ここは、
【呟き鬼・囁き鬼】のお部屋です。
時には、
幼い子供たちを持つ方々への
注意喚起的な記事等も、記載される部屋。
(また、起きてしまった様です・・・)
また?(・_・;?
そう、また?なのですよ。
そこには、
共通するキーワードの
存在があるのです。。
【#子供の存在を忘れる】
その後、沸いてくるのが・・・
【#親としてあり得ない】
という親としても、人としての思い。
でもね、思えば
それは今までにも、
何度も繰り返し見てる様な記事たち。
例えば・・・
『幼児を親が親族が
車で轢いてしまい・・・』
『親が目を離した隙に幼児が・・』
ここ最近は、それに加えて
『#コロナ禍』
『#在宅勤務中の父親』が混じり始めた。
我が家の近くでも、
今年の5月に
こんな出来事がありました。
この子供の父親も
実は、後から解りましたが。
『#コロナ禍』
『#在宅勤務中の父親』だったのです。
その際に、
その父親が我が子に
対面した際の台詞が・・・
『○○ちゃん、
ナンでここに居るの?
(・_・;?
いつの間に、出たのォ~』
そう思い返せば、それはまるで・・・
我が子の存在を忘れてた者の台詞です。
その時の、その父親の表情・・・
薄ら笑ってる様にも見えたのです。
背筋が薄ら寒く成りましたわ・・
思えば
あの父親・・・あの時迄の間。
我が子の存在をも、
忘れてた人だと思えてますよ。。
その様な心理に、
もしも成り得るとしたら・・
(そこに、我が子が居るだろう)
(出て行ったりは、しないだろう)
我が子の存在を確かめずなまま、
その様にも、
思い込んでく故だとも思います。
それらは、
日常的な記憶が根元と思えます・・・
我が子を、
いつもママがお世話をしてる記憶。
(いつも、我が子はママの傍らに。
⤵️
今も、我が子はママの傍らに居る。)
もしかしたら、加えて
コロナ禍➡️
自宅待機への記憶迄もが。
(今、俺は会社で
いつもの仕事をしている)
へと、
塗り換えられてしまう
可能性もあるのかも?知れません。。
それは、
大切な我が子を
預かってる側の立場すら
も、忘れてしまう様な・・・
日常的な慣れがもたらす記憶の混同。。
それは、誰もの身近に存在する・・・
日常に潜んでいる、落とし穴・・・
人として
親としてその親を
責めてばかりで居たら・・・。
我が事の様にも
少しも考え無かったら。。
私自身も、もしかしたら
今頃は、同じ様な過ちを
だったかも?知れません。。。
~参考資料集~
では、また深夜に