縦横平行につくられた大阪市中央部の道路は、南北の道路を「筋」、東西の道路を「通り」といい、通りを挟んだ両側が一つの町を形成しています(両側町)。だから、東西に延々と同じ町名が続くのに対し、南北では通りが一つ変われば町名も変わります。道路が町の境界になっているのではなく、建物の背中合わせのところが境界になっているのです。太閤さん(豊臣秀吉)による町割りは実にユニークなのであります。

 

 そのなかに道修町(どしょうまち)があります。ここは江戸時代以来「薬の街」とされ、現在でも、多くの薬問屋や武田薬品工業、塩野義製薬、小林製薬、田村薬品工業、大日本住友製薬、扶桑薬品工業、田辺三菱製薬などの製薬会社の本社が並んでいます。また、薬の神様とされる少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)があり、もとは中国の薬神である神農を祀っていたため、地元では「神農さん」と呼ばれて親しまれています。

 

 毎年、寒さが増してくる11月22・23日に行われる「神農祭」は「とめの祭り」とも言われ、年始の「えべっさん」に始まる大阪の一年を締めくくるお祭りでもあります。写真は境内の木の根元に据えられている、小さな鳥居と賽銭箱?です。