぬ力強い演奏と
われらが(?)奥山盈勢さんの綺麗な指づかい
到底及びもつきませんが勉強になりました
第三幕は能「楊貴妃」
シテは武田孝史さん藝大です。
14日の「和楽の美」にもご出演
で、すみません。かなり眠ってしまいました…
ここからようやく着物ブログです
予定ではこのコーデだったのですが
軽めの袋帯だけど二重太鼓の長さだし
少しでも涼しくしたいので
土曜日に締めようとした帯にしました
どうかな?
時間をかけて(40分!)時間を計らず(これ重要)
最近の失敗を気を付けながら着たつもり
やっぱ帯揚げは下手だから
最終的には帯に押し込んで隠してスッキリ♪
写ってないけど
衿はもう少し抜いてもよかったなー
半襦袢の段階では抜いてたつもりだったけど
涼子にタオルハンカチを入れて
爽竹の半襦袢にローライズステテコ
着物は江戸小紋の単衣
帯は織りの八寸
他に着物の人は10人くらいかな?
台風一過の暑い日だったので
ザ☆夏着物のかたも3名確認しましたよ(^^)




