9日、日曜日
午前中ゴロゴロしてるのが嫌だったので
目黒駅周辺を巡ってきました



目黒区駅から徒歩5分くらいにある
天台宗のお寺『松林山 大圓寺』です



行人坂という恐ろしく急な下り坂の途中に
大圓寺さんはあります
向かいはホリプロです 


{A9021DF9-6D70-4D39-8CC3-CA403FAE520A}




ここで大失敗に気付きました

明け方には雨が上がる予報がはずれ
小雨のなかの巡礼でしたが
ひっきりなしに参拝のかたが訪れるので
本堂の写真を撮り損ねてました

なので有料のパンフを写メしました

{70531AEE-4B80-4BEC-B973-76C6E43AB720}

季節が…



こちらの開山は元和年間ころ
今から400年くらい前ですね

行人坂の名前の由来も
こちらのお寺にあります



境内には五百羅漢が安置されていて
大圓寺さんの人気のもとになってます

{18B9FC1A-7333-4993-9D47-404AACFADDE7}





背景が全部羅漢さんなのですが
わかりにくいのでまたもやパンフの表紙から

{A86E9CEE-BD76-4045-BF76-D45F70CBFB90}




こちらの羅漢さんは江戸時代の三大大火の
明和の大火で犠牲になったかたたちの
ご供養のために作られました



明和の大火は「行人坂の大火」とも呼ばれ
火元はなんとこの大圓寺だったのです



盗みに入った生臭坊主の放火が原因ですが
この大火は江戸の三分の一を焼き
1万四千人以上の死者を出しました



ちなみにその他ふたつの大火は
明暦の大火(振袖火事)と丙寅の大火です



さてこの↑↑明暦の大火が
昨日の吉祥寺と繋がってくるのです



明暦の大火で焼け出されたお七は
避難所となった吉祥寺で
百姓の吉三郎と出会ってしまい
恋に落ちるのです


が、連れ戻されたお七は
吉三郎に会いたいばかりに
また火事になればと思い放火したのが
天和の大火といれてます



が、これはかなりの作り話で
ふたつの大火は26年もの間隔があり
お七はかなりの年増になってるはず…



私が子どものころ祖母と歌舞伎を見に行き
その演目が八百屋お七の話しでして
放火したお七が自ら火の見櫓に登り
半鐘を叩き鳴らしてる場面だけ覚えてます



もとい。



お七はその後処刑されたのですが
哀れんで建てられた「お七地蔵尊」が
この大圓寺にあります



なぜ大圓寺なのか?



それはこの石碑にヒミツが…

{119E4D1D-2847-40F8-8F0C-97AC2A0AE75C}



西運上人というかたです



この西運上人こそが吉三郎でして
お七が火あぶりの刑で処刑されたあと
お七を哀れみ、頭を丸めお坊さんとなり
お経を唱えながら諸国を巡ったのです



江戸に戻り終の住処にしたのが
なんの御縁か、ここ大圓寺なのです



この西運上人の石碑の横には
お七地蔵尊があるのですが
この一連の話しが繋がったのは
帰りの電車の中だったので
ツーショットし損ねてしまいました



その後大圓寺からも出火して…と
いかに江戸は火事が多かったかですね



西運上人像のある阿弥陀堂

{01216DF0-AAE9-4649-A424-8995144A2DDD}





重文指定の清涼寺式釈迦如来像が
安置されている釈迦堂

{C4A6972F-D6EA-40F0-8510-A96391DE3DC3}




品川沖で漁の網にかかった「とろけ地蔵尊」

{75291382-F42E-45C4-A367-BECC37C5E500}




などなど、決して広くない境内には
たくさんの見どころが集まってるのも
参詣者が絶えない理由でしょう



御朱印は明るい受付のある寺務所で
いただくことができます



本堂の開運招福大黒天(目黒七福神)

{51D16A15-285F-44D7-B966-DBA4BBB982DF}




釈迦堂にある御本尊の生身釈迦如来

{5CDDBC7A-B60B-45F6-8170-A8A44BA13055}




日本史好きの人の気持ちが
少しわかったような気がしました(*^^)v



思いの外長くなってしまいました

読みにくい文なのにここまで読んでくださり
ありがとうございましたm(。>__<。)m