バブル期の東京でのサラリーマン生活 | 森とか街とか

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日々の些事、人生の出来事など自身のことや、世の中の経済を含め今の日本やこれからの情勢への自分なりに心に浮かんだことなどを書きます

 

 

 

 

 

北大を出て

最初の転職をする頃には

もう転職の専門の情報誌で

技術職に特化したビーイングとかあって

まあ、

転職もしたりして

西新宿のソフトウェアの会社で

働いてました

写真旅行も

グアムとか札幌とか

贅沢とも恵まれてると感じる人もなく

世間並みの感覚で

同僚も親が2回

住んでいた家を売って

そのたびに家族が小金持ちになり

自分がアメ車に乗ってると自慢してたり

派遣のプログラマーも

今、派遣は非正規で高級取りは

めったにありえない雇用でしょうが

たしかに

実力を買われてその職場にいたあるプログラマーの人は

なかなか、いい報酬でしかも

セッション・ミュージシャンで

ほんとにある程度の芸能人の

レコーディングに参加して

いかにも

その時代を謳歌してました

その人の姉が大学の講師で

グアムにリゾラバがいて

しばしば

週末に会いに行っているとか

J-WAVEがまで試験放送の頃で

新宿の低層住宅の密集地の

地上げ屋とか

なんか目の前で起きてました

 

僕は

職場のそばの京王プラザホテルの

喫茶でコーヒを

飲んだり

センタービルで

なにかイベントで

チェリッシュが呼ばれて

歌っているのを見たこともあり

時代ですよね

 

飲食店には南の海に水着美女の

ビールのポスター

ワンレンとかボディコンとか

タモリとさんまが人気があって

立ち食いそばとマクドナルドが

もう会社員の歩く先には

絶対にありました

テレクラの看板のない駅は

まずなかったですね

駅から出たら

ティシュ配りの人から

2つも3つももらうし

ラーソンの絵を売りつけるキャッチの女性とか

真光教の人に

お祈りさせてくださいとか

手のひらをかざしてお祈りされて

3ヶ月も手のひらかざしの技(わざ)で腐らなかった瓶の中の塩辛の

白黒のパンフレットを渡されたり

白シャツのモルモン教のケント・デリカットと似た風貌の

しばしば自転車の二人連れに

神さまを信じますかと

聞かれた人が多かったはずです