その色あいは『空の色~①』 | 宇宙からのメッセージが届く【グラかもの館】へようこそ

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この投稿の前振りは、7月に書いたものです。
自分で考えてた以上に、こうして書き出すまでに間が開いてしまいました。

こちらのタグでは、夜の仕事で知り合った方達について私なりに感じ取ってた事などを、時折に書いてみたいと思っています。


初回は、
とあるご夫婦(当時は40代位)について。
私が感じたままを、書こうと思います。

その御夫婦の内の旦那様側との縁とは、
私がまだ中学の頃、始まってた様です。

(始まってた様です)とは、実際は私側には記憶が残って無かったからなのですが。

私が産まれ育った実家には。
隣り合わせの本家には、従兄弟が二人。
私は、その兄弟の内の下の従弟と同じ年。
保育園の頃には、その従弟と結婚すると迄、言い張ってた位ですから。
その従弟は初恋の相手の様なものですラブ
(従弟とは、兄弟の下という意味です。
私、人格的に破綻してた従兄の方は、大の苦手でした。その理由は、
いつか他の記事で明かすかも?ですが)


本家には、大好きな婆ちゃんも居たので、
その従弟の部屋にも、
時折にはお邪魔もしてたのです。

その従弟の部屋とは、中学頃には地元の男の子達が集う様な場所に成ってました。
最初の内は私も混じっては、
騒いでましたが。
その内に従弟をも、
異性として意識し始めたら、そんな交流も消えてしまいましたのです。
その中にその彼が、どうも居たようです。

その御夫婦の内の旦那様と、大人に成って、あるスナック店の預かりママになり。
再会した際に、
自分もその仲間内だったと言われました。

私にしたら(見た覚えがあるかな?)な、相手でした。

再会した際に、妙に感激されて以来、
私を『同級生』と呼んでくれました。

実は、家庭内事情が複雑過ぎてた
家にて育った様な私。
その私が、大人になり、
お水な世界にです。
仕事に追われてた事もあり、
同窓会に出られる筈もなく。
私に取っては『同級生』とも
人目も憚らずに呼んでくれた様な
そんな相手は未だにその彼だけです。

ですが、彼と再会した当時は、
私は既に夜の店勤めであり。
その様にも呼ばれ慣れてない為にも、
照れ臭くて素っ気なく対応してました。
今、思えば。
もっともっと親しくして置いても良かった様な、そんな相手だったのです・・。



その彼は、仕事は調理人でした。
当時は、奥様と小料理屋を賄いしており、
その店を奥様と従業員に任せては、
私の店や地域の他の飲食店にも、
客として訪れては、一杯を自分が飲み、
訪れた店の者にも飲ませては、巡る。

それが、いつの間にやら。
その彼の日課に成ってた様な感じでした。

当時に私がママとして預かってた店は。
その店の元のオーナーが当時の地域の飲食店の会長役。
年齢的にも『長老』と呼ぶに相応しい人。

(『パトロン』と一部には思われてましたが、実際は従業員と上司の立場でしたし。
私自身、その様な関係は苦手な気質。)


私にしたら、その役員なオーナーからも。
『あいつは、店をほったらかして』とも、聞いてた影響で(不真面目な)と思い込みしてて素っ気なくもしてたのもあります。

それに彼が店を訪ねて廻る際の服装が、
真っ白いスーツ姿だったので、
見た目の派手さの影響もありました。

私にしたら訪ねても来てもくれるのは嬉しいけれど、
時折に
『なにやってんのよ、
店に戻って仕事しなよムキー
と彼を本気で叱ったりしてたのです。

そんな私を見ては、
『お前は可愛いナァ、
さすが同級生だよっ』と言いながら。
頭を撫でられて
(彼はかなり身長が高く)は笑って、
そうしてまた店に来てた様な人でした。

その内には、奥様が迎えに現れ、
奥様が私達にまでも
丁寧過ぎる位のお礼をしてから
支払いを済ませて、
彼を宥めては連れ帰る様な奥様の姿。

私はまだその当時。
(何故に、良い奥様を嫌うのよ。)
(まるで遊び人みたいじゃないのよ。)
(何だか、奥様がお気の毒だわ。)
その様にしか、
彼を捉えてなかったのです。


でも
私は、まだまだ青かった様ですよ。
(未だに大して成長もしてませんがショボーン。)


いえ、それを後から。
私なりに思い知る事態が起きるのです。






(②へ続きますが、休み休みねm(._.)m)