ある専門分野でずっと同じことばかり研究していると、かえって見方や考え方が狭くなってしまう、あるいは、ふつうの人の感覚からズレてしまうようなことってないでしょうか。実は、裁判員制度に絡んで、専門家である法曹界や学者の人たちと一般の人たちの間に、大きな感覚の隔たりがあるという事実が分かったそうです。

  “殺人”には「謀殺」と「故殺」の区別があります。「謀殺」は謀って殺す、つまり殺そうと企んで殺す場合で、「故殺」はそうではなく、カッとした弾みで殺してしまうような場合です。そして、犯人の故意の程度や執拗さが大きい「謀殺」のほうが「故殺」より罪が重いというのが、専門家の間での当然の決まりごとだったわけです。私も大学は法学部でしたから、そのように教わりました。

 ところが、ふつうの人々の感覚では必ずしもそうではない。犯人がある人を殺そうと企んだのには、よほどの動機や事情があったはず。そして、その目的が達せられたら満足するから、それ以上の危険はない。決して他の人を殺そうとは思わないだろう。ところが、カッとなった弾みで人を殺した犯人は、大した理由もなく人を殺したのであり、また、そのような人間はいつまたどこでカッとして人を殺すか分からない。こちらのほうがよっぽど許せないし危険だから、重罪に処すべきである、と。 

 この意見は、裁判員制度が正式にスタートする前の模擬裁判で模擬裁判員から発せられ、これを聞いたプロの裁判官は頭を抱えたといいます。専門家たちが考えもしなかった理屈だったからです。ずいぶんなるほどと思います。ことさように、専門家よりふつうの人たちの感覚のほうが正しいかもしれないってこと、他にもいろいろあるんじゃないでしょうかね。