どうも〜、イッツ・ア・スモールワールドのような人生も歩んでみたいURYUです。 

恥ずかしながら、ずっとブログ書く気になれませんでした!
忙しかったとか、面倒くさかったとかではなく、シンプルに気持ちが乗りませんでした。
スプラッシュマウンテンみたいな、わりかし強度の高いジェットコースターな人生には乗ってます。


最近何してるのかな?って心配して下さった方々、ありがとうございます。
永田は生きてます😊

一回の人生だけではあまりできない経験の数々を、ここ数週間でしました。

まず初めに、怪我しました。
怪我した。というより、オーストラリアからの無理が響いて、これ以上できない!というストップがかかった感じです。
バングラに戻ってきて早々にこれは悔しいです。
負傷箇所は左膝内側半月板。
ロッキング(半月板がめくれ、激痛と膝の曲げ伸ばしができなくなる状態)を繰り返し、もうこれ以上ロッキングをしてしまうと半月板の傷が広がって手術しても元に戻らないという所まできてました。
(甥っ子をあやした時にもなった😂最後のロッキングは練習中の10月末。通算4回もしてるので、これ以上はプレーに集中ができない、と僕自身でも離脱と判断。)

軟骨の大部分の切除となると、選手生命&私生活にも大きく響きます。
それがギリギリのところで免れました。
ある意味これはツイてたのかな。


で、もっと早くに日本に帰国したかったのにまさかのデング熱に感染😂
しかも、その時使った解熱剤でアナフィラキシーショックを起こしてしまい、1週間ICUに。

デング熱の高熱、めまい、頭痛、関節痛、下痢。
アナフィラキシーショックでの呼吸困難、浮腫み、痒み。
えげつないフルコンビネーションを食らって死にかけました。どっちも重症化!

呼吸困難で酸素マスクをした時はしんどく、周りにお医者さんがいて、心電図をつけている様子は死ぬ間際でした。
「あー、最後はこうやってあの世にいくのか〜」と冷静で悟った自分がいました。

その後は落ち着き、ICUのために行った病院ではかなーーーり伸び代ある病院食が出てきました😂
朝飯後の30分後に卵スープ渡されたり。(スープは食前に欲しいよ。。)とか、
夕食が19時と22時の感覚で2回出たりとかね。
体調悪い時のベンガル料理もきつかったけど、この謎の時間差配膳に疑問、と指摘する元気もなく、メンタルと体力だけがひたすら削られました(笑)

そんで、ICUを出て、診察したダッカ・ヤマガタ病院に戻るとこんなにも豪華なお食事が🥺
ほんの一部ですが、載せておきます!
日本人看護師のレイ子さんには大変お世話になりました🙏


さて、体調は不完全だが、無事に退院ができたということで、退院翌日にはダッカを発つ。
2週間越しのフライト。
点滴を打った左腕が謎の神経痛で今でも痛い、痺れる😭最近までこれで寝付けなかった。


あー、そういえば、ダッカ空港のラウンジで、クラブの元GMとまさかの再会。
違法カジノの運営で追放されて以来。
もう会うことはないだろうけど、何でこのタイミングで神様は会わせてくれた?😳
無事に日本に到着し、翌日には診察を受け、手術の準備も完了。

手術日は11月24日(金)
2年前に前十字靱帯の手術を受けた時と同じ、地元の関東労災病院です。

せっかく退院後に戻した体重も、また病院食で痩せちゃいそう。
永田にとってはおやつ。


長くなってしまったので、また明日か明後日の手術後に今後のことや心境を綴れればなと思います。

手術を明日に控え、正直不安ですが、これを耐えれば次に進めると思って乗り切ります💪