モーツァルトが亡くなる3年前に書いた生涯最後の交響曲第41番『ジュピター』。元オーボエ奏者で指揮者でもある宮本文昭さんによれば、モーツァルトのものすごい実力をまざまざと見せつけられる作品だといいます。あまりにすごいので、指揮者としてできればお相手したくない、あの小澤征爾さんにとっても手強い曲なんだそうです。さらに宮本さんは、第41番は立派すぎて、だから逆にあまり好きじゃない、とも。

 恥ずかしながら、ゆる~いクラシック音楽ファンの私には、何がそんなに立派すぎるのかよく分からないのですが、宮本さんの解説によればこういうことです。まず、作品全体として、細部まで考え抜かれた巧妙な建築のようなつくりをしている。とりわけ最終楽章は、モーツァルトが持っていた作曲理論の集大成のようであり、「対位法」という、バッハなどの古典の作曲家が追い求めていた手法を、ものすごく充実したかたちで結実させている。

 対位法というのは、複数の独立した旋律を同時に組み合わせる技法で、ここでの各声部をひとつずつ取り出してみれば、確かに「なるほどー」と思うけど、同時に鳴っているときは分からない。しかも重なった音は決して混濁していない。「これとこれがペア」という感じにしてあって、重なったときに絶対に濁らないように描き分けられている、って。

 さらに作曲家の千住明さんの解説によれば、最終楽章の冒頭に現われる「ドレファミ」の旋律は、千年以上も前のグレゴリオ聖歌にも現われる音形であり、モーツァルトはその「ドレファミ」をきらびやかな天上の音楽に仕立て上げるため、古くから伝わる「フーガ」風の手法を用いている。「フーガ」とは、ラテン語で「追いかける」という意味で、「ドレファミ」をどんどん積み重ねることによって、荘厳な教会の天井画のような世界を作り上げている、とも。