ずっと、SNS上のコミュニティで書いて来た、自分の闘病歴&日記、を匿名ブログにして書いてみる事にしました〜。

書きたい時に書きたいだけ、書きたい事、記して行こうと思います♪

只今アラフォー、高校時代より、20年以上に渡り、パニック障害と、それから併発した非定型うつ病に悩まされて来ています。本当に失う物の大きい、大変な病気ですが、ここまで来ると、意外と沢山の素敵な事も同時に得て来たなぁ、とも思っており、やっと、回復出来るかも、治るかも、という希望が見えても来ました。そんなポイントにいます。

病気の発症は、音楽高校、通称、"音高" と呼ばれる学校の1年生の秋〜冬。小さな頃からピアノを習い、たまたま近所に住んでらした音楽高校で教えていた先生だった事から、いつの間にか、音楽高校へ進学するのが当たり前のようになっていました。中学1年くらいから、それくらい弾けてたら、低めのレヴェルの音大になら今でも受かる。高校でも、トップ層には入れないけど、その下を狙える、そんな感じで言われており、自分がまさか、その音楽高校に付いて行けないレヴェルだとは夢にも思っていませんでした。。。

それか、いざ入学すると、周りの同じピアノ科の生徒達が普通に出来ている事が、自分には出来て無い事を悟り出し。何が起こってるのかわからず、混乱し出した15歳の私は、どんどん自分を見失い、壊れて行きました、、、。"自分の中で音を立てて、自分が壊れる" 正にそんな感じ。

秋の前期試験の頃には既に体調に異変が起き出し。朝から貧血で、目の前が真っ白になって、暫く横になってたら、今度は酷い目眩で世界がグルグル回ってました、、、。かかりつけの耳鼻科で、1週間静脈注射を打って貰いました。試験前の大事な、大先生のレッスンをキャンセル。そして、更に試演会の機会も貰えず臨んだ試験では、まともに弾いたパッセージは無かったかも⁈と思える程、ボロボロ。決定打は数日後返って来た点数でした。試験の演奏が、"平均点" と "自分の点" が0.1の細かさで点数化されてました。確か、平均点が、70~71点の間でした。そして、私のは、64点代。
それだけでもショックでしたが。音高の先生である自分の先生から得ていた前情報が更に傷を深くしました。大体、69点代にかなりの人数が並ぶ。そして、下の方に、67点代 68点代の人が少数いる。と、、、。多感な、そして、まだ世間知らずな高校1年生の私は、"こんな点数前代未聞なんでは⁈成績悪過ぎて退学させられるかも" と真剣に思い…

高校生は危ない年頃ですね、本当に。その時、同時に、"私は役に立たない必要とされない人間なんだ。死んでしまった方が良い人間なのかもしれない" とまで追い詰められたのを今でも憶えています。そして、自尊心も自信も粉々に打ち砕かれ、心がボロボロになってしまいました。それからすぐ、不眠の症状が出だし、毎晩、何時間も布団の中でもがき、朝は無理やり起きて、吐き気を催しながら通学していました。
そして、12月ごろ、当時は何かわから無かったけれど、睡眠中にパニック発作を時々起こすようになったのです。

長い前置きになりましたが、その後2長い紆余曲折を経て、7年前には、命も本当に危なく、絶対安静を厳しくドクターに命じられる所まで堕ちたけれども。やっとその時に腕の高いドクターと、病気に真剣に向き合い、治療を始めれて、少しずつ回復への道を歩んで来ました。

そう、そして、ここ数ヶ月でしょうか。朝、特に早くは無いけれども、自然に目が覚めて、何の苦も無く起きれるのです!ポイントは、午前中に出かける用事の無い日でも。今までは、午前中出かける時は無理をして起きていて。無理をするから、その後また寝込み、となってました…
この病気の治療には、早寝早起きで生活リズムを整えるのが大事だから、とお医者さんにどれだけ、指導を受けても、朝取り敢えず無理やり起きようとしても、どうしても、気力が湧かず。また、過去の長期間に渡る、反吐を吐くような思いをして朝無理やり起きてた経験がトラウマとなり、お医者さんの指導にも拒否反応を示して大変でした……

そ、れ、が。何の苦もなく、起きれるのです。起きちゃうのです!健康な人達にとっては何とも当たり前の事。普通の事なのですが。自分にとっては、奇跡か⁈と思えるくらい不思議です(^o^)

高校1年の冬以来、なのです、人生で……

また今度いつか書きますが、この春頃、ある本との出会いから、高校の時の自分の傷と向き合い、その傷口の1番根底の所を癒す事に成功しました。まだアメリカで去年秋に出版されたばかりの本ですが、ピアニストから心理学博士へと転身された方が書かれた、ピアノ教育現場における、子供達への心理的発達過程への影響について、鋭く深く突かれてあるものでした。

ここの所、家族が、私から影が消えて、明るくなった!と喜んでいます♪ 高校入学以後見た事が無い顔だと。
そして、それと時を同じくして、私に、午前中の世界が開け出しました☆☆まだ、元気に動き回れる訳では無く、ダラダラ過ごしていますが、どれだけ夢見たかわからない、普通の日常生活を送れるかもしれない希望が、やっと、見えて来ました。

いやはや、長い道のりだこと。。。
本当に沢山の素晴らしい出逢いのおかげで、沢山の方々の手で救って来て頂いた命だ、といつも思います。
人生の前半の殆どを、あの時壊れた自分を立て直す事に費やす事となってしまったけれど。それはそれで、面白い人生よね、とやっと思える昨今です。