中沢新一さんの「チベットのモーツァルト」を読んだ時に紹介さていた。「イクストランへの旅」カルロス・カスタネダの本を読んでいます。
なかなか普通では出会わない本です。
帯にはよしものばななさん
アリゾナのペヨーテインディアンのドン・ファン呪術の師とカルロスの物語
印象に残ったのは
p65
私はふり向いた。するとその大きな石の上でチラチラしている何かが見えたような気がした。悪寒が身体をはしりぬけて腹の筋肉が収縮し、痙攣が起こった。
このチラチラしているのは死神です。いつ襲って来るわかりません。😃
戦士の気持ち
p175
「夢を使うようになれば、すぐに普通の夢は生々しくなるものさ」
「練習せにゃいかんテクニックについてもう一度念を押しておこう」彼が言った。
「まず、出発点として自分の両手を見つめる。それから別なものに目を移して、チラッとそれを見る。できるだけたくさんのものに目を向けるんだぞ。ちょっとしか見なければ、像は動かんてことを覚えておけ。それから両手に戻るんだ。際限なくいろんなものを見つめられるようになったなと思ったら、新しいテクニックへの準備も大丈夫ってことだ。これから、その新しいテクニックを教えるが、準備万端にしてから使うんだぞ」
「夢を使う次の段階は、旅することを学ぶんだ。手を見るのを学んだのと同じようにすれば、自分に、動いてどこかに行くように命ずることができるんだ。まず、行きたい所を決めにゃならん。よく知ってる所がいいーー学校とか、公園とか、友達の家とかだーーそして、そこへ行けと自分に命令するんだ。このテクニックはかなりむずかしいぞ。それには二つのことをせにゃならん。まず、自分に特定の場所へ行くよう、命ずること。それから、このテクニックをマスターしたら、その旅の正確な時間をコントロールできいるようにならねばならん」
いつも夢は見る様ですが、いつも覚えていないんですよね。それでも昨日はやたらに丈の短いポロシャツを着ていて恥ずかしいかった。
そこでこれは夢だと気づけば良いんですけど。そこまで意識出来ません。
手を見るテクニックを身に付けたい!
死はわしらの永遠の仲間だ。
p233
戦士が自分の死を見る見方は、彼が成長してきた仕方で違うのか、と訊いた。 私の考えでは、文化が死を描く仕方を決定すると思ったのだ。
「どう育ったかは問題ではない」彼が答えた。
「何をするにしても、その仕方を決めるのはそいつの力だ。人間てのは自分の力の総和にしかすぎんのだ。そしてその総和が人の生き方や死に方を決めるんだ」
「それじゃあ、力ってなんだい?」
「それは感覚だ。幸運に似てる。あるいは、気分と言ってもよかろう。力ってのは自分の出身とは関係なく得られるものだ。戦士が力の狩人だってことはもう前に言ったな、だから、今度はそれの狩り方とため方を教えとるんだ。お前のむずかしさ、これはわしらみんなのむずかしさでもあるんだがな、それを納得するってことさ。自分の力は使えるし、たねることもできるってことを信ずる必要があるんだが、お前はまだ全然納得しとらんしな」
「納得するってことは、自分ひとりで行動できるってことだ。それができるようになるには、まだまだ大変な努力がいる。これまでよりもっともっとだ。お前はまだ始めたばかりだ。」
力の狩り方が難しいんですね。
私は知者の意味を聞いた。
「知者ってのは、学ぶという苦しい道を心から歩む者だ」
「あせったり気持ちを変えたりせず、できるかぎり深く自分の力の秘密を解いてゆく者のことだ」
力の足どり
p251
私は、何にも焦点を合わせずにただ前をうす目で見れば、夜がどんなに暗くれもいつもよく見える、ということを事実として知っているからだ、と言うのである。「力の足どり」というのは、休憩の場所を探すのに似ていた。その両方に、身を任せたり信じたりする感覚が伴っているからだ。「力の足どり」をするには、どちらかの横に目をやると動きの流れが変化してしまうので、まっすぐ前だけを見ている必要があった。彼は、目の位置を低めるためにからだを前に曲げ、一歩一歩を短く確実にするためにひざを胸まで引き上げる必要があるのだ、と説明してくれた。そして、最初は何度もつまずくだろうが、それを練習しているうちに昼間走るのと同じくらい早く、安全に走れるようになる、と保証してくれた。
力の足どりを身に付けたら暗い夜でも走って行けます。
復刻版の霊能一代を読ませて貰いました。
私にはよく分からない世界で実際に砂澤さんにお会いしてみたかった。
砂澤さんの神様が大きなキツネこ姿えおしていたそうです。