今から僕は決意の話をする

よろしいか。



ある価値観の中に生きるので

僕はためらう


幾度となくためらう。



何をためらっているのか?


それは決意である。


流れる人生の中で、


僕は流れを見つつも、

いや、流れを見ているつもりでいても、




結局は


結局のところは


社会を流れている。


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流す、流れるという言葉には、

「この場は流して」というように一旦割り切って次に切り替えようとするイメージと(個人的にはプラスイメージ)

「とりあえず流しでやる」というような何となく過ぎ去る、または手を抜くといった(マイナス)イメージが僕の中である。


今僕は何を流しているのか?


時代は流れるが

時代に流されるのか?

それとも、これまでの流れは割り切って、また新たなステージへ進むのか。

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僕が描くのは、

流れる(受動的)のも生き方ではなく、

乗る(能動的)生き方である。



風に乗る、波に乗る、時代に乗る…

乗るといった言葉をイメージしたとき、どこか上機嫌で気分がよくなる自分がいる。

どうだろうか?


新しい発見をするために、感覚を澄まして、

新しいものに出会い、

そしてどの出会いも感謝する。




新しいものはそれぞれ求めるものが合致したとき、エネルギーを受けやすい。
そしたら、もらった分だけ、自分も返せばいい。

そのエネルギーをくれた人や物に対して思いを抱く。
もしそれが出来ないような状況であれば、コミュニティ単位、グローバル単位で還元する。

それが理想の社会だから、ぼくは実践するよ。

そうじゃなきゃ僕はこれまでもこれからも、生きた意味を表せないのだろうから。


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本筋と外れた。

世の中を考えずに流れて生きてきた中で、僕が一つ一つポロポロと失っていたもの。

それが決意である。

人生は決断の連続だから、自分で無我夢中にでも選択を掴み取っていかなきゃいけない。

それが過ちでもいい。

決断には、その後の何かを引き起こすパワーがあるのだから、これ以上素晴らしいことはないよ。

決意表明したネズミは、圧倒的覇者のライオンを倒すことが出来る。(自論)

ドラマやマンガや現実社会でそれを目の当たりにしてきた。

大いに起こりうる。

だからこそ、

意を決して、望みを掴むこと。

意を決して迷いを断つこと。



素晴らしいね。



「あなたの決意はなんですか?」