決意の英断
今から僕は決意の話をするよろしいか。ある価値観の中に生きるので僕はためらう幾度となくためらう。何をためらっているのか?それは決意である。流れる人生の中で、僕は流れを見つつも、いや、流れを見ているつもりでいても、結局は結局のところは社会を流れている。####################流す、流れるという言葉には、「この場は流して」というように一旦割り切って次に切り替えようとするイメージと(個人的にはプラスイメージ)「とりあえず流しでやる」というような何となく過ぎ去る、または手を抜くといった(マイナス)イメージが僕の中である。今僕は何を流しているのか?時代は流れるが時代に流されるのか?それとも、これまでの流れは割り切って、また新たなステージへ進むのか。####################僕が描くのは、流れる(受動的)のも生き方ではなく、乗る(能動的)生き方である。風に乗る、波に乗る、時代に乗る…乗るといった言葉をイメージしたとき、どこか上機嫌で気分がよくなる自分がいる。どうだろうか?新しい発見をするために、感覚を澄まして、新しいものに出会い、そしてどの出会いも感謝する。新しいものはそれぞれ求めるものが合致したとき、エネルギーを受けやすい。そしたら、もらった分だけ、自分も返せばいい。そのエネルギーをくれた人や物に対して思いを抱く。もしそれが出来ないような状況であれば、コミュニティ単位、グローバル単位で還元する。それが理想の社会だから、ぼくは実践するよ。そうじゃなきゃ僕はこれまでもこれからも、生きた意味を表せないのだろうから。####################本筋と外れた。世の中を考えずに流れて生きてきた中で、僕が一つ一つポロポロと失っていたもの。それが決意である。人生は決断の連続だから、自分で無我夢中にでも選択を掴み取っていかなきゃいけない。それが過ちでもいい。決断には、その後の何かを引き起こすパワーがあるのだから、これ以上素晴らしいことはないよ。決意表明したネズミは、圧倒的覇者のライオンを倒すことが出来る。(自論)ドラマやマンガや現実社会でそれを目の当たりにしてきた。大いに起こりうる。だからこそ、意を決して、望みを掴むこと。意を決して迷いを断つこと。素晴らしいね。「あなたの決意はなんですか?」