出口治明の本を読んでいて、出口さんの勧めの本を知りいつかは読んでみようと思っていました。

お勧めのリストはこんなのです。


想像の共同体 ベネディクト アンダーソン

ネーションステートについて


近代世界システム ウォーラーステイン

ネーションステイトのグローバルなつながり


道徳感情論 アダムスミス

公の話


統治二論 ジョン・ロック

民主主義の基本


種の起源 チャールズ・ダーウィン

生命の進化の歴史を知る


世界標準の経営理論 入山章栄

根拠なき精神論からの脱却


地中海 ブローデル


近代世界システム ウォーラースティン


想像の共同体 アンダーソン


イタリア・ルネサンスの文化 ヤーコブ・ブルクハルト


中世の秋 ホイジンガ


世界 ヘロドトス


歴史序説 イブン・ハルドゥーン


1493 チャールズ チャールズ・C ・マン


中国の科学と文明 ジョゼフ・ニーダム


歴史を変えた気候大変動 ブライアン・フェイガン


遊牧民から見た世界史 杉山正明


2052 今後40年のグローバル予想 ヨルゲン・ランダース


死者を弔うということ サラ・マレー


種の起源は上下2巻の800ページ弱と長編でした。


内容の一部はこんな感じ

有利な変異は保存され、不利な変異は排除される過程を、私は自然淘汰と呼んでいる。


 私はまた、気候変化のような物理的環境の大変化や、よそからの移住を妨げる障壁など実際に存在しなくても、自然淘汰の作用によって変更され改良された変異個体が、空いている生息場所を新たに占めることは可能だと思っている。なぜなら、どの土地でもそこにすむ生物はみな絶妙なバランスを保ちつつ闘争し合っており、ちょっとした構造の変化や習性の変化が生じただけで、その生物は他の生物よりも有利になりうるからである。その変化がさらに進めば、なおいっそう有利になるかもしれない。


 交雑によって生まれた子どもは、長いあいだ自家受精が繰り返されてきた子どもよりも活力と繁殖力がはるかに強く、生き残って自分と同じ種類の子孫を残す可能性も高いはずだと私は確信している。


 自然淘汰との密接な関係という視点から触れないわけにいかない。自然淘汰の作用の仕方は、何らかの点で有利な変異を保存するということだけであり、その結果として、保存された変異は存続することになる。


 一般に最も厳しい競争相手となるのは、きわめて近縁な種類、すなわち同じ種の変種どうし、同じ属あるいは近縁な属の種どうしである。それは、ほぼ同じ構造、体質、習性をもっているからだ。

同族が1番の敵です。

家族が敵になると骨肉の戦いになるんですね。

 自然淘汰の作用がどのようにして絶滅を引き起こすかについては、すでに見たとおりである。また、地球の歴史においていかに多くの絶滅が起きてきたかについては、地質学が明らかにしている。


 いちばん変わりやすいのは、大きな属に所属していて広い分布域をもち、たくさんの個体が広く散らばっている種であることはすでに述べた。そういう種は、その土地で優勢な種になる上で有用だった利点を、変異を生じた子孫に伝えることになる。今まさに述べたように、自然淘汰は、形質の分岐を引き起こすと同時に、あまり改良されていないたくさんの中間的な生物を絶滅させる。

多くの同族がいると突然変異も起こり易く、その突然変異で少し有利になったものが数を増やし、同族を自然淘汰で絶滅させてしまう。

 移行段階にあたる変種が見つからなかったり稀少なことについて──自然淘汰は、有益な変化を保存することによってのみ作用する。したがって個々の新しい種類は、満杯状態の土地では、競合相手となる自分よりも劣った原種や他の種類に取って代わり、やがては絶滅させてしまう。つまりすでに論じたように、絶滅と自然淘汰は連携するのだ。そういうわけで、生物種はみなそれぞれ未知の種類の子孫であるという見方をするとしたら、一般に原種も移行段階にあるすべての変種も、新しい種類の形成が完了するまさにその過程によって根絶させられる。


 一般に二つの種類の中間的な変種が出現している場合、その変種は橋渡しをしている二つの種類よりもはるかに数が少ないとのことだ。そこで、そうした事実と推論を信用し、二つの変種を結ぶ変種は一般にそれが結んでいる二つの変種よりも個体数が少ないと信じてもよいとしよう。そうだとしたら、中間的な変種が長期にわたって存続するはずがない理由が理解できるだろう。すなわち一般則として、中間的な変種は、それが元々橋渡しをしていた種類よりも早く根絶させられ、消滅してしまう理由が理解できるだろう。


 創造説では、生物は自然の中の適切な居場所にそれぞれ適合するように個別に創造されたと考える。ところが、多くの独立した生物の部位や器官のすべては、段階的な移行をなすように一列に並べることができる。これはなぜなのだろうか。自然はなぜ、構造から構造へと飛躍していないのだろう。自然淘汰の理論に基づけば、その理由を明快に理解できる。自然淘汰は、連続するわずかな変異を利用することでしか作用できないからだ。自然淘汰は飛躍せず、少しずつゆっくりと前進することしかできないのだ。

突然変異と自然淘汰を認めると聖書の創造説が否定されてしまいます。

アメリカでは進化論が正しいと思っている人は40%しかいないそうです。

 人間ならば経験を必要とするような行為を、動物が、それもとても若い個体が、いかなる経験もなしに実行する場合や、たくさんの個体がその目的も知らないまま同じやり方で実行する場合、それは本能的な行動であると言われるのがふつうである。


 本能が身体構造と同じくらい重要である点についてはそれほど異論がないだろう。生活条件が変われば、本能に起きたいくらかの変更がその種にとって有利となる可能性はある。そして本能はわずかなりとも変わりうることを証明できるとしたら、自然淘汰の作用が本能の変異を、それが利益をもたらす限りは保存し蓄積しつづけても不思議はない。


 文明国で飼われているイヌでは、たとえ子イヌでさえ、ニワトリやヒツジやブタを襲わないよう訓練する必要はまずない。もちろん、たまに他の家畜を襲うイヌもいるにはいるが、そういうイヌは厳しい罰を与えられ、それでも直らなければ処分されてしまう。つまり、遺伝によってイヌが文明化されるにあたっては、習性とある程度の選抜がいっしょに作用したのだろう。

生まれながらに躾けられた犬しか残っていないんですね。

 チャールズ・ロバート・ダーウィンは、一八〇九年二月一二日、イングランド西部、ウェールズとの国境に近い小さな商業都市シュルーズベリで、二男四女の五番目、次男として生を受けた。父親ロバート・ウォリング・ダーウィンは裕福な開業医で、母親スザンナは有名な製陶会社ウェッジウッドの創始者の娘という家柄である。

ダーウィンはお金持ちの家の出身なんですね。

 ビーグル号のフィッツロイ艦長が、長い航海で話し相手となってくれる良家の子息を求めていたのだ。


 当時二二歳のダーウィンだったのである。ダーウィンは、今の日本円に換算すれば五〇〇万円ほどに相当する支度金を父親に融通してもらい、勇躍航海に乗り出した。


 航海中の出来事は、どれもみな意識の変革を迫る体験だった。そして、神による天地創造を信じて乗船した青年は、この世の生きものは神によって創造されて以後に姿を変えることはなかったとする創造説に疑念を抱く進化論者となって下船することになった。

ダーウィンは、しばらくはビーグル号の航海で持ち帰った標本の整理に追われた。そして公式の報告書を出版すると同時に、それを一般向けに書き直した航海記を出版した。それが『ビーグル号航海記』(一八三九)である。この書は大好評を博し、ダーウィンの名は学界のみならず、自然史学好きの一般読書人のあいだにもひろまることになった。これが、ダーウィンのサイエンスライターとしてのデビューだった。


 ダーウィンは、しばらくはビーグル号の航海で持ち帰った標本の整理に追われた。そして公式の報告書を出版すると同時に、それを一般向けに書き直した航海記を出版した。それが『ビーグル号航海記』(一八三九)である。この書は大好評を博し、ダーウィンの名は学界のみならず、自然史学好きの一般読書人のあいだにもひろまることになった。これが、ダーウィンのサイエンスライターとしてのデビューだった。


 ダーウィンが成し遂げた二大偉業について述べたが、『種の起源』ひいてはダーウィンの偉大さはそれだけにとどまらない。ダーウィンは、『種の起源』の中で、現在に至る進化生物学研究の方向性をみごとに予見している。むろん、遺伝の仕組みや地史の正確な年代など、当時としては知り得なかったことは多い。しかし、地質学的な記録に見られる進化の様式、性淘汰、複雑な構造の起源、種分化の様式、新種の起源とは新たな生態的地位への進出であるとの卓見など、その後の進化生物学の展開において追究されてきた課題が、ほぼすべて『種の起源』の中で語られているといっても過言ではないのだ。後世の進化生物学者たちはダーウィンの跡追いを演じてきたにすぎないと言い換えてもよいかもしれない。つまり、『種の起源』はアイデアの宝庫なのだ。

ダーウィンはガラパゴス諸島での経験から種の起源を書いたと思っていましたが、全然違いました。地学、古代の生物もしっかりと調べていました。

創造説に負けない様に下準備しっかりしていました。