弥生ダンシャベリ会 自信について思う。
一昔、
「自信が無い事には自信がある!」
と、豪語している私がいた。
私を見て、自信が無いとは思えないらしく、
とてもびっくりされる事が多かった。
こういっている間、私は自信が欲しかったのだと気がついた。
自信の無い子は、親から否認されて育つ子に多い。
「だめ、だめ、だめ」の連発で育つのだ。
何をやっても、どんな時でも否定され続ける。
親が悪いという結論は出ない。
何故って、親も「否認され続けて育った」のだから・・・
だとしたら、負の連鎖は自分で断つしかないのだ。
断捨離の断がここにある。
負の連鎖、自分の思い込みや人からの強要から楽になれる方法は?
それは、何かを捨てるしかない。
自分の思い込みや、人からの強要を捨てるしかない。
そうやって離れてみて、自分の立ち位置を認めてあげる。
言葉で言えば簡単そうだけれど、
大人となっている場合、簡単に捨てられないシガラミがある。
自分の思いと離れていく、溝が広がっていく、期待は高まっていく。
ただただ、苦しんでしんどくて・・・・
この時間が、実はとてもとても大切で、次のステージを迎える
パワーを生み出す事を私は実体験で知っている。
だから、苦しくても、辛くても、向き合うし考える。
でも、あまりにもしんどすぎて・・・・パニックになる事もある。
そんな時は、人と話す。聞いてもらう。そうやって自分の思考をまとめる。
人には個性があり、適した役割がある。
お母さんにお父さんの代わりがなかなか出来ないように、
猫に犬の代わりが出来ないように・・・
とはいえ、我が家のジジ君は、リードでお散歩をする。
まるで犬のようだと言われるが、ジジ君は、桜の木に登るし
塀の上を歩く。屋根の上を散歩する犬はあまりいない。
リードのお散歩は、猫のジジ君が大事だからしている。
彼が、変なものを食べないように、他の猫と喧嘩しないように
車にはねられないように、高い木に登って帰れなくならないように。
ジジ君のストレスがあまりたまらないようにと散歩をする。
でも、犬をジジ君に求めているわけではない。
気ままな猫の気性をもつジジ君が大好きなのである。
寝る前にジジ君に言う。
「ジジ君は可愛い!ジジ君は素敵!ジジ君最高!
ジジ君、キュート!、ジジ君スマート!
ジジ君、今日も私と一緒にいてくれてありがとう。
おかあちゃん、幸せだよ~♪」
猫かわいがりも、ここまできたら上等だろうと、俯瞰して思う。
苦笑しながら自分の行動を見ているが、
これが自信をどうでもよくしているのだと気がついた。
私は、ジジ君まるごと大好きなのである。
咬まれても、引っかかれても、すねられても、丸ごと大好き。
何をされても許しているし、そのままのジジ君を認めている。
ありのままを受け入れる事で、ありのまま受け入れられる事を学ぶ。
良い所、困った所、猫でなくてもそれぞれあるし、
考え方や捉え方、行動もまちまちだもの。
自分の思いどうりに出来ない事があることをジジ君は私に教えてくれる。
愛しい存在だからこそ、譲る事も、お願いする事もする。
相手の要求を丸ごと受け入れるなんて出来ないと思っていたから自信が無かった。
今、私は、自信が無いとは言わない。
反面、自信が有るとも言わないし、考えていない。
つまり、自信にフォーカスしていないのだ。
自信の必要の無い生活をしているのだろう。
何が大きく変わったのかを改めて考え直してみた。
要求されても、「無理な事は無理」「譲歩できる事は譲歩」
自分なりに出来る事をやってみるだけになったのだ。
今、ここ、私を基準に考えると、
自分を信じてやってみるしかないのだ。
それも、「じぶんのやり方」でやるしかない。
だって、自分を見ている自分が一番の理解者で一番の応援団!
良いも悪いもひっくるめないと自分を理解は出来ないだろう。
断捨離セミナーで学んだ事の一つ。
モノとの関係を修復出来たら
「モノを大切に出来る」=「自分を大切に出来る」
それは、「モノの存在を認める」=「自分の有り方を認める」へと変化し
自分の有り方を認められれば、自分を信じて生きる事が出来る。
傍から見ると素敵な人なのに・・・・
自信が無いとつぶやく人が本当に多いのを知っていた。
そして、自信だけは他の誰からも貰う事が出来ないものだとも知っている。
だって、自分軸、自分が自分を信じる事だから。
ここに、できる出来ないを混在させるから話はややこしくなるのかも?
出来る自分しか信じない・・・ここに留まる人が多いのは減点主義社会だからかも。
久しぶりに、自信を意識してみた。
意識から外れると結構楽に生きている。
ゴミも視界から外れると楽に生活出来る。
断捨離ってやっぱり面白い♪
