横光利一の短編小説「蠅」を読みました。

、、、、、、、、、、、。

、、、、、、、、、、、。

、、、、、、、、、、、あれ。

、、、、、、、、、、、蠅最強って事なのでしょうか??

いや、この小説が言いたいのはそんな事ではないのでしょうが、私の残念な脳ミソでは「蠅」と言う小説は、そんんな風にしが解釈しえませんでした。

いや、だって、他にどんな捉え方があるというのでしょう。

馬車が崖から落ちて、人も馬もめちゃくちゃで、でも、馬に留まっていた蠅だけが、青空高く飛んでいく、、、って。

「蠅は空飛べるしね」

とか言うしかないじゃん???

以前「馬」と言う小説を呼んだ時も、余りなストーリー展開&落ちにどうしたら良いかてんで分からない気分に沈んでしまったのですが、この「蠅」と言う作品も又、読み手を行き場のない心的空間に蹴落とす様な代物でした。

っと言うか、蹴り落とされました。

そして、厄介な事に、この手の≪心理的四次元空間小説≫は困惑の分量だけ忘れ難さをもたらすのです。

いや、小説を小説のままねじ込んでくる感じ??

解釈とか理解とか共感などに目もくれず、小説の世界をズブッとこちらの心に埋め、心の中にその空間をこじ開けてしまう。小説を読んだら最後、こちらの意思など関係なしに、場所を奪い取られてしまう。読後そんな感覚に陥ってしまうのです。

その奇妙な力技に対し、確かにある種の畏敬を感じずにはおれません。しかし、力技は力技、その余りの強引さに畏敬を同じ分量の苛立ちを感じずにもおれないのです。

畏敬と苛立ち。

これが小説にとって称賛に値するのかは不明ですが、兎にも角にも感覚が揺さぶられてしまったことは確かなのです。

横光利一。

俳人であり、俳人であるだけで私にとっては完璧な人ですが、ふいに出逢ってしまった小説家と言う一面に、また、俳句とは違う揺さぶりをかけられてしまいました。

「俳句に耽溺すればよし」

その向き合い方が間違っていたとは今も思っていませんが、

「それが全てじゃないんだよ」

っと、あっさり諭された気分です。

訳の分からない小説に諭されるなんて、

「それが全てじゃないんだブーーーン」

って感じで心外ですが、ここは素直に、ついつい狭くなりがちな視野を

「なるべく広く、なるべく広く」

っと、意識していこうと思います。

っと言いつつ、蠅に教わるなんてやっぱどうしたらいいのか分かりませんブーーン。

ああ、蠅スパイラル。





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