「精神」

監督:想田和弘


想田監督の選挙に続く2作目。

精神障害者を追ったドキュメント。

映画の途中で監督自身の声が入るところが

「僕は精神病患者との間にカーテンのようなものを感じるんです」

というようなことを言います。

それを受けて患者が

「患者自身がカーテンをひいてるときもあるね」


精神障害者というだけで

分けわからない、意思疎通のできない人

あるいは、なるべく近寄りたくない

といった感情が湧いてくる人もいるでしょう。

一方で、患者自身も、自信を喪失し

健常者とは違うと感じ、

関わることをためらったり、恐れています。


それは、やはりカーテンがあるからなのでしょうね。

カーテンのこっちとあっち。

そういう線をひいてしまっていること

感じてしまわざるを得ないというのは

社会が、私たちの意識が

そういう人たちを追いやっているのだと思います。


もっと言えば

健常者、障害者という概念の線引きというのも

どこからきてるのでしょうか。

映画の中で患者の一人が、完璧に健常なんて人は

どこにもいない、といっています。

そう考えれば、そこに単純な一本線はないわけですから。


交わらなければ付き合い方がわからない。

もっと当たり前に交流できる雰囲気が

周りに必要なのだと思います。


交流することで、理解する。

理解できれば、雇用も生まれる。

雇用されれば自立もしやすい。

そうなれば、自立支援法も生かされるでしょう。


この映画は一方的にヒューマニズムを押し付けるものではありませんが

患者、ドクター、職員、薬の営業、行政、ホームヘルパー

さまざまな視点を描くことで、ふわりと浮かびあがってくる何かを

受け取るというような映画だと思います。

受け取り方はそれぞれかもしれませんが

監督のメッセージには強いものを感じます。


途中、遊んでいるこどもたち、駅でたむろする若者たち、

交差点の人ごみ、道を行く猫、川辺の鳥たち。

日常の風景をところどころ挿入しているのも印象的です。


患者たちの営みとそうした、一般の日々の何気ない風景が

すぐ近くにあるのに、お互いが混ざり合っていないという

イメージなんでしょうか。


映画の最後に出演後なくなった方が3人紹介されていました。

短期間に3人ということが、どういうことなのか。

この映画のテーマにも通じることなのだと思います。


それにしても、こうしたテーマを映画として

正面から扱う勇気と意気込みがすばらしい。

映画「ミルク」もそうですが、こうした作品が

社会の枠組みを変えていく

一石になることを期待したいと思います。