生命の講座 第七講座 VOL3 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

一段と脳への楽観的な意識の介入や洗脳が強化されているようです。


実行しているのは近所の創価学会の人間達の様で
今日は内部に入り込んだ人間が中心に私や妻に
洗脳効果を強化しているようです。


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私達の社会の中の人間が何故に魂に意識を向ける事が出来ないのか
考えてみてください。


私達はメディアを見過ぎなのかもしれません。


それは言葉通り見るのであり、聞くのであり、
そこには自らの思考は殆ど入りません。


精々、感想がある程度ではないでしょうか。


そして私達はそのような現象と言えるものばかりに
意識を向ける様になってしまってもいます。


「見ているが見ておらず、聞いているが聞いておらず、
自ら思考することもない」


イエスキリストは聖書の中で
一般庶民の事をそう語っていました。


それは丁度、イエスキリストが”神の国の奥義”という言葉を語り
それを教える対象は自分の使徒達であり、他の多くの人間は
恐らくはその力はないであろうと語っていた箇所でです。


イエスキリストがその時に触れたかったのは
民衆が自ら思考する機会を放棄しているということ。


情報でも権力によって与えられた情報を鵜呑みにして
一方では現象と結果ばかりを意識しては


そこに自らの判断や思考を絡ませる事もできない状態にあるのだという事を
何よりも強調していたのだと思います。


そしてイエスキリストは民衆に自ら思考させるためにこそ
ありとあらゆる話を例え話で語って聞かせました。


その例え話にしても一つの話から一つの事しか理解できない人間もいれば、
それを知恵として100を理解できる人間もいると
民衆に対して直接その事を語りかけた事もありました。


イエスキリストが12使徒に与えたものは
宇宙的な知恵です。


それは私達が理解すべき人間の実態であり、
私達は心だけではなくて同時に見えないものを意識するには
魂=意識を用いなければならないということです。


それを実行する事で私達は見えるものと見えないものを
同時に認識するようになり、


それが強いてはテレパシーに繋がり


更には啓示・悟りと呼ばれるものへと繋がっていくのです。


私達の社会の中で暮らす間に私達がその域にまで達する事は無理でも
心と魂を同時に使用し続けて行く事で
宇宙的体験を重ね、宇宙的記憶を積み重ねていく事が


私達が永遠を意識する事が出来るようになるための
きっかけにもなりますし、その生ごとの確実な進化にも
繋がっていくのではないでしょうか。


アダムスキーによれば啓示を受けるための手法は二通りで


一方は宇宙的な記録アカシックレコードのようなものを
読み取る事が得意な人間がそれを実行する場合で、


恐らくは私達が直感が強いとか霊感があると
語っているような人達は無意識にそれを実行している可能性があります。


そして私達凡人が実行すべきは心と魂を同時に意識する事で
ありとあらゆる現象を原因と共に体験する
そんな経験を繰り返す事だと思います。


アダムスキーは魂と心を混和させることこそが
宇宙的な記憶を持つために大切だと触れています。


一つだけはっきり言える事は
心というものに関しては正常に脳を使用できる私達にとっては
視覚や聴覚ははっきりとその様子を確認できますが


一方魂が感じる意識の世界は曖昧であり
ぼんやりとしたものだという事です。


これは残念ながら私達の資質でははっきりと認識できるものではありませんし
殆どの場合なんとなく印象として受け止める事になるはずです。


これを視覚で例えれば、視力が弱いとモノがぼやけて見えて
全体像を鮮明に認識することができない一方、


視力が良い方が何もかも鮮明に三次元の現象を見ることが出来る。
そんな状況とも表現できます。


もっと別の例えをすれば、TVアンテナのない状態では
モニターには荒くて不鮮明な画像が写りますが


アンテナやチューナーを装備すれば
その画像は鮮明になること似ています。


私達はそこに殆ど何も写すことが出来ないから
時折繋げることがあってもそれが魂の意識だと認識できすに
そこに画像を確認しようという作業をする事ができないのです。


それゆえに魂が感じるべきその感覚を
理解することができないのだと思います。


しかしそれを感じようと務める事自体が
私達の脳機能を発達させる事につながりますし
それなしで私達が啓示を意識する事はないと思います。


恐らくは啓示を感じた人間は
何らかの方法で無自覚の内に
見えるものと見えないものを同時に知覚するという行為を
繰り返しているのだということ。


その繰り返しの体験が私達を宇宙的意識へと導くのだという事です。


【私達に無限なる力の祝福がありますように】